【国会報告】地方税法改正、特別法人事業税、森林環境税に関する質疑

 今日の衆議院本会議は、地方税法の改正(自動車税関連・ふるさと納税関連)、地方税だった法人事業税の一部を国税にする特別法人事業税、森林環境税についての質疑が行なわれました。最近、政治の世界では場外乱闘というかこどもの口喧嘩みたいなやり取りが目立っていますが、本会議ではこれぞ国権の最高機関と唸らせるような議論をして欲しいところです。
 今日はどうだったかというと、法案が比較的地味であったが故に逆に法案質疑に対する姿勢や調査力が滲みでた感がありました。
 法案について正面から質問されたのは、社会保障を立て直す国民会議(野田さんのグループ)の重徳議員。地方への配分割合を決めるのに私有林人工森面積50%、林業従事者20%、人口30%なので、私有林人工森1万2千haの岡崎市より人口90万人の世田谷区の方が配分が多くなるとのこと。具体的にわかりやすく不備を突かれました。
 法案とは離れましたが共産党の本村さんは児童虐待事件を踏まえ非難ではなく解決策を具体的に提言され(その中に弁護士活用も)、好感が持てましたし、安倍総理もそれに沿った施策を進めると答弁していました。また、児相職員削減圧力に関連して地方自治体の職員削減率を交付税算定の評価基準とするのを止めるべき、とのもっともな質問も。総理答弁によれば平成32年度以降見直すとのこと。
 国民民主・無所属クラブの日吉議員は、森林と深く関わる林業について人工林ばかりになったことが林業を逆に阻害したとの視点での質問。
 立憲民主の高井議員は、被災時、当該市町村は被災者なので近隣自治体が助けに入るイタリアの例を引き、防災省の創設を訴えました。ちなみにアメリカにもFEMAという政府機関があり、災害ものの映画などにも出てきます。
 言わずもがなな質問をされて残念であったのが維新の足立議員でした。国家統計局など筋の良い指摘もあっただけに勿体無いというしかありません。

【国会報告】所得税法の一部を改正する法律案

 本日は、衆議院本会議で「所得税法等の一部を改正する法律案」の質疑が行われました。住宅ローン控除や自動車重量税、個人事業の承継税制についての改正案です。各党の質問のうち、優れていたものを紹介させていただきます(批判が主体の国会討議から脱却することが急務と最近強く思っているため、まずは隗より始めよということで)。
 国民民主党の緑川議員は要点をついた質問で、安倍総理の力みを引き出しました。皆さんご承知のとおり、安倍首相は都合が悪いと思うと力む癖があります。どこで力んだかというと、「総雇用者所得がプラス」という成果を安倍首相が誇っている点。65歳以上の非正規労働者数が2013年度204万人が2018年度は358万人に急増しているので、総雇用所得の伸びは高齢者が無理に働きに出ざるを得ない社会になっていることを示しているのでは、という鋭い指摘のところでした。総雇用者数×賃金=総雇用所得という関係にあるので、賃金が伸びなくても人数さえ伸びれば総雇用所得は伸びるのです。
 維新の党の杉本議員もいつもながら深い造詣をお持ちの財政についてわかりやすく、かつ単刀直入な質問をされました。国家財政を家計に例えれば、600万円の年収の方が、400万円の借金で1000万円の生活。借金の残高は1億1000万円になったと。借金は身内からしているのだし、バランスシートではプラスの資産があるから実質借金は6000万円、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせているのが今の日本の姿だと。ワニが口を大きく開けているような財政運営をいつまで続けているのかと。
共産党の宮本議員は、30年間に消費税収は372兆円増えたが法人3税は290兆円減ったと指摘。
 今回の質疑は、各党間で大きく質が分かれていたと思います。皆さんも是非ネットでやっている国会中継ご覧になって、各党の通信簿をつけてください。政党の本当の姿が見えてくるかもしれません。面白いですよ。

