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【国会報告】麻生大臣、黒田総裁がMMT導入を明確に否定

昨日の財務金融委員会で、私は最近の懸念の幾つかを麻生大臣に率直にぶつけてみた。そうしたところ、麻生財務大臣が日本におけるMMT導入を、強く明確に否定された。午前中、他の委員の方の質問に答えた日銀黒田総裁が明確にこれを否定した(ロイター参照)のと合わせ、政府における財政策のトップと中央銀行のトップの両者がMMT否定について明確なコメントを発したたことになる。

この意義は大きいのでご紹介する。なお、この機会にステーブルコイン(リブラ)、そして中央銀行バブルについても質問したので、補足として記載しておく。興味のある方は続けてご覧いただきたい。

 

【質問】

私、最近すごく心配しているのは、MMTと言われる理論、これに注目されることが、与野党の政治家を問わず、あるいは市民の方にも膨らんできている。ただし、日本においては、御承知のとおり、ここ七、八年、歳入面で六割から三割、国債に依存している状況にある。一方で、社会保障費は年々膨らむしかないような状況になっております。

こういった国が仮にMMT的な声が高まって国債依存度を高めれば、急にやめることは不可能なわけですから、大変な事態が起きる。ですから、私は、日本においては、MMT的な、余り国債に頼るような政策、それでもって景気を回復させていくという政策はとりにくいんだと思っておるんですけれども、これについて、大臣の御所見をお伺いしたいと思います。

 

【麻生国務大臣】

MMTの言っていることは、自国の通貨で全て賄っている国、例えば、日本とアメリカとデンマークとスイスぐらいかな、今四カ国ぐらいだったと思いますけれども、自国通貨だけで通貨をやっておりますので、これはデフォルト関係ないんだから延々と出せるんだと、極端なことを言えばそういう話をしておられる。

アメリカで、一部の国会議員が強硬に主張されている。政府債務残高はどれだけあっても問題ないんだという話ですが、これを実行した国は一つもありませんので、その意味では、私どもとして、この実験を日本でやって、日本の金融マーケットを修羅場にするつもりは全くありません

それから、財政がとめどなくなるという話ですけれども、きちんとマーケットというものが世の中には存在しますので、そのマーケットの反応というものが極めて大きな要素であって、その中において、この出しておる国債は必ず返済されるものだという信用があって初めてマーケットが成り立ちますので、そういった意味では、市場の信認を確保するということで、我々としては、二〇二五年(PB均衡目標)とかいろいろな形でそういった対応を続けていきますということを申し上げさせていただいておりますので、今の状況というものは、私どもは、MMTというような、余りよく、私どもから見ると極めて問題点の多い、そういった理論によって我々は財政運営をするつもりはございません

 

 

 

(補足)

私のそのほかの質問要旨は以下のとおり。

 

1 リブラ

ご存知のとおり、リブラとはFacebookなどの巨大企業が連合して発行を企画している暗合資産。通貨バスケット(ドル、ユーロ、ポンド、円、シンガポールドル)とのペッグが予定されているのでステーブル・コイン(法定通貨を裏付けとしたデジタル通貨)の一種とされている。

この構想に対して、G7、G20では強い警戒感が示され、合意によるコメントまで発表されている。コメントでは、表向きは個人情報やマネーロンダリングへの懸念が表明されているが、各国の 財政・金融当局の本音はどうだろうか。

私には、通貨当局の懸念は、最近の行き過ぎとも思える通貨増発政策により世界中で通貨への信頼が失われつつあることに 対応してリブラが登場し、だからこそあそこまで各国が強調してこれを阻止しようとしているように見える。

今まではドルが「世界通貨」の覇権を握り,発展途上国などで自国通貨への信頼が揺らいだ場合,ドルがまるでその国の通貨のような役割を担い,ドルでなければ受け取ってもらえない,品物と交換してもらえないという事態も生じてきた。ペッグの中に入っていない国々では,こういった事態がより容易に生じることとなる。自国通貨よりもリブラが嗜好される,すなわち通貨発行権益が失われる恐れがあるのだ。

だが,リブラによって通貨発行権益が失われる恐れがあるのは通貨バスケットに入っている通貨を発行している国々にも一定程度共通する。バスケット内の通貨を発行する国家においても、為替レートの変動により自国通貨とリブラの交換比率に影響が出るため、通貨に対する信用(安定性)に対する不安があれば、自国通貨よりもリブラが流通の主役となることも考えられる。貨幣の主役がリブラなどの民間貨幣に移る可能性があるのだ。そして,それは現在は世界通貨となっている米ドルについても同じだ。だからこそ,ビットコインなどには鷹揚であった米議会やFRBが,公聴会を開いてザッカーバーグなどを激しく追及し,なんとかこれを阻止しようとしているのであろう。

そして,そのような懸念をアメリカを始めとした各国財政・金融当局が抱かざるを得ないのも,自ら巻いたタネではないのか。アメリカ,ECB,日本などがこぞって行っている中央銀行の今の行き過ぎた通貨増発政策と,これによって支えられている各国政府の拡張的財政政策について、各国金融当局自身が不安を抱いていることが背景にあるのではないかと考えている。

 

麻生大臣からの答弁は概略以下のとおり(以下私が要約している部分あり)。

「たらればの話でありますけれども、このグローバルステーブルコインとか、セントラルガバメントの出しますデジタルコインとか、そういったものについて、今、各国の金融政策に対してどのような影響を与えるであろうかという仮定の質問なんですけれども、これは懸念があるのは事実だと思うんですね。それに加えて、それが出されたときにマネロン対策どうするのとか、また、金融市場のスタビリティーは、安定性はどうなるのとか、使った使用者、利用者の保護とか使われたデータの保護とかいった政策上とか規制上のいろいろリスクを生じさせるんじゃないのって、これはいずれも全部懸念を申し上げているんですけれども。こういった問題意識に立って、ことしの十月の、いわゆるワシントンDCにおいてのG20の会合においては、この種の、グローバルコインとか類似の商品というものの取組が生じさせるであろうリスクについては、このプロジェクトのサービスというものが仮に開始されるとするなら、その前までにきちんと吟味され、適切にそれを対応する方法というものをきちんとつくっておく必要があるということで、これはG20、中国、アメリカ、皆含めてこれを合意ということで、この意識は皆合意していますので、自分たちでそれをやった場

合、自分たちにも影響が返ってきますから、ということで合意しておりますので。」

 

(答弁を受けての私の意見)

広い意味での通貨発行権益、つまり、国債などを発行して、例えば日銀なりFRBがこれを引き受けていくことができる、それが最後の支えというか担保になっているかと思うんですけれども、そこが侵されていく可能性がある。

なので、やはり、グローバルコイン、ステーブルコイン、こういったものに対しては警戒が必要であるとともに、そういったものが国の発行する通貨よりも信頼されるような事態というのが生じるのを避けるというのは非常に重要なことだと思われる。

 

