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貧困が空を覆う前に

 今から10数年前、突如として司法試験改革が断行され、それまで500〜700名程度であった合格者数が突如として3000人を目途とされることになった。その時に、大変な時代が来ると予感し、周りの弁護士たちに説いて回ったが、心配するものはほとんどいなかった。それから5年もしないうちに過当競争が目に見えるようになり、「プラチナ資格がただのペーパーに」という記事がアエラだったか週刊朝日だったかに掲載された。弁護士の平均年収は格段に下がり、ロースクールの人気はあっという間に下火になり、今や閉鎖されるところが相次いでいる。友人のひとりが、あの時に心配していたのは先生一人だったね、と呟いたのが印象に残っている。

  さて、何を言いたいかといえば司法試験改革や弁護士の貧困ではない。人口予測ほど当てになる未来予測はなく、どんなに不都合な予測であっても、その予測は当たってしまう、ということだ。

 先の例で言えば、一年あたりの合格者が何人だったら、弁護士数は何人になるという計算はすぐに出来る。一方で、顧客数は一定なので、業者数が倍になれば売り上げは半分に減る。

 これと同じことが成り立つのが、将来の年金予測を始めとする社会保障や財政の問題。この予測(年金財政検証)についてはあまり注目されていないが、平成26年版でさえも深刻な内容。そして本当なら7月の参院選前にも公表できたはずの本年度版年金の財政検証が未だに提出されないところを見ると、相当不味い内容なのかもしれない。

 先の年金2000万円問題で、高齢者年金暮らし世代が平均的に月5万円預金を取崩して生活していることが話題となったが、それでも現在は所得代替率は60%(ただし、現役世代の手取り収入と年金暮らし夫婦合計の年金額(こちらは手取りではなく収入額)を比べるという不可思議な比率)をキープしている。しかし、平成26年の財政検証では、将来も現在の低成長が続き賃金や物価が上昇しない経済状況が続いた場合、そのままマクロスライドで年金を低減すれば、将来的に所得代替率は4割を割り込む(平成26年財政検証結果Hケース)。

 5割を割り込むことになった時点において、それでもマクロスライドを実行するか否かはその時点で検討することになっているが、仮に5割を維持しようとすれば多額の財源が必要となる。しかし、そのような経済状況(Hケースのような低成長)において急に財源が出てくるとも思えない。現在に置き換えれば夫婦2人で月10万円代前半から半ば程度の収入で暮らすことになるが、持ち家であればなんとか出来る程度、家賃支出があれば相当苦しいものとなろう。

 私は、弁護士として多重債務者の方の生活指導(日計表と月計表を基にした毎月の面談)も日頃行なっている。だから、その収入での暮らし振りが相当厳しいものとなろうことは、現在の相対的貧困層の方のレシートからリアルに想像できる。

 日本はここ30年が勝負。30年後に向けて人口構成が大きく変化し、そして平衡に達する。15〜64歳人口は現在全人口の60%程度を占めているがこれが50%程度にまで低下する。65歳以上人口は30%程度が40%程度まで上昇する。いわゆる現役世代人口と支えられる人口との割合は、差し引き20%もの大きな変化が起こる。だが、そこで安定する。

 

 

 全人口の4割も占めるようになる高齢者世代の暮らしをどうしていくのか。その世代の多数が相対的貧困に陥るようなことにでもなれば社会の様相は様変わりしてしまうだろう。

 今ならまだ30年ある。その時に備えてどのような社会を構築していくのか。

 ギャンブルのように財政冒険主義を冒し続け、経済成長の夢を追い続けるのか?

 それとも平均寿命が伸長し、それに伴い人口減少が起きるという世界的傾向(アメリカ、フランスのような移民国家は例外)を素直に受け入れ、持続可能な社会制度の構築を目指すのか?

