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根本的な変容を求められる新型コロナ対策

マスコミは相変わらず新規陽性者数で騒いでばかりいるが、新型コロナを取り巻く状況は日本だけでなく世界中で大きく変わり始めている。

 

それは、新規感染者数(≒新規陽性者数)の増大。

一時は、先行する英国、イスラエルで新規陽性者数が激減し、日本を含む世界中の国々で、ワクチン接種が進めばこの感染症自体を撲滅に追い込めると夢想されたが、その両国で再び新規陽性者数が激増し、それは儚い夢であったことが知らされた。

(出典:シェアフリーの「札幌医大 フロンティア研 ゲノム医科学」)

 

それと同時に、最初は予想に反してかなりの効果があるとみられていたワクチンの感染予防効果が、時の経過と共に減退していくことがはっきりしたのだ。

両国と同じく我が国でもワクチン完全接種が進んでも新規陽性者数は増加している。

結局、いくらワクチン接種を進めても新規陽性者は減らすことはできない、という厳然たる事実が人類の前に如実になったのだ。

 

だが、陽性者数の増加と裏腹にもう一つの新しい事態も進行している。

それは死者数の激減だ。今回の波の先頭を行く東京都を見れば、その傾向ははっきりとしている。

このグラフで容易に見て取れるのは、致死率が明確に低下しているということ。イギリス保健省のデータでは、デルタ株の致死率は従前のアルファ株の10分の1、0.1%程度まで低下しているが、それに沿った動きであり、日本でもやがて同様の数字が発表されるだろう。正確な数字とは言えないが、直近1週間の新規陽性者と新規死亡者を対比した数字では0.12%(FNN)。ちなみにより正確と思われる新規死亡者と3週間後の死亡者で測った私の事務所の推計値では0.3%ほどまで低減している。

現在進行しているのは、新型コロナウイルス感染症が社会にとって軽症化し、その代わりに感染者数は増加しているということ。

(個人的にはその理由は、現在主流のデルタ株が軽症化した、あるいはワクチン接種の効果(感染防止効果より、重症化防止効果の方が長続きするようだ)により軽症・無症候で済む方が増えた、もしくはその両者の相乗効果により、軽症者と無症候者が増え、当然その方たちは通常の生活を送るので感染自体は拡大しているものと見ている。)

このような変化を踏まえて今後、新型コロナウイルス感染症とどのように向き合って行くべきか。

 

利害を離れて素直に考えれば、この感染症を「普通の感染症」として受け入れていく時が来たということ。それが何を意味するのか、順を追って述べよう。

 

欧米諸国や日本では、これまでの対策としては飲食店や小売店の閉鎖や営業制限というソフトロックダウンが取られてきた。しかし、中国やニュージーランドのように社会や個人に重大な影響を及ぼすハード・ロックダウンでなければ、そもそも陽性者数増自体を押さえ込むことは不可能ということが、海外でも日本でもこの1年半で実証されたところであった。

それは、アメリカでの規制州と非規制州という対照実験を行ったような隣合う州で実証され、実は日本でも同じ結果が出ている。

極めつけは今年1月より緊急事態宣言やまん防が出っぱなしだった東京都。緊急事態宣言などでは感染拡大がまったく防げなかったという事実は、この対策の無意味さを全国民に知らしめたのだった。

であるならば、致死率の低下を伴う感染拡大が起きている今、取るべき手段はただ一つ、原則に戻って「患者に対して最善な医療」を提供することだ。

 

思い起こせば、新型コロナが勃発した昨年春、「社会的距離政策」が重視され「隔離」が原則とされたのは、患者に対して有効な治療が無かったから。だから、「罹患しない」ことに全力が挙げられたのだった。

しかし、現在はどうか?

軽症から中等症・重症に移行する患者にはデキサメタゾン(ステロイド)という対症療法ではあるが極めて有効な治療法が存在し、致死率の激減に大きな寄与をしている。軽症から中等症に移行しかけた時に、飲み薬で投与することも一部医療機関では実施されている。

さらに現在では重症化を7割防ぐ、抗体カクテル療法という特効薬も存在する。

これらの治療法の前提として、世界一の保有数を誇るCTを活用することで悪化の兆候をすぐに掴むことも出来る。

 

であるならば、積極的に軽症段階から「治療」に重点を置くことが合理的だ。

実は既にその第一歩を踏み出した自治体もある。

大阪府だ。自宅療養者が外来診療を受けられるシステムを整えたのだ。

今はまだ感染症法等の縛りがあるため保健所の関与は存在するが、自宅療養者がCT検査を含む外来診療を受けられるようにした画期的システム(大阪府資料)。それに加えて大阪府では療養施設に医療者を配置して治療施設も設け、抗体カクテル療法を行うことも計画されている。

なお、愛媛県も30のコロナ専用外来医療機関を設けている(愛媛県資料)。

これらの試みが軌道に乗れば、軽症者が重症化することを抑止し、ひいては医療ひっ迫を軽減することは間違いない。我が国で初めて取られた「攻めの戦略」だ。

そして、この試みが成功すれば、感染症法の1・2類相当の扱いを5類以下に落とすことへの抵抗感も薄まるだろう。

 

現在では、この「療養中の医療への自由なアクセス」という観点が完全に欠落しているため、自宅療養を危険視する報道が連日なされているが、それは自宅で放置される状況になるから。具合が悪くなれば、すぐに外来診療で診てもらえる、そして入院にスムーズに繋がるとなれば、問題はない。経験者から刑務所にも例えられるビジネスホテルの一室に缶詰となる施設療養よりも、自宅の方がストレスが少ないという方も多いはず。

イギリスでもそれが原則(NHS)、それを取り立てて問題視する理由はない。インフルエンザでも何でも、自宅で静養し、悪化すれば外来診療を経て入院する。病気における普通の流れだ。

 

先日の厚労委員会で田村厚労大臣は、私が自宅療養者に外来診療を認めるよう迫ったところ、「ご勘弁いただきたい」と後ろ向きであった。

しかし、自宅療養を原則とせざるを得ない状況は良かれ悪しかれ今後ますます拡がると考えるのが論理的であり、その場合、患者に最善の医療を提供をする手立てはこれしかない。

今までの考えに縛られていては、国民を苦しめ、一方で高額な補助金だけをもらって患者受入を渋る一部の悪質な医療機関を利するだけだ(日経)。

 

世界一の病床数を誇る我が国において、「医療崩壊」が未だに叫ばれているのは、システムに問題があるからに他ならない。今正すべきはキャパを含めた医療提供体制の抜本的見直し(療養中の医療アクセスにプラスして都道府県の枠を越えた医療資源の融通が実現すれば鬼に金棒)であり、効果がほとんど無く副作用のみ大きい「緊急事態宣言」にこれ以上の強い権限を付加し、国民の経済生活や自由を徹底的に損なうことではない。

 

我々が歩むべきは、「ゼロ・コロナ」という妄想ではない。

「コロナを普通の病気として扱って行く」世界だ。

そもそも、風邪のウイルスのうち4種はコロナウイルス(感染研)。今は、PCR検査などなかった時代には知る由もなかった「いつか来た道」を辿っている最中なのかも知れない。