2 中央銀行バブル

今、ニューヨークの株式市場、どんどん史上最高値を地道に更新し続けている状況にある。それから、不動産市場も同じような状況だ。こういった、資産インフレともいうべき現物の上昇があり、金も値上がりを続けている。この原因は、通貨の異常な発行(増発)が続き、同時に異常な低金利が続いていることに関して、投資家が嫌気を差してほかに行くところがないから現物に流れ込んでいるんだ、こういう見方がある。

つまり、これは見方を変えれば中央銀行バブルであるし、各国の財政赤字を基調とした財政政策というのは、こういった中央銀行バブルに支えられている反面がある。

こういった懸念に関して、麻生大臣にお尋ねした。

 

麻生大臣からの答弁(要約あり)は概略以下のとおり。

「世界中で超低金利というような形の緩和的な金融環境によって、グローバルな世界においての現物資産というものが、バブルが生じているのではないかということだと思いますが資産価格というのは、企業や経済のファンダメンタルズというものの見通しで投資家がさまざまな形でつくっていきます。

また、アメリカとか欧州の場合は、経済状況や金融スタンスはそれぞれ、スタンスがさまざまでありますので、資産価格全般については一概に申し上げることは困難です。

その上で、日本について申し上げさせていただければ、少なくともこの七年間で、大胆な金融政策を含めて私どものやった結果、企業収益が向上したし、雇用も所得環境も改善もしたということによって、経済のファンダメンタルズというものの回復の中で、株価や土地というものも上昇傾向にあった。少なくとも、八千円ぐらいだったものが二万三千円まで上がってきているとか、いろんな形で、はっきりした形で数字でも出てきておりますので、そういった状況がこの七年間続いてきた。

正直、税収も、おかげでバブル前までほぼ戻ってくるところまで来て、四十五兆ぐらいまで落ちたものが六十兆近くまで上がってきておりますので、結構なことだとは思いますけれども、しかし、まだ三万八千九百円には行っていないじゃないかと言われればまだ行っておらぬわけですから、そういった意味では、緩和的な金融環境というのが続いていく中ではありますけれども、資産の価格というものの動向を含めまして、金融面での脆弱性というものが、蓄積については、これは、金利を見ましても何を見ましても、国内外ともに、引き続きよく見ておかないかぬという大事なところなんだと思っておりますので、私どもは、この種のところは日本以外の国の動向を含めましてきちんと見ておかないと、最近はすぐ影響が出ますので、そこらのところもよく注視しつつ、対応をしてまいらねばならぬと思っております。」

 

(答弁を受けての私の意見)

バブルは終わってみなければわからないというような格言めいたものもございますが、バブルが急にはじけると大変な迷惑をやはり国民もこうむることになりますので、ぜひ、その辺、注視をお願いしたい。

後期高齢者医療制度と介護保険はどう変容していくのか

昨日、財務金融委員会の後、夕刻からの国会図書館政策セミナー「医療・介護分野の給付と負担」に出席した。この国会図書館のセミナーはテーマの選択が時宜を得ていて、なおかつ中身も充実しておりとても勉強になり楽しい。議員の本人出席が少ないのが不思議なくらいだ。

さて、今回のテーマは、先日静岡県立大学の鬼頭学長にお会いした際に将来の人口構成の厳しい変動について丁寧にレクチャーして頂いて以来、頭から離れることのない課題。

2050年に向けて65歳以上の人口は今の約3割から4割に増え、15〜64歳の人口は今の6割が5割に減る。つまり合計2割も社会保障にとって厳しい方向に人口が動くのだ。

今回のセミナーではこういった人口構成の変化を背景として、後期高齢者医療制度の勤労者並みの負担増(所得に応じてではあるが現役世代並みの3割自己負担など)や薬剤の保険適用外を進めること、そして介護保険分野での給付絞り込みも諮るなどかなり厳しい社会保障改革が現在進行形で企図されつつあることを教えていただいた。

当然の事ながらこれらの内容は高齢者に厳しい。平成28年度の厚労省調べによれば、15〜44歳世代ならば年間医療費は12万円、自己負担は4万円に満たない。しかし75歳以上の医療費は約91万円、同じ3割自己負担であっても約27万円にも上る。その差は大きい。

話を聞いていて、深刻な気持ちにならざるを得なかった。

こういう話を聞くと、一部野党やその支持層はすぐに高齢者切り捨てとかといって騒ぎ始めるかもしれない。しかし、私が深刻だと思ったのは別のこと。これだけの厳しい内容でも人口構成の大変動が収まる2050年までを見据えた骨太の改革ではなく、単なる弥縫策に過ぎないものであろうという事実だ。

このようないわば受益者にとって後ろ向きの改革が続いていけば、若い世代が社会保障を必要とする年代になった時、後期高齢者医療制度も介護保険も有名無実なものとなっていかねない。若い世代にとってみれば、年長世代を支えるだけ支えて自分にはリターンなどない、そんな「ふざけるな」と叫びたくなるような未来が現実に迫りつつある。

 

これだけの重い未来が既に現実化しつつある中で、そんなことはどこ吹く風と言わんばかりに山本太郎氏らのれいわ 新撰組は消費税減税で協調出来なければ次期衆院選で独自候補を立てると宣言し、野党内部においてポピュリズムの攻勢は強まっている。

与党は与党でその場凌ぎの政策に終始しているが、一方の野党の側も今さえ良ければそれでいい、というのであれば若者世代のお先は真っ暗なままだ。

今まで提言してきた財政収支や国防・外交と共に、この日本の近未来に立ちはだかる最大の課題についてこそ与野党がそれぞれのビジョンを根拠を持って提示し、世代間不公平の解消に向けて真剣な論争を行うべきだ。

私見では、支出において聖域なき医療制度改革を図ると共に、歳入においては法人税と消費税上げで安定的財源を確保すべきだと考えている。その匙加減は、かなり正確に予測可能な将来人口構成に対して現在の統計的データを折り込んでそこから逆算した行くという手法が合理的だろう。

本来ならこういった骨太なテーマを正面から掲げて国民に提示して、与党と対峙していく政党があってもいい時代だ。今はまだここで呼びかけることしか出来ない自分が歯痒いばかりだ。

問題なのは憲法9条改正ではない。日本の安全保障の在り方である。

ここ1,2年における主要な政治課題の一つは、間違いなく安倍首相の掲げる憲法9条改正問題となるだろう。

安倍首相は,9条改正が必要な理由について「自衛隊員がかわいそうだ」と情緒的な側面のみ強調している。自民党のHPに置かれている憲法改正を解説する漫画でも,同じことが家族の会話という形式で説かれている。

 

しかし、その表向きの理由を本気で信じている方がどのくらいいるのだろうか?

