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学術会議推薦拒否は何が問題か、3つのテーマについて私見を述べてみた。

日本学術会議の推薦拒否を巡る賛否、色々と混乱している。

・学術会議の軍事研究を行わない旨の声明

・中国の千人計画

・学問の自由

が混然となって議論されているので私見を述べてみる。

まず声明について。

学術会議が軍事研究を行わない声明を出したのは1950年。日本国憲法の規定が政府答弁でも厳格に解されていた頃の話。朝鮮戦争を受けての防衛力整備も警察予備隊という名前で始められた年だ。

政権与党でさえも国会答弁などで戦力不保持・戦争放棄は絶対、としていた頃に制定されたルールで当時の状況を考えればあまりに当然。

そこに不満があり、歴史の変化に伴い変えるべきと思うなら、その旨の世論喚起をし、学術会議における内部的議論を待つ(現実には2017年にも行われてその内容は発表されている)ところから始めるべきで、いきなり法の趣旨に反する推薦拒否はないだろう。

次に千人計画。

与党の有力政治家の方は、中国の千人計画に学術会議が積極的に協力しているかのような言及をされているが、そのエビデンスはどこにも書かれていない。

他の方がこれに言及しているブログのようなものも見たが、やはり同じ。中には、拒否された6人が、千人計画に絡んでいるのでは?と穿った見方をしている記事もあったが、彼らは文系。伝えられる千人計画からすれば対象外だろう。

最も問題となる学問の自由について。

学術会議がなくても個々の学者の学問の自由は守られる、との議論もあるが、個人的自由だけでは、いざそれが侵害され始めた時は抵抗力はほとんどない。

中国で一部の人権派弁護士がいくら頑張っても彼らが容易に逮捕・投獄され、人格まで変容させられる様を見れば明らかだ。個々の自由だけではなく、組織にも自治権が尊重されなければ、権力が暴走した時には歯止めとなる力にはなり得ない。日本でも、日弁連が自主独立を失ってしまえば、個々の弁護士がいくら踏ん張っても、権力への対抗勢力としての力は大幅に削がれるだろう。

非効率に見えても、政府と考えが異なる様々な組織があることが、安全弁となって、それらが多方面にあることによって万一の権力暴走への抑止装置となる。

学問の自由と自治権の尊重。

両者は密接に関係している。