児相は弁護士を活用すべき。損保では当たり前のこと

最近の極めて残念な児童虐待事件について、弁護士を活用すべきというブログを書いた。そうしたところ、同じ弁護士の方が児相に弁護士を置くことは不要、という記事を書かれていることを目にした。ほかの問題であればいちいち反応することもないが、この問題は別だ。子どもの命がかかっているからだ。

私も児相に弁護士を常駐させるべきとは思っていない。しかし、今回の小学4年生の女児の父親のように、いわゆるモンスターペアレントのような類型の方に一般職の公務員が対応するのは困難を極める。そういったケースを弁護士にスポットで委任することは当たり前の話である。例えば、事故対応のプロである損害保険会社も、困難事件(事故態様が複雑な時ばかりではなく、相手方が暴力団関係者であったり、苦情が激しかったりする場合も含まれる)はプロである弁護士に委任し、対応を一任する。そして、そういう事件は全体から見ればそんなに多いものではないから、依頼者である保険会社にとっての経済的負担もそれほ大きくない。保険加入者(虐待事件では被害児童にあたる)を守るためにも、担当社員(児相職員)を守り過度のストレスから解放して円滑かつ適切な業務執行を続けるためにも必要なコストなのだ。

なお、断っておくがそれが弁護士の儲け口になる、などの低い意識で提言をしているのではない。この種の事件は、弁護士にとっても大きなストレスがあり、場合によっては身の危険を感じることすらある。私も勾留中の相手方から、違法な脅迫状を複数受け取り、法廷においてすら凄まれたことがあった。また、事件報酬も低廉な定額制になるであろうから、大多数の弁護士にとっても決して喜んで受けたい事件類型ではないだろう。
それでも、現状は変えなければならない。制度を作ることによって、確実に救える命があるからだ。

Bプランなき財政再建計画。本気度ゼロ?

平成31年度予算案は史上初めて当初予算案として100兆円を超えた。そのうち32兆円は,国債という名の国の借金で賄われている。ただし,歳出において15兆円が既発の国債償還に充てられるので,国債の純増は17兆円だ。こうして年々増加する国債の残高は日銀によれば昨年9月末で999兆円に達している。

この国債については様々な議論がある。これを心配しなくて良い,という者もあり,その論拠は,①国のバランスシートを作れば,資産も多大にあるから大丈夫である,②国債は国の借金であり,国民の借金ではない,③日本国債は主に国内で引き受けられているので,ギリシャのようにはならない,などである。

しかし,①国の資産は簡単に売れるものではない。また,資産は,帳簿上計上されている通りの値段で売れるものでもない。簡保の財産(かんぽの宿)が,貸借対照表上の価値よりはるかに低い金額で叩き売られたことを思い出して欲しい。倒産処理を経験したものならすぐ理解できるが,大事なのはキャッシュ・フローであり,現金性の資産である。②国が国債を償還する原資は国民から徴収する税金。すなわち,返す主体は国民であり,実質上は国民の借金だ。③日本国内の金融機関(銀行,保険会社)には既に国債引受の余力はない。所得の低下により国民の金融資産(預貯金)が取り崩され,減少に転じているからである。このため,日銀が紙幣を増刷して(現実には輪転機を回すことすらなく当座預金の残高の数字をコンピュータで入力して増やしているだけ)実質的に国債を全額買い支えている。その結果日銀保有国債残高は国債残高全体1000兆円の45%,約450兆円にも達している。これが続けば,国債は暴落せずとも(内国通貨建て(円建て)の国債は,理論上は通貨増発により無限に中央銀行(日銀)が買い支えられる),通貨量の水増しによる通貨価値の減少=通貨安が起こる。ジンバブエのようなハイパーインフレが起こるか,そうでなくとも第2次大戦後の英国のように経済が長期低迷し継続する通貨安によるコストプッシュインフレに国民が苦しみ続けることになる。

さすがに,政府与党も,この野放図な財政赤字をいつまでも放置しておけば「円の信認」が国際的に失われることは意識しているとみられ,「新経済・財政再生計画」において,2026年度でのプライマリーバランス均衡を目指している。