今回の9条改正は、アメリカとの共同軍事力行使を可能にするための一連の法整備の総仕上げであることは明らか。

平成24年から平成27年にかけて行われた安保法制(平和安全法制)整備については激しい議論や反対運動を呼んだが,法的にみて極めて重要なトピックスというかマイルストーンであったのが,平成26年7月1日の閣議決定。安倍内閣がそれまでの政府の憲法解釈を変更し,個別的自衛権だけでなく集団的自衛権における武力行使を容認すると共に,国連による集団安全保障においても,自衛隊の果たせる役割を一歩進めたものであった。

これらの一連の法整備の背後にあるのは,よく言われるようにアメリカの世界戦略プログラムであろう。数次にわたるアーミテージ・ナイ報告書において,自衛隊のあるべき姿や日米軍事協力が段階的に「進化」させられている。そこから読み取れるアメリカの意思というか思惑は,自衛隊と米軍の連携・強力関係を更に押し進め,他国からみれば軍事的に一体であると見做されるようなレベルにまで日米(軍事)同盟を進めていくというものだ。

イージスアショアが秋田県や山口県に配備されたのは何のためか?いずもの空母化は何を目的としたものか?既にその路線に沿った既成事実が着々と作られているのだ。

 

さて,話を元に戻そう。私は憲法改正絶対反対論者ではない。いかに硬性憲法の色彩の強い日本国憲法であっても,不磨の大典ではない。

時代というか立法事実が変化すればそれに対するルールが変化するのはいわば当たり前。

しかし,ルール変更,しかも国の行く末を大きく左右する基本ルールの変更にあたっては,その必要性や狙いをルールの適用を受ける当事者(すなわち国民)にハッキリと説明し,理解を得て取り組むべきものである。肝心なのは「ルール改正」ではない。ルール改正を必要とする理由や,ルール改正によって見込まれる効果をきちんと説明し,ゲームに参加するプレーヤーの理解や賛同を得ることなのだ。

しかし,まさにその点が欠けているため,今の与野党の憲法9条を巡る議論にはまったく賛同できない。

入管法改正案の審議のときもそうだった。入管法改正は,外国人労働者の5年を超える日本在住を可能にするものであり,10年の居住を要件とする永住権の取得に道を開いたもの。すなわち,これまで鎖国状態にあった日本に移民を解禁するという,極めて大きな政策変更をその実質とした法案であった。人口減少だけでなく若年世代の減少により,労働力が極端に不足しつつあり,経済発展どころか現状維持もおぼつかない今の日本社会に,欧米諸国と同じように規模的に大きく移民を受け入れて国力維持を図る狙いがあったことは否定し難い事実であろう。10年経てば自然にそうなるからだ。

だが,政府はその点(永住権付与の基礎的条件となるのか)を聞かれても曖昧な答弁を繰り返すだけであったし,野党側も過去の外国人労働者に対する不当な扱い事例を批判するだけで,人口政策・労働政策あるいは移民に関するビジョンを明確に示すには至らなかった。

 

憲法9条改正についても同じだ。今の安倍政権の憲法9条改正の国民への提示の仕方はまさに子ども騙し。先に述べたとおり,今,憲法9条を行おうとする自民党・安倍政権の本当の狙いは日米同盟というか日米共同軍事体制の一層の進化を可能にするため。

誤解されないよう言葉を足せば,その背景にある目的自体を悪として一方的に否定するつもりはない。

だが,少なくとも民主主義国家であるなら,正当な民主主義の手法として,その目的を正々堂々と国民に提示して,理解と選択を仰ぐべきであろう。

立法事実として,少なくともアメリカ側からの日米共同軍的な運用への要請が強まっているのは事実であるし,対米折衝にあたっている政権与党として,日本にとって主要な同盟国というか現状唯一の存在であるようなアメリカの要請に対応するため憲法9条改正が必要である,と国民に提起することはある意味当然の選択肢。そして,戦後75年に渡って維持されてきた日米同盟を堅持し,さらにそれを強化していくというのも,一つの有効な政策ではあろう。

 

ただし,その選択は,真の独立国としての主権を放棄している体制が今後も続くということを意味する。沖縄の米軍基地問題はいつまで経っても解決しないであろうし,首都圏上空の管制圏がほとんどアメリカに握られたまま,という異常な事態が続いていくということを意味する。さらに今後懸念されるのは,アメリカが過去定期的に行ってきた必ずしも正当性があるとは限らない戦争に日本がより深く関与し,いつの日にかは自衛隊員の人的犠牲が出ることも覚悟しなければならない,ということである。

 

一方で,別の立法事実もある。

トランプ政権が激しく対中貿易戦争を仕掛けているのは,中国がアメリカに対向しうるもう一つのスーパーパワーとしての地位を確立しつつあるからだ。

日本の安全保障の観点-今後も戦争のない平和な時代を続けていこうと思えば,近隣諸国との友好関係を発展させることも日米関係と同様にとても大事な条件となってくる。アメリカにおいて,カナダやメキシコとの間で武力紛争など考えられないのと同じように,日本が安定的な平和(それこそが安全保障の究極の目的)を維持しようと思えば,中国,韓国,北朝鮮並びにこれから世界の主要な経済大国にのし上がってくることがほぼ確実な東南アジア諸国との友好関係は欠かせない。

そうであるならば,アメリカとの片面的かつ一極的な友好関係のみをどこまでも追求するだけではなく,そういった真の安全保障の達成から逆算するような現在の安全保障のあり方を検討する必要がある。

その役割を果たし,もう一つの選択肢を国民に提示すべきは,安全保障についての対案を示すべき野党の側にある。

 

そういった,日本の将来の安全保障の立て方の議論の果てにあるべきが9条改正問題なのだ。

だが,今のところ与野党においてあるのはその他の政策や法律議論と同じ,皮相的な議論のやり取り。

自民党は衣の下に鎧を隠し,耳障りの良い建前だけを国民に提示する。

野党の側にも,問題の本質的な部分をえぐり出すような議論はみられない。従来の支持層であるリベラル・左派の現実を無視しているかのような9条擁護論から脱却しているようには見えない。

憲法9条改正を議論する前に,日本の安全保障ー平和の維持のために,現実や近未来のパワーバランスに関する予測を踏まえ,どのような戦略を立てているのか,まずは各党はその点を国民に提示すべきだ。

その上で,その戦略実行のために憲法9条を変える必要があるのか,変えるとしたらどう変える必要があるのか,それを提示するのが筋であり,それが民主主義国家の正当なあり方であろう。

ランダル・レイ教授からの手紙

10月10日よりMMTの大家ランダル・レイ教授が来日される。国会でも議員会館でシンポジウムに登壇されるとのこと。私は、日本にMMTを基盤にした拡張的財政政策は適用されるべきではないと度々発言してきた。PB均衡とはかけ離れた日本の国家財政の現状からすると、インフレが生じたからといって直ちに中止はできない。したがって、インフレをコントロールできなくなるのでは、という懸念があるからだ。

もう一つの懸念は、通貨安。1990年代のポンド危機は、虎視眈々とその機会を狙っていたジョージ・ソロス率いるクオンタムファンドの売り浴びせの前に、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行が破れ、ポンド安が止まらなかったものだ。これと同じことが、MMT的な政策を提唱する政党や政治家が主導権を取ったその瞬間に起きても不思議ではない。

 