 私は、安倍自民党や、山本太郎氏のれいわ新撰組は、赤字国債の増発を厭わず、効果のない財政拡張により経済成長を目指している点で、政策的には同類、財政膨張主義であって未来へのリスクを増大させるものだと考えている。

 しかし一方、野党においても現実を見据えて成熟した国家を目指すべきというビジョンを持った政党は見当たらない。立憲民主党が参院選の結果を踏まえ国民民主党に統一会派結成を呼びかけている。先の党首会談に関する報道からすればその帰趨は不明朗だが、仮に統一会派結成、そして新党ということになったとしても、単に「安倍政権打倒」のための集団となるのだとすれば、もう一度民主党が出来るだけだ。そこを超えて、目に見えている未来から目を背けることなく、真の対立軸を国民に提示する政党が形成されなければ、国民が信を寄せることはないだろう。

 30年という時間は長いようで短い。このままの政治状況が続くことは国民を貧困の危機に陥れることに直結する。

 成熟した国家にふさわしい成熟した政策本位の対立軸。無いのであれば作っていくしか無い。

I have a dream

弁護士をしていると普通に暮らしている方々が見ない世界を間近に見る。ギャンブルや風俗で人生を狂わし多大な債務を負う方。離婚に伴う子どもの奪い合いが警察介入にまで発展する例。DV(それも道具を使って殴打して入院させるほどの凄まじいDVや、放火まで)。養育費ももらえず子供を何人も抱えて貧困にあえいで借金まみれになっている方。医療過誤で喜びの出産が母や子供の死亡という最悪の結果となってしまった方。なけなしの財産を詐欺ですべて失った方。交通事故で最愛の子供や父母を失った方。傷害致死事件のご遺族。殺人事件のご遺族。

これらの方々の被害を回復するために最善の努力を続けてきた。それは裁判だけにとどまらない。市役所などの行政とかけあって生活保護受給にこぎつけたことは何度もあった。より良い治療を受けてもらい、被害回復につなげるために医師を探し、医師と面談も行った。犯罪被害者支援についてまだ日弁連が動いていなかった頃に法務大臣と面談にこぎつけたこともあった。

こういった地道な支援は、実務に携わるものであれば、多かれ少なかれ経験するもの。そして、実務家(メンタル面の実務家の方ではなく、弁護士・医師など現実的な結果を求められる実務家)は、言葉では救済にならない厳しい現実にいつも直面している。

だからこそ、たとえば医療でいうインフォームドコンセントは淡々と行う。飾った言葉では真実は伝わらない。苦痛を取り除くことにもならない。

それを受け止める人の在り方も様々。きちんと説明したとお礼を言ってくださる方も多数おられる。だが、面と向かって激しい言葉を突き刺す方もいる。表面的にはお礼を言いつつ、帰り際に事務員などに捨て台詞を言われる方もいる。しかし、それも全部含めて我々の仕事だ。

 

さて、政治家の仕事とは何だろうか。厳しい現実に対し、「I have a dream」と語りかけ、社会正義や公平を実現させるのも仕事。夢と希望を苦痛にあえいでいる人たちに、勇気ある行動と共に与えていく、そういう側面は確かにある。

だが、それは誰かの不利益を生む利益誘導であってはならない。ましてや、厳しい現実を無視し、危険な賭けであることを隠して(財政冒険)、言葉だけ苦しんでいる人々に寄り添ったdreamを語るようなものであってはいけない。

 

我々は高度経済成長を経て、いまだ成し遂げた実績の余韻に浸っている成功した社会の中にいる。コップの中にいればコップの中の嵐も嵐だが、外に出てみればそれは嵐ではない。日本の社会が貧困層や社会的困難に陥った方に対し、どれだけの制度的保障を充実させているかは、実務家の知るところ(生活保護だけでなく、自賠責や犯罪被害者補償制度、難病指定による医療費助成など多彩なメニューが年々整備されてきた)。

田舎町では道路も未舗装で電話さえなく、脳卒中になれば家で寝たきりとなっていた昔を知るものとしては、今の日本が、社会保障も合わせ、どれだけの夢がすでに実現された社会なのかを知っている。一方で、日本のこれからの困難を前に、語るべき夢が少ないのが現実。最適配分の実現という永遠の課題に向けての努力しかない。

 