プライマリーバランス均衡について簡単に説明すれば,国債費(償還費・利払費)を除く政策的経費を,税収等で賄うようにするというものだ。平成31年度予算案を例にとって説明すれば,歳出のうち政策的経費は約76兆円,これに対して,歳入のうち税収等は67兆円しかないため,プライマリーバランスは9兆円の赤字だ。

ただし,国債費の純増は,プライマリーバランス(PB)が均衡しても生じる。国債費には利払費が含まれているため,利払費分は,仮にPBがトントンであっても国債が増発されることになる。その関係を平成31年度予算案で下図に示す(純増は正確には17兆2176億円)。

したがって,既発国債残高を増やさないためには,プライマリーバランスの均衡では足らず,利払費と政策的経費の合計額を税収等で賄う必要がある。そうではあるが,プライマリーバランス均衡が財政再建のまずは第一歩だ。これが達成できなければ,二歩目(利払費+政策的経費と税収との均衡)も,3歩目(既発国債残高の減少)も続くことはできない。

その意味でプライマリーバランス均衡は重要なのだが,日本政府のプライマリーバランス均衡=財政再建計画は国内よりもむしろ国外から日本の行く末を指し示すものとして注目されている。しかし,その中身足るや,まるで達成に対する意欲が感じられないものであった。本気度ゼロなのである。このブログを書くために,内閣府や財務省からも聴取を行い確認をしたが,「新経済・財政再生計画」における2025年プライマリーバランス均衡は,すべて経済成長頼みなのである。すなわち,経済の成長とそれによる税収増のみがPB達成の原資であり,それ以外の方法(歳出減等)は一切触れられてもいない。つまり,それのみに依存したものなのだ。

そして,肝心の経済成長見込みの中身足るや,名目GDPで3%前後,実質では1.5~2%程度の高い成長を前提としたものとなっている。

2013年から2017年の実質GDPの伸び率は平均すれば1.2%前後である。2018年はこれよりも落ち込む見込であるし,今年以降の世界経済も中国の景気悪化及び米中経済戦争などの影響により,約10年も続いた異例の長寿景気が落ち込むであろうことはほぼ一致したコンセンサスとなっている。もちろん,景気の予測が必ずしもあたるものではないが,一国の財政健全化計画の基盤となるものである以上,コンセンサスに基づく予測とかけ離れたものであってはならないであろう。計画では,経済成長が下振れした(成長率が潜在成長率程度にとどまった)場合をベースラインケースとしてグラフに併記しているが(実質GDP成長率1%前後),その場合には「試算期間内のPB改善は緩やかなものにとどまる」としているだけである。換言すれば,その場合に目標年限である2026年度にPB黒字化を達成することは諦める,としているだけなのだ。つまり,Bプランはない。これは驚くべきことだ。達成するためのやる気はまったく感じられないというか,ないのである。

日本の財政や経済に対する外国からの目は厳しい。プライマリーバランス均衡のための,「新経済・財政再生計画」はそのためのエクスキューズでもあろう。しかし,日本政府には,2020年度までのプライマリーバランス均衡目標を放棄した前例がある。次に2026年度までのPB均衡を放棄すれば,今度こそ日本政府すなわち日本への信頼は損なわれ,それは「円の信認」が失われることに直結していくであろう。そして,それは国民の生活を破壊する。政府には責任がある。期待される経済成長率に達しなかった場合のBプランが作られるべきである。

児童虐待の悲劇。政治問題とするなら積極的な対案を。

 悲劇を批判として政治利用するのではなく、対案を。

 つい最近、またも児童虐待の悲しい事件が生じてしまった。児相という公的機関が関与していたケースだけに、この事件が防げなかったのか、どうしたら防げるのかについて真摯な検証とそれに基づく改善が必要なことは言うまでもない。