以上は、日本でMMT政策を取った場合のいわば副作用たるものであるが、効能の点でも日本において効果があるのか疑問がある。

そこで、先般、私の懸念についてランダル・レイ教授ご本人にメールにてお問い合わをしたところ、教授から早速丁寧なご回答をいただいた。レイ教授に心より感謝申し上げると共に、その質疑の部分をご紹介させていただく。(なお、質疑部分については公開させていただく可能性のあることを事前に申し上げている。)

 

[レイ教授への質問]

1. 日本においては,失業率が2018年平均で2.4%と極めて低い水準にあります。これは急激な人口減少の過程にある日本において労働力不足が顕在化したものと考えられます。現在の失業率は,一般に言われる自然失業率の範囲内と推測され,事実上の完全雇用状態にあるものと考えられます。一方で,生鮮食料品を除く物価上昇率は2016~2018年(各年平均)は-0.3~1%で推移しており,物価は安定しております。

 以上によれば貴殿の著作に記された貴殿の意見である「最善の国内政策とは,完全雇用と物価安定を追求することである」は,日本においては既に達成されており,MMTが提唱する通貨増発による積極的財政政策を取る必要がある状況にはないと考えていますがいかがでしょうか。

 

2. 日本の国家財政(一般会計予算)における国債依存度は,2009年~2019年において,51.5~32.1%を占めており,極めて高い状況です。このような財政事情下において,さらに景気浮揚のために国債増発を行い,積極的財政出動を行うことを実行した場合,インフレが生じる恐れがあると考えられます。仮にインフレ・ターゲットを2%に置いたとして,これを越えるインフレ率となった場合においても,その恒常的な国債依存財政体質からして,国債発行を緊急に縮小することは困難と考えられ,その場合インフレをコントロールすることが困難となる可能性があるものと思料いたしております。したがって,日本の財政状況に鑑みれば,MMTによる積極的財政出動をなしうる基礎的条件を欠くものとも考えられますがいかがでしょうか。

 

3. 以上について,1,2を総合した観点から異なる結論は導かれるのでしょうか。

 

[レイ教授からの回答]

ご質問いただきましてありがとうございます。

 

測定された失業率が低く、平均インフレ率がゼロをわずかに上回る水準であることは承知しています。消費の伸びが弱いことを主たる要因としてGDP成長率が低迷しています。私は、「成長のための成長」を支持していないことをここに強調しておきたいと思います。重要なのは、全ての人々に対して最低限の生活水準を保証することです。これを実現できないほどに日本の平均成長率が低いのかは分かりません。

これは日本が決定すべき問題です。但し、不本意な退職を余儀なくされた人々が必ずしも考慮されていないため、失業率の測定値は大きな誤解をはらんでいる可能性があります。日本国外において、これは年配の男性労働者、そして恐らく他の複数の集団において問題化しているとの見方が一般的です。その数が増加することで、「労働力の減少」がもたらされます。

 

貴殿がご指摘になった赤字と負債については、十分に理解しておりませんでした。政府債務の金利が非常に低いため支出は低水準に留まっていますが、債務比率が高く、低金利による恩恵が相殺される可能性があります。金利支払いのための政府支出は消費や投資に対する追加支出を促すものではなく、成長をもたらさないという点において極めて「非効率」であると言えます。

一方、添付の文書において論じている通り、債務比率の高い日本が取るべき対策は2つです。成長速度を加速させることで、赤字比率を下げ、債務問題を軽減できる可能性があります。成長速度を加速させるためには、(金利に対してではなく、成長を促進する分野において)対象を絞った支出を行うことです。これについては、10月10日に来日した際にご説明させていただきます。

 

 

 

 

この質疑について皆さんはどうお考えになったであろうか。

私自身は、最初の質問に対するレイ教授の答え、「成長のための成長」は支持していない、という回答が極めて重要だと思っている。問題は、日本の国内状況が「すべての人にまともな生活水準」が提供されているかどうかであり、その判断には、ナショナルミニマムとしての社会保障の水準がどのレベルにあるのか、というところが深く関係してくるであろう。弁護士として社会的弱者にある方に生活保護受給のお手伝いをしている経験からすれば、十分な満足とまではいかないものの、最低限度の文化的生活は確保されているものと考えている。

 

また、2番目の質問に対し、政府の債務比率が高いため、低金利のメリットが相殺されるということ、政府財政における利子支出は、消費と投資へのさらなる支出を刺激しないという点で非常に「非効率的」である可能性があり、成長をもたらさない、という指摘も日本においてMMTを適用すべきという論者が汲み取っていない意見だと思われる。日本の現状のようなあまりにも大きな政府債務残高や、さらにそれを拡大させるような拡張的財政政策は、非効率を加速させるというマイナスがあるのだ。

また、レイ教授は、添付していただいた「MMT and Two Paths to Big Deficits」というファイルにおいて、政府の投資先として「Green New Deal」を提唱されている。現金のバラマキや旧来型公共投資への支出を必ずしも肯定されているとは限らないところも注目すべき点だ。

 

さて、私は冒頭に述べたとおり、MMT理論の日本におけるその適用については賛成するものではないが、従前の経済学が真剣な分析を行って来なかった「貨幣」とは何か、という問題(「The Money」参照)についてMMTが正目から取り組んでいることには強い関心があり、注目している。

私の2番目の質問に関連する詳細な言及、そして「ターゲットを絞った支出(関心ではなく、成長を促進する分野において)」についてのレイ教授のシンポジウムでの発言は非常に楽しみでもあり、また皆さんに紹介したいと考えている。

歴史的勝利に思う

昨日のラグビーW杯で日本代表が、世界最強チームともいわれるアイルランドから歴史的勝利を静岡県のエコパスタジアムで挙げた。

その歴史的瞬間を幸運にもその地で目撃した。

 

日本を応援する観客のほとんどが善戦を期待して、はるかアイルランドから訪れた緑色をまとったアイルランドサポーターは勝利を確信して、スタジアムに臨んでいた。

しかし、アイルランドサポーターの地の底から響くような応援はやがて静かになり、日本代表を応援する手拍子や叫び声がスタジアムを覆っていった。

 

ヘッドコーチは、前大会でやはり奇跡といわれる南アフリカ戦の勝利をもたらしたエディー・ジョーンズに続き、今大会はやはり外国人のジェイミー・ジョセフが指揮をとった。そしてキャプテンは、リーチ・マイケル。途中交代で、観客の大歓声を浴び、押され気味だった雰囲気が一気に変わった。逆転トライを挙げたのは福岡堅樹。見事な繋ぎの最後を締めた。同じくらい重要だったのが、PGを決め続けた田村。前半最後の長い距離のPGを決めたことが逆転の雰囲気を作っていった。

 

 もっとも番狂わせの少ないスポーツと言われるラグビーで、格上と言われ、今まで勝ったことのなかったアイルランドに日本が勝てたのはなぜか。

一夜明けて思うのは、今回の勝利は、外国人と日本人の力のまさに融合だったということ。今回の勝利を日本人の力だけで成し遂げられなかったことは誰にも異論がないだろう。

ラグビーの代表資格を外国人が得るためには、日本に継続して3年以上住んでいればいい(ただし、他国で代表経験がないこと)。だから、世界中からチャンスを求めて日本のトップリーグに優れた選手が集まり、今回の最強チームをはぐくむ培地となった。

 

このような視点をもつことは、他の分野でも当然必要なこと。例えばアメリカに世界のトップを目指す若者たちが集うのは、スポーツに限らない。ITや、物理、医薬の研究者。俳優もそう。アメリカ経済が世界一であるのは、政府が公共投資にお金を費やしているからではない。

アニマルスピリットを持つ世界中の人々が成功や、より自由な競争環境を求めて集って、その集積が新しい発展の原動力になっている。

 

アメリカのように、世界中からトップクラスの学生や研究者が広く日本に入ってきてくれなければ、日本の経済や企業活動が、ガラパゴス的にではなく,世界に対して再始動することはないだろう。そのための環境整備は遅れている。

 

それだけではない。外国人労働者に支えられなければ、大企業というよりもむしろ中小企業ほど企業活動を行うのも困難なのが現実。東京の小売・サービス業(コンビニや飲食店)で外国人が店員をされているのは、都会に居住されている方もご存じだろうが、地方にはまた別の姿がある。都会の人たちはその実態を知らないだろうが、日本人がやりたがらない水産加工業や農業などでを支えているのは外国人労働者。まさに、縁の下の力持ちとなってくれているのが現実なのだ。

それだけではなく、語学留学の名の下でどれだけ多くの外国人が勉強と労働を並立させて、過酷な環境の中で働いてくれているのか。

 

一方で、最近心配なのが外国人労働者についての日本人の感情。このところ、主にTwitterでMMT信奉者の方と議論をすることが多いが、共通するのは「バラマキ万歳、借金拡大による財政拡大で経済発展、移民(外国人労働者)排斥、反対する議員は馬鹿なので辞めろ」という感情むき出しの、EUの極右政党支持者のような大合唱だ。前二者については、いくら説明しても副作用があることや発展を遂げた日本ではその効果が一時的に過ぎないことについて聞く耳をもってくれず、既に思想というか信仰のような域に達しているのでもうあまり議論してもしようがないかなと思っている。彼らが政権を取らない限り、それが実現することはないからだ。

しかし、移民(外国人労働者)排斥は、仮に彼らが政権を取らないとしても、日本を下支えしてくれている外国人に嫌な思いをさせることに繋がっていく。そして、外国人労働者が日本から消えれば、その力に支えられている産業も日本から消滅する。

 

繰り返しになるが、選挙に勝つ為なら何をやってもいい、ということではない。タレント議員を擁立するくらいならまだ可愛いが、だれかを傷つけるような扇動の仕方は慎まなければならない。そのようなやり方が何を産んだか。第二次大戦前に、ヨーロッパで、そして日本で、大衆扇動がどれだけの結果をもたらしたのか、一度立ち止まって考えてもらいたい。

おとぎ話への怒り

ニューヨークでの国連機構行動サミットで,スウェーデンの高校生トゥンベリさんが,「「あなた方は希望を求めて私たち若者のところにやってくる。よくもそんなことができますね」と批判し、「私たちは大絶滅の始まりにいる。それなのに、あなた方が話すことと言えば、お金や永続的な経済成長というおとぎ話ばかりだ。よくもそんなことを!」と怒りをあらわにした。」と報じられた(AFP=時事)。

 

その通りだ。経済成長を追い求め,今の大人の世代は,将来世代へこれでもかと負荷をかけ続けている。問題は環境だけではない。今の日銀の異次元緩和による財政ファイナンスや,通貨発行による財政拡大での経済成長を唱えるMMTも,無理な経済成長を追い求め,将来世代へ負荷をかける可能性が大きいという意味ではまったく同じだ。MMTが間違っていたとき,残されるのは多大な負債と通貨安。どちらも将来世代の生活を今以上に困難にする。

 

その懸念の根拠について述べてみたい。

そもそも経済学は、現在もなお検証不能な学問である。あまりにも変数が多く、理論が真実であるか否か実験的に確認することができないからだ。したがって,たとえノーベル賞を取った経済学者が唱えたとしても,その考え方は単なる仮説に止まる。しかし,その仮説は,経済と深く関わる政治と結びついたとき,イデオロギー的性質を持つ。

 

例えば日銀の異次元緩和にしても、そのよって立つ仮説は実証されなかった。マネタリスト的な考え方では,デフレは貨幣的現象なので通貨供給量を増やせば解決する。そこで、日銀はそれまでの方針を転換し “異次元の”量的緩和で大量の国債を買い入れマネタリーベースを拡大させた。が、結局のところ副次的効果として通貨発行量水増しによる円安誘導に成功し,その分自国通貨建てGDPを増やしたくらいの結果に終わり、目標であったはずの「インフレターゲット」やそれに伴う経済成長は何年経っても達成できていない。

だが,アベノミクスによる経済再生・経済成長というイデオロギーは継続している。

 

このような試みは、アメリカのQEや、古くはレーガノミクスなどでもみられたが,こうした実験的経済政策は財政冒険主義ともいわれる。

まだ実験が実行されていないが(既に日本財政はその範疇かもしれないが)、その最新のものがMMT。兌換通貨でなくなった現在の通貨の解釈を「政府が支出して通貨を生み出し、納税者が国家への支払義務を果たす為にその通貨を使っている」とするものだ(ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」)

ここで、解釈と言ったのは、あくまでこれはMMT論者による通貨の解釈の一つに過ぎないということだ。それが本質か否かはまた別のもの。一般的に言われる通貨の存在意義である「交換価値の保存」の観点はあえて捨象されている。

しかし,レイの著作でも、ハイマン・ミンスキーの言葉として「誰でも貨幣を創造できる。問題はそれを受け取らせることにある」という言葉が紹介されている。貨幣が交換価値を保存できるのも、貨幣が信用(信認)されているからこそ。貨幣の増発はその信認を失わせていく。

この点についてのレイの主張は,「なぜ誰もが政府の「法定不交換通貨」を受け取るのか?」というところにあるようだ。その答えは,「租税などの金銭債務の履行において,政府によって受け取られる主要なものだから」というものだ。だが,政府自身も,その通貨が価値を失った場合には,莫大な数量の通貨を要求するであろう。

「受け取られる」と「価値が保存されている」は決してイコールではない。

 

 また、貨幣価値の信認失墜と表裏のハイパーインフレについてレイがなんと言っているか。

1 ハイパーインフレは極めてまれ

2 MMTがハイパーインフレの原因を完全に理解しているとは言っていない

3 今のアメリカや日本に高インフレを予想させるものはない

これにはMMT支持者の皆さんも驚くのではないか?あれだけ緻密を装っているMMTの旗手が、ハイパーインフレの懸念については理屈にもならないことを並べ立てているだけなのだ。

そしてなんと、こうも言っている。

「経済学者にとって、年率40パーセント未満のインフレ率から経済への重大な悪影響を見出すことは困難である」(445頁)。

経済学者にとってはそうかもしれないが、インフレに対抗する手段を持たない一般庶民にとって変動のない10%の消費税と、毎年毎年40%上がるインフレとどちらが良いのだろうか?