 この事件を政治的・政策的視点から検証することも必要だろう。だが、この事件を政治的に利用するだけでは世の中は変わらない。政権批判に利用すればそれを気にした政権側が予算配分に配慮するということで間接的な効果はあるかもしれないが、それではあまりに刹那的である。
 そもそも、悲しいかな現場がいくら頑張っても、全ての子どもの命を守ることは難しい。私も弁護士として、医療過誤やDVなどの弱者保護の事件にある時は体を張って取り組んできた。しかし、残念ながら全ての人は守れない。それでも、その取り組みには意義がある。弁護士に出来ることは個別事件の救済であり、政治家に出来ることは、国あるいは地方自治体のシステムにおいて、どうすればこういった悲劇を少しでも減らしていけるのか、どうしたらゼロに近づけていけるのかの地道な取り組みだ。アイデアは幾らでもある。こういった事例で重要なのは、虐待の事実の真実性の確認、親権者の子育てに関する自主性との調和だ。例えば、児相の行う保護について、親権者からの強い抗議があった場合、それへの対処まで児相職員に求めるのは酷だ。そんな時は弁護士あるいは弁護士会と提携したシステムを構築しておき、予備審問的調査を弁護士にさせ、児相職員の負担軽減を図るとともに、親権者の権利との調整を図ったらどうであろうか。そんなに予算がかかるとも思われないし、弁護士過剰時代の今、弁護士側のヒューマンリソースに事欠くことはないであろう。既に同じようなシステムが住宅紛争に関して構築され、実際に各地で稼働している。
 こういった提言を含めた建設的対案を行うことこそ、今野党に求められていることではないだろうか。

野党こそ変わるべき。国会における討論の質を高めよう。

第2次補正予算が衆議院を通過した。私は,本会議でどのような討論が行われるのか注目していた。注目していたのは「補正予算」の審議にどの程度各党が集中するか,といういわば当たり前の点である。

ここのところ,補正予算は形骸化し,本来当初予算案に計上すべき項目が補正に回されることが常態化している。当初予算案の形を整え,見かけ上の前年比支出増を回避するためである。特に今回の補正では,防災・減災,国土強靱化のための3か年緊急対策に1兆円も割かれている。本来はもうすぐ審議が始まる当初予算案に計上すべき予算であり,しかも時期からして補正を組んでも当初予算でも執行はどのみち大差はないだろう。

このようなやり方は,まさに財政法29条1項「予算作成後に生じた事由に基づき特に緊要となつた経費の支出又は債務の負担を行なうため必要な予算の追加を行なう場合」という規定に反する脱法的行為である。もう一つの問題は,当然ながらこの補正予算により歳出は増大する。結局約2兆8000億円が1次補正よりも増加し,101兆3581億円と,通年では100兆円を超える支出となってしまったのである。増えた分を補う歳入はまたしても国債である(維新の党の指摘によれば1次補正予算と合わせて2兆円の建設国債増)。これは,財政健全化に反するものであることは明らかである。

このようなまさに本質的としかいいようのない問題を含んだ第2次補正予算案に対し,討論が行われた訳だが,各党10~5分の持ち時間しかないのであるから,こういった本質的議論に集中するのが本筋だろう。しかし,残念ながら現実はまたもや違っていた。

立憲は,冒頭3分の1を統計不正問題に費やし,さらに消費増税,軽減税率と繋げて最後にようやく国土強靱化関係予算を補正で組むことについて指摘したが,結論は補正予算で予算化することではなく本当に必要な防災対策であるべき,という焦点のぼけたものとなってしまっていた。また,財政健全化への言及は皆無で,幼児教育無償化の手法や,児童相談所への体制強化に使うべき,という「使い道」競争の視点しかみられなかった。

国民民主は,歳出抑制及び財政法29条の観点から,国土強靱化関係予算や地方創生拠点交付金・戦闘機購入は当初予算に組み込むべきとの説得力ある討論を行ったが,やはり冒頭は統計不正問題であったし,締めは公文書改ざんなどに対する政治家の責任で終わっていた。徹頭徹尾補正予算案に関する本質的問題についての討論を行ったのは維新ただ一党であった(結論はなぜか賛成であったが)。