 

さて、MMTが言うように、中央政府と中央銀行を一体としてとらえた場合、確かに通貨発行権を持つ国家が発行する国債などの負債は支払不能とはならない。

しかし、MMTに従い,無限の通貨発行権を政府債務の支払のために行使したとき、巨大な負債を抱える国家と、国民の間には重大な利害の対立が生じることになる。

国家は、その都合により自在に通貨を発行し、自在にその歳出に充てることができる。魔法の杖を手にしたも同然だ。しかし、そのように水増しされた通貨は、信用を徐々に失っていく。日本でも西南戦争時に戦費調達のために政府紙幣である太政官札を大量に発行したとき、インフレとなってコメ価格が3倍になり、飢餓者まで出ている(吉田繁治氏「現代通貨論の批判的な検討(1)」)。どこの国でも通貨の信用がなくなれば通貨安となり、自国建て通貨ではなくドルを国民が重宝するようになる。大きな通貨安に見舞われた最近のトルコなどでもみられているところだ。「自国通貨を受け取らせることができなくなる」ことが生じうるのだ。

 

実は、その傾向の一端はアメリカや日本においてもみられている。最近、金の価格が大きく上昇していることをご存じだろうか。それだけではなく、株価や不動産価格はアメリカを筆頭に上げ続けている。物価上昇率には反映されない、こういった株や実物の価格上昇は、世界中で続けられている「量的緩和」=「通貨量水増し」による通貨への信頼失墜の反面として生じたものであろう。ビットコインなどの暗号資産の誕生と価格上昇も同じ理由によるものと推測している。(この点でMMT的な貨幣増発は貧富の差を拡大している。富裕層は株などへの投資で益々栄え,貧困層にはその機会がないからだ。まだ指摘されていないが,MMTが実施されれば,富裕層は喜んでさらに投資に励み,貧富の差は更に膨らむだろう)。

 

他にも色々と述べたいことがあるが,長くなってきたので今回はMMT論者に次の3つの点を指摘しておきたい。

1点目。レイの著作においても,MMTによる積極的財政は,完全雇用実現のため,とされている(「最善の国内政策とは,完全雇用と物価安定を追求することである。」81頁より)。しかし,人口減少日本では,失業率は2.3%の低水準であり自然失業率(3.5%程度と一般に推定)以下と考えられ,ほぼ完全雇用状態にある。念のため述べれば,物価が「超」をつけて良いほど安定しているのも周知のとおり。MMT理論により,政府が財政拡大をしなければならない前提を欠いているのは明らかだ。

 

2点目。日本にMMTを導入すれば,公共投資が民間需要の呼び水になり,経済を成長させると日本のMMT論者は主張している。しかし,東名高速道路や東海道新幹線など民間需要を呼び起こすような公共投資・社会資本整備は東北新幹線あたりで終わりを告げ,今は北海道新幹線のような維持費の負担の方が大きく,乗数効果が見込めないものがほとんどとなっている。結局は建設中に工事関係者が得る利得のみが民間需要を満たしているのみで,一時しのぎにしかなっていないのが現状だ。すなわち,公共投資をしても持続的景気拡大には繋がらない。むしろ社会的にみて負のコストが増大し始めている。

 

3点目はれいわ新撰組のMMT論者に特に訴えたいこと。れいわは法人税を上げて消費税をなくせ、という主張に見えるが、レイは法人税についてなんと言っているのか。

「必ず「法人所得税を廃止すべきです」と答える」(299頁)。

皆さんとはだいぶ考えが違うようだ。

 

景気というのは結局民間が創造していくもの。無から有を産むように、価値のない、あるいは価値の限られた商品に付加価値をつけ、経済を発展させられるのは創造的な民間企業だけだ。大恐慌やリーマンショックのような非常事態時には,政府や中央銀行は主役級の対応が望まれるが,普段は,サポート役に徹するべきだ。ところが,近時MMTを根拠に,財政政策に対しあまりに過大な期待が寄せられていて,政府依存症とでも表現したくなるような有り様だ。この風潮がさらに蔓延していけば,かえって民間の活力,肝心要のアニマルスピリットが益々失われていくであろう。

政治家が票目当てに有権者の前に甘い話をぶら下げるのは程々にした方が良い。

 

議論から逃げない

松井大阪市長が,福島第一原発の汚染水を大阪湾で海洋放出することに言及し,話題を呼んだ。

私自身はこの問題,処理されて告知濃度では存在しないとされていたヨウ素129,ストロンチウム90などの放射線核種が,数十回以上も検出されていたことから(2018年8月23日河北新報報道),海洋放出の前提を欠いており,陸上大型タンクでの長期間保管しか方法はないと考えている。

ここではその議論の是非はさて置くとして,松井氏の発言を聞き,維新が他の野党と違うことを改めて確認させられた。

 

それは議論から逃げていないことだ。

 

日本のリベラルは,都合のいいところばかり取り,トレードオフを受け入れようとしない。

例えば,沖縄の基地問題。

辺野古基地問題でも珊瑚礁の海への移設は望ましいものではないのは確かだ。では普天間はどうするのか。あるいは日米安保条約や地位協定は。

そこを提示していかなければ本当の解決は得られないだろうが,少し前にみられたのは反対のための反対。あるいは,アメリカが宗主国であることを認めたかのような請願活動でお茶を濁し,自己満足している姿。

 

消費税増税反対もそう。高齢者世代の増加と若年世代の減少により,医療・介護・年金にお金がよりかかるようになることは今から目に見えること。私はこの点について常々警鐘をならしているが,野口悠紀雄氏によれば,同じ社会保障費の範疇にある生活保護費も増大していくとのこと(「20年後は4倍、高齢者世帯の生活保護は「普通のこと」になる」)。

私は,消費税増税だけでなく,法人税,所得税の増税も必要と主張しているが,野口氏もこの記事で同じ主張をされている。

今の社会保障水準を維持しようと思えば,人口構成がここから2050年まで大きく負担増の方向で動くので,国民負担率の上昇-すなわち増税は必須となるが,そのことに触れようとする野党あるいは野党支持者はいない。それどころか,後先は考えないとばかりに消費税撤廃を振りかざし,机上の空論のようなMMTに乗っかったれいわ新撰組が勢力を増し,野党第一党の立憲民主党からも同調者が出つつある。

先のことはどうするんですか?と聞きたくなるが,法人税を上げれば,とか自分たちに関係のない負担増を言うばかり。利益は甘受し,負担増についてはどこまでも他人事だ。

 

電力問題にしてもそう。最近目立っているのが太陽光発電や風力発電に対する反対運動。

では,リベラルが気にする温暖化や原発はどうするのか。全てが上手くいく方法などない。

電気はいらない暮らしをするというなら別だが,電気も必要となれば,より環境負荷が少ない発電方法を受け入れるしかない。

フランスでは町の所有する湖に,町が太陽光パネルを敷き詰めて発電して町の電力を賄い,かつ売電して収入とするということで,町民も喜んでいる姿がフランスF2で報道された。