要は,ケジメをきちんとつけていただきたい,ということなのだ。国会に参加して一年余を経過したが,いつも同じことの繰り返しである。本来討議されるべき事柄(法律案であったり予算案であったり,委員長の解任決議案や大臣の不信任案であったりもする)は横に置かれ,関連性の薄いことや主題でないことが延々と訴えられる。確かに野党にとってはアピールの機会ではあろうが,まずはやるべきことがある。まずは議題に集中し,質の高い討議を行うことこそ,真の国民へのアピールとなるのではないだろうか。「本物の力」こそ,人の魂を揺さぶる。また,じわじわとではあっても,静かにそれは伝播し,広がっていく。今は,テレビ中継はなくともインターネット中継が存在し,そこで何が行われているのか見る人は見ている。

国会の質,そこで行われている民主主義の本質たる討論の質を高めることこそ,野党に求められているところではないだろうか。

 

【国会報告】平成30年度第二次補正予算

 2月5日午後7時10分という遅い時間から開かれた衆議院本会議で,平成30年度の第2次補正予算が通過しました。まずは余談の部類ですが,細野豪志議員が早くも自民党側の席に移っておられ,注目が集まっていました。

 さて,肝心の討論で私が注目したのは,「補正予算」の審議にどの程度各党が集中するか,という点でした。補正予算が形骸化し,本来当初予算案に計上すべき項目が補正に回されることが常態化しています。当初予算案の形を整え,ゼロシーリングの制約を回避するためにです。特に今回の補正では,防災・減災,国土強靱化のための3か年緊急対策に1兆円もさかれています。本来はもうすぐ審議が始まる当初予算案に計上すべき予算であり,しかも補正を組んでも当初予算でも執行はどのみち4月以降でしょうから大差ありません。このようなやり方は,まさに脱法的行為であり,財政健全化に反するものです。

 各党10~5分の持ち時間しかないのですから,こういった本質的議論に集中するのが本筋でしょう。しかし,残念ながらというか案の定というか立憲,国民,共産の各党は約4分の1くらいは統計不正問題に時間を費やしていました。この辺のケジメをもう少しきちんとつけていただきたいところです。

 これに対して,維新は,皆さん意外と思われるかもしれませんが真面目に①3カ年緊急対策予算を補正予算に入れるのはおかしい②遡及適用の問題③補正予算の中身からして財政健全化に反する,と真っ向から補正予算についての疑義を訴えていました。

ただし,結論は成立に賛成でしたが。維新の党の議論は,建前ではなく本音なので,聞いていていつも面白いのですが,今回もそうでした。

 

 なお,各野党への注文は,政権選択野党,新しいレジュームの野党にバージョンアップされ,今の与党の受け皿として国民に認識されるようになっていただきたい,という気持ちからさせていただいていますので悪しからず。

実効性のある名誉棄損対抗策を個人に。日本にも懲罰的損害賠償を

ワイドショーだけでなくマスコミの話題を一時期独占したアメフトの悪質タックル問題。NHKの朝晩のニュースで取り上げられるほどであったが,ライブドアニュース(http://news.livedoor.com/article/detail/15976578/)が伝えるところによれば,警察は,当時のマスコミの盛り上げ方とは別の結論を出したようだ。

 

当時の報道は,危険なレートタックルを行った選手を,あたかももう一人の被害者であったかのように取り上げ,逆に,彼が行ったそのタックルは指導者らの指示によるものであったとした告発を勇気ある行動としてもてはやした。そして,コーチらが行ったそのような意図はなかったとする弁明をまったく取り上げようともしなかった。

その後,傷害事件として警察による捜査が行われた。選手の主張どおりなら,選手は実行犯,コーチらは教唆犯である。しかし,警察がビデオを含めて詳しく検証した結果,選手の主張が重要な点で事実と異なり,選手のみが書類送検されたという。その理由として指摘されているのは,かなり具体的で,客観的な以下の事実だ。
「「内田氏が悪質タックルを見ていたのに選手を交代させなかった」と指摘される根拠については、内田氏の視線はボールを追っており、悪質タックルを見ていなかったことを確認。コーチ陣がインカム(ヘッドホン)を通じて反則があったことを伝えたのに内田氏が交代させなかったとも指摘されたが、内田氏はそもそもインカムを着けていなかった」(上記ライブドアニュースより)。