日本だったら湖の環境を破壊するといって,反対運動が起きているところだろう。

 

こういった日本のリベラルの,議論や本質から逃げた姿,反対さえしていればそれでいいという姿は社会党以来の伝統であり,今も野党や野党支持者に受け継がれているのがまごうなき事実。

その「実は逃げている姿」が国民に見透かされて野党は本当の信頼を得ていないのではないか。

維新が関西で着々と支持を伸ばしているのは,地方自治の運営において,逃げずに正面から課題に立ち向かっている姿が信用され,他の政党とは違う信頼感を得ているのだろうと推測する。

 

立憲民主党,国民民主党,社会保障を立て直す国民会議が統一会派を組まれた。日本の将来には重い課題が立ちはだかり,その解決には国民にも重い負担や決断が必要となる。その議論から逃げるのか逃げないのか。旧態依然の従来支持層の意向を気にしていては,その外に拡がるブルーオーシャンのような「投票先がない」という理由で選挙にいかない多数派の支持は掴めないだろう。

その動向次第で,また新しい動きが出て来るのかもしれない。

 

いずれにしろ,今のままでは日本の将来の暗雲は晴れない。議論から逃げない,人気取りに終始しない政治のあり方が必要だ。

 

社会党が日本にかけた呪い

昔、ニクソンが大統領であった時、超保守派の最高裁判事を次々と任命し、「ニクソンがアメリカにかけた呪い」と評された。アメリカの司法は日本に比べものにならないほど大胆かつ影響力がある。そして、最高裁判事は終身。判事の多数派が保守かリベラルかで国の行く末が大きく変わってしまうからだ。

同じような呪いが今も日本を覆っている。「消費税は庶民の敵」という呪いだ。その呪いを紐解くため、日本における消費税導入の経緯を追ってみた。

日本で最初に消費税導入が議論されたのが昭和53年の大平内閣の時。「あーうー」などと揶揄されたが実直な総理で子供心に好感が持てた方であった。今と比べれば驚くほど健全な財政であったが、高齢者人口の増大による社会保障費増大が見え始め、財政赤字やこれを賄うための赤字国債が拡大し始めた時であった(下図は財務省HPより)。

 

この時は未だ高度経済成長の真っ只中。これから日本がアメリカに追いつこうかというまさに増税の好機であった。ところがこの時社会党などの野党は、「個人消費の抑制を召く」「低所得者ほど負担割合が高くなる」「減税が求められている時期に大衆課税を強化することは、経済政策上適切でない」(国会図書館調査及び立法考査局調べ)と、今と全く同じような主張を並べ反対した。そして、昭和54年選挙で惨敗した大平内閣は消費税導入を断念した。

今思うと、この時導入しないでいつ導入できたというのだろうか?高福祉には高負担が当然付きもの。成熟した議論が行われる欧米であれば通用しない「高福祉、低負担」を恥ずかしげもなく謳った社会党などが大勝したこの時の選挙が、今の日本の運命を決めたと言って良いだろう。

以来、野党は、消費税反対が票になることを覚え、公正かつ建設的な責任政党の立場から遠ざかっていく。大平首相が正々堂々と消費税導入を謳って大敗した反省?を踏まえ、中曽根内閣は間接税を導入しないと公言して選挙に勝ったにも関わらず、姑息にも公約違反の売上税を導入しようとして地方選挙で大敗し、売上税の導入をやはり断念した。そして、平成元年、竹下内閣でようやく消費税が導入されたが、これを強く批判した社会党に直後の選挙で大敗し、当時党首であった土井たか子氏の「山が動いた」という名(迷?)文句が生まれたのであった。今思えば、社会福祉を重視していたはずの社会党が、バブルに向かって経済的余裕があった日本社会において、その財源となるべき消費税にあれほど強く反対したのは選挙目当てのポピュリズムとしか言いようがないが、朝日新聞を始めとするやはりポピュリズム的傾向が戦前より続いていたマスコミがこれを後押しし、正義の味方扱いをして、左派・リベラル派に「消費税は悪」という思想を強く刷り込んでいったのであった。

その結果が、先に挙げた図に現れた「ワニの口」である。社会保障費の増大を国債に依存して賄い続けた結果、税収と歳出のバランスが大きく崩れて生じた歪んだグラフであった。

こうなったのはもう一つの原因もある。政府与党が、支持母体である企業への気兼ねから、消費税導入後、法人税率を40→30%に減らしていったのもワニの口を拡げるのに寄与している。

さて、野党が「選挙に勝つため」に覚えた、本来両立しない「高福祉、低負担」路線の延長線上にあるのがれいわ新撰組の「貧困層を救うための消費税撤廃」である。普通に考えれば今消費税を撤廃すれば税収に20兆円の大穴が空き、いくら所得税の累進性を強化したり法人税上げをしたとしても圧倒的な税収不足が生じて財政破綻→社会保障破綻を召くのだが、社会党が日本にかけた呪いによって、そんなことはお構いなしという感じで一部の左派リベラル層から熱狂的支持を呼びつつある。

これの煽りを食ったのが立憲民主党。直近の読売新聞の世論調査では支持率が12%から7%に激減し、また、党の若手が山本太郎氏と「消費税撤廃の失敗例」(財政赤字拡大と通貨安)とも考えられるマレーシアに視察に行ったことに対して、枝野氏が「冷笑を浴びせた」として強い批判を受けているという。元々枝野氏は、若い頃から基本はやや右寄りの現実路線。ところが消費税については、選挙を意識せざるを得なかったのであろう、先の参院選では「呪い」に従って増税反対という主張を行ったのだから、そのような批判を受けてしまっている。

本当は、責任野党として、堂々と「日本の現状はEU並みの高福祉。国民負担率が見合っていない。法人税率上げと共に一定の消費増税はやむを得ない」(下図参照。財務省HPより)と主張すればこのような批判を受けることもなかったであろうし、逆に政権を任せるに足る党として、実は圧倒的な多数であるサイレント・マジョリティの信任を得ることもできていたであろう。

 

 

今の日本に渇望されているのは過去の呪縛から解き放たれ、批判も受け止める堂々たる責任政党たる野党。野田前総理が旧民主党勢力の結集を呼びかけておられる。誠に僭越ではあるが日本の未来を考えた時、太平元総理以来過去にただ2人、堂々と消費増税を呼びかけて選挙に臨まれた野田前総理が、この面においても指導力を発揮されることを切に望むところである。

 

浮き彫りとなった日本の課題

ようやく年金財政検証が発表された。平成26年版の時と違うのが,世間がその内容についてようやく精査し始めたことだ。

元々,平成26年版のケースHでは,所得代替率が40%を割り込み,30%台に落ち込むことについて,度々警鐘を鳴らしてきた(「年金では暮らせない」は、正直な事実。与野党共に国民に真実を告白すべき時が来ている。」)。