これに対して当時,袋叩きしたマスコミはほとんど沈黙を守ったままだ。

この事件で何もかも失ったヘッドコーチは,大学に対して解雇無効の民事訴訟を行っているようだが,勝ったとしても失われた名誉は帰って来ない。仮に民事訴訟を起こしたとしても,せいぜい300万円程度の損害賠償が一般的で,大マスコミにとっては痛くも痒くもない金額であろう。やった者勝ち,というしかない。

 

仮に,これがアメリカであったらどうであろうか。様々な名誉毀損事実を含めた報道が日本と同様に行われているが,仮に報道が事実でなかった場合,報道側に課せられるペナルティーは重い。トム・クルーズが娘や妻を巡る報道で5000万ドルの損害賠償を求めて訴訟をし,その後記事が事実ではない旨認めさせて和解したことがあった。さすがに5000万ドルともなれば十分な抑止力となった訳である。たしか,前にも損害賠償訴訟の予告だけでねつ造隠し子報道を撤回させたこともあったと記憶している。

日本でも,個人がマスコミという第三の権力に対抗しうる手段を持つためには,懲罰的損害賠償制度の制定が必須であろう。

日産は株主利益を考えているのか?矛盾に満ちたゴーン氏への追加報酬

今日,ちょっと考えられないような報道が流れている。

日産が,ゴーン氏への追加報酬として91億円を計上する方針を決めたというのだ。

 

しかし,これは日産の現株主に対する現経営陣の背任行為ではないか?

他ならぬゴーン被告自身が,追加報酬は未確定のものである,と主張していることは周知の事実だ。会社法の規定からもそう考えられることは以前別のブログで書いたが,法的にもゴーン被告の主張(退職後の報酬は株主総会の承認を得て初めて確定する)が原則だ。

 

仮に,ゴーン被告が会社を私に利用し,第三者に不正な報酬を支払ったり,自身や家族が不当な利得を得ていたという検察庁や日産の主張が事実であるなら,ゴーン被告に退職金に相当する退職後の報酬を支払うべき理由はない。彼らは,ゴーン被告が会社に多大な損害を与えているとして特別背任罪に相当する,としているのであるから,通常,「泥棒に追い銭」のような退職慰労金の性質を持つ報酬を支払うことは考えられないだろう。

仮に日産の取締役会がその旨の提案をすることを承認したとすれば,そのこと自体,ゴーン氏への利得を目的とした,特別背任罪に相当することになりかねない。本当の目的は,検察庁の起訴を正当化し,ゴーン氏への有罪を確実とするための検察庁への忖度であろうが,その結果,傷つくのは会社財産(91億円)であり,日産の株主利益が損ねられるのだ。

何かもう無茶苦茶になってきたと思ったのは私だけであろうか?

歴史は繰り返す

過去の音声の一部を取り出し,適当なストーリーを作って陥れる。前にもあったし,これからも繰り返し行われそうな手法。明石市長の暴言問題で,その事情が明らかにされつつあるが,今,事実が明らかになっても陥れられた者の名誉は返ってこない。そして有為な人材は失われる。

言葉の揚げ足とりがエスカレートしている。普段これを行っているのは,むしろリベラルを自認する勢力であるが,それが自らが信奉する自由や民主主義を傷つけていくことについて自戒する必要がある。

戦前,「統帥権干犯」を乱用したのは時の政権野党「立憲政友会」の総裁犬養毅らであり,やがてそれが軍部独裁をまさに呼び込み,犬養自身も5.15事件で軍部の凶弾に倒れた。歴史は繰り返す,というがまさに現在はその最中。犯罪が疑われるような金銭にまつわる疑惑は立件されない限りうやむやにされ,如何に過去のことであっても「切り抜かれた一言」は許さない。こんな風潮はもう終わりにした方がよい。

現在ある有為な人材は失われ,将来を担うべき有為な人材も,現在の状況をみれば,政治に身命を賭すことを躊躇するだろう。それはそのまま国家の損失となるからだ。