しかし,世間的にはあまり危機感をもって捉えられておらず,そのことについて触れるマスコミや政治家もおらず,逆に現在の60%の所得代替率で平均5万円貯金を取り崩していることについて今更ながらという感じで野党やマスコミが騒ぎ,また与党も麻生大臣を始めとしてこの問題と向き合うことを避けた。しかし,真の問題は,現在にあるのではない。経済成長が停滞し,今回の財政検証のケースⅣ~Ⅵのように所得代替率が5割を割り込む,特にケースⅥのように36~38%に落ち込むことがありうる未来だ。

今回ようやく,世間がそのことを認識し始めたことは「現実に向き合う」という点で良いことだし,今後年金受給年齢の引き上げによる給付水準の確保などの議論が本格化していくだろう(NewsWeek「厚労省「年金財政検証」発表 低所得者や高齢者の負担増には限界も」)。

ただし,与党は,不人気政策の典型である年金受給年齢引き上げ(ロシア・フランスでは大規模な抗議運動に発展した)や,保険料や政府負担分財源拡充のための増税という手段を提示しにくいだろうし,仮にそのような政策が提示されれば,ただでさえ負担と給付のトレードオフについての意識が薄い野党や,その支持層からは強い反発も予想される。

特に昨今は,負担無くして給付は最大と言わんばかりの夢のようなスローガンを掲げて生活困難層を煽るポピュリズム政党が誕生し,これが勢力を拡大する様相も呈している。そういったポピュリズム勢力は,年金制度というか年金水準維持のための負担拡大などが提唱されれば,ここぞとばかりに反対の声を強めるであろう。

だが,そうした政治的都合による未来を無視した政争の結果は,年金制度のなし崩し的崩壊に繋がる。手を打つのであれば早ければ早いほど良いのだが。

関連してあと2つほど。昨日,ある眼疾患の治療のため町の眼科医を訪れた。待合室はいつも白内障や緑内障など加齢に基づく慢性疾患の患者で一杯だ。すなわち高齢者で溢れている。最近,肩の痛みがあって,整形外科もリハビリのために訪れている。ここは患者層がもう少し若いがやはり中高年でいつも満員。私自身そうだが,加齢と共に慢性疾患がらみの医療にお世話になる機会が増えてしまっている。社会保障費中の医療費,特に後期高齢者医療制度の歳出が膨らんでいくことを実感させられた。

一方で,社会保障を支えるのは究極には,日本社会の法人あるいは個人の集合体である経済。しかしその経済は今後も低迷せざるを得ないであろうし,低迷を受け入れざるを得ない時期が来ているということも述べてきた(「経済成長の夢は終わりにして,持続可能な成熟社会の構築に政治目標を切り替えよう」)。

その理由は主としては人口オーナスであるが,創造的企業が現れないこともその理由の一つである。日本企業の存在感が極端に薄れてきているのは,フォーチュングローバル500社中,1995年は日本が149社を占めてアメリカの151社に肉薄していたものが,昨年度は僅か52社に激減した(「ランダムウォークの出来る日本に」)ことをみれば直ちに理解される。

日本が負け組に入りつつあることは明らかなのだが,世間の認識はこれを正面から認めようとしていない。そう思っていたところ,あのソフトバンクの孫正義氏が同様の発言をされている,否,もっと厳しい見方をされているのを知った。これもNewsWeekの記事「日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう」で紹介されていたところ。筆者は経済評論家の加谷珪一氏だが,その中でかつての松下電器の例を出され,日本は元々模倣大国に過ぎなかったとの手厳しい指摘もなされていた。

そう言われてみれば,日本企業の製品で独創性,あるいはユニークさを兼ね備えた大ヒット商品として記憶に残るのはソニーのウォークマンとトヨタのプリウスくらい。国として比較した場合,アメリカで雨後の筍のように相次ぐ独創的な製品開発とは雲泥の差があるのが正直なところだろう。独創性の欠如を「おもてなし」などの精神論や過剰サービスで補っているというのが現状だろう。

さて,何が言いたいかというと,「厳しい現実を見つめ,そこから立ち上がろう」ということ。

社会保障でいえば,実績に基づくある程度正確な将来予測があるのだから,後は国民に率直にこれを提示して,どの道を選ぶのか,選択してもらうのが正しい道。間違ってもこれを党利党略に利用してはならない。

経済でいえば,日本の実力に対する過剰な自己評価を剥ぎ落とし,その実力に沿った「維持可能社会」に目標を切り替えていくこと。

日本社会の最大の利点である「勤勉さと誠実さ」。これが失われている訳ではないのだから,無理な発展を無理な財政政策で誘導しようとするのではなく,身の丈にあった質実剛健な道を目指すべきなのだ。

議員報酬は本当に高い?

 議員報酬が高いと批判されている方がいる。中には、公設秘書や第1、第2秘書の給与まで議員の報酬に含めて計算し、世界一高い報酬と非難される方までいる。

 これは大きな誤りだ。例えば、アメリカなどは事務所経費として下院議員にも年間1億円程度の費用が交付されている。上院議員などはもっと多いようだし、集まる寄付も桁違い。これに対し、著名議員は別として、日本では無名の議員には寄付もほとんど集まらない。率直にいって持ち出しは相当な額にのぼる。

 これに関連して言えば、維新の方達は文書交通費の使途を公開されている。その中で、自身が自身の後援会に寄付されていることをSNSなどで訳がわからないと批判されているが、それも大間違い。他の党の議員も同じことをしているが、文書交通費の使途を明らかにしていないので維新の議員だけが批判されているのだ。

 

 議員も空気を吸っている訳ではない。他の職種と同じく、優れた人材を求めようと思えばそれなりの報酬を提示しなければ集まらない。一方で、今の日本は、極めて困難な状況が今後も続き、嵐の夜に対応できる優れた舵取りが必要であるのに、議員報酬が高すぎるという批判は止まない。プロスポーツの世界をみればわかるように、優秀な人材にはそれに相応しい報酬が当たり前の世界であるのに。

 そして、議員報酬に見合った能力があるか否かなどどうでもいい、当選する人材でありさえすれば良い、知名度さえ高ければ良いといわんばかりの候補者擁立が与野党共に続いている。しかし、そのような議員集めの在り方が、今の政治的貧困を呼んでいるのではないか?

 

 私自身のことでいえば、議員になっていきなり一方的な報道がなされ、それに対し、党からは一切の反論を禁じられ、沈黙を余儀なくされた。そんな中で議員の地位にすがりついているとの批判も寄せられた。だが、率直に言ってすがりつくほどの余禄があるような状況ではない。おそらく他の議員の方もそうだろうが、日本の未来のため、あるいはやらなければならないことがあるとの使命感で議員を続けているのではないか?

 そんな事情はわかる人にはすぐに見抜かれる。周りの有為な人材は皆政治を職とすることを敬遠している。

 

 議員に対してであれば、政治家に対してであれば、匿名の陰に隠れ、正確な事実に基づかなくとも何でも言っていい。議員は国民への奉仕者として自身の経済的損得は度外視して尽くすべきだ。そんな風潮が続けば、地方議員に続き、国政においても優れた能力の持ち主に敬遠されることとなろうし、そうなればまさに国家的な、取り返しのつかない損失が生じることになる。