無理な夢を語れば、そこに無理が訪れる。

そのことを知っている以上、無理な夢は語れないし、現実を直視した政策を訴えることを続けざるを得ない。そして、今の日本を子供たちにきちんと受け渡すこと。それが私の「I have a dream」。言葉としてはささやかだが最も困難なチャレンジだ。

経済成長の夢は終わりにして,持続可能な成熟社会の構築に政治目標を切り替えよう

皆さんのお住まいの地域は何処だろうか。

私の地元静岡市では,私が政治活動を始めた3年程前,一番の目抜き通り商店街に空き店舗がごく僅かに生じ始めた。それが,今ではパラパラと点在するようになり,その周辺の商店街では長期間空き店舗の店の割合が相当数を占めるようになった。

静岡という,産業も盛んで県内総生産も多く県民所得も上位な県においてさえそうなのだから,東京や大阪,名古屋を除けば,どこにお住まいの方でも同じ状況だろう。それが平均的な日本の実情なのだ。

このような状況を日々目にしていれば,この先の経済がかつての高度経済成長期やバブル期の繁栄を取り戻すのはできないということは,知らず知らずに大多数の国民の動かしがたい認識となっているのではないか。金融機関を回っても,取引先の中小企業は,国内への新規投資は余力があっても行わない,需要が見込めないから,との声を多く聞く。

一方で,政治的な目標は相変わらず「夢よ再び」であり,3%程度のGDP成長率で未来を推し量ることを止めず,それを実現するという政策目標を掲げ続けている。

しかし,アベノミクスというか,日銀の異次元緩和という相当無理のある実験的財政政策が続けられているのにも関わらず,ここ5年の実質GDP成長率は1%を切ることも多いことからすれば,この先も1%未満のプラス幅が精一杯というのが日本経済の現実だろう。それもこの10年続いた世界的好景気が前提の話だ。

こういった姿を素直に見つめれば,政治的には経済成長至上主義の呪縛が未だに日本を覆っているというしかない。相も変わらず成長が前提,その何よりの証左は政府の策定した財政再建計画。その中身は,「計画」という名にも値しないようなは経済成長頼みのふわっとしたもの。

そして,その呪縛にとらわれているのは政府与党ばかりではない。野党や野党支持者の間では,デフレ期に消費税上げをしてどうするのか,という批判が根強い。

しかし,ここで現実を素直に見つめ直してみてはどうだろうか。日本の社会は今だ世界第三位の経済大国。携帯電話を持つことは相当程度一般的で,エアコンの普及率も高い。道路や鉄道などの社会資本も,アメリカと比較しても相当行き届いているというかかなり上のレベル。世界でも最も使いやすい医療保険制度が機能し,切り詰めれば生活は可能な年金水準が今のところ維持されている。

これ以上の経済成長を追い求めることが本当に国民にとって必要だろうか?

勿論,どのような社会でもすべての国民が経済的に豊かであることは難しいし,日本にも相対的貧困層は存在するが,少なくとも絶対的貧困は,生活保護制度があることによって相当程度防止されている。時としてそのネットが局所的に機能せず報道されるような悲惨な事例が生じることはあるが,それは再発防止策の徹底によって対処すべき問題だ。

正規と非正規間の賃金差別是正を積極的に行うことにより,現在の経済を前提としても,相対的貧困をより少なくしていくことは可能だろう。

無理な経済成長を追い求めて拡張的経済政策を取れば,後世への負担は増え続ける。それよりも,失業率の増大を伴わない緩やかな物価下落は,むしろ庶民の暮らしを楽にする。デフレへの恐ろしさとは大恐慌の際に起きたような,高い失業率を伴う急激な物価変動だ。

しかし,人口減少が続く日本では,無理な経済政策を行わなくとも失業率は増加しない。事実上の完全雇用状態は今後も続くであろう。暮らし向きを良くしようと思えば,所得の増加を目指すばかりが能ではない。物価の下落も出費の減少効果があるため,実質所得増加と同じ働きをする。

家計単位でみれば,所得増加≒物価の下落,という等式が成り立つ。

さて,若干視点を変えてみよう。

実は,平均余命の伸長に伴う高齢者層の増加という,社会的コストを大きく増大させる要素は,2050年には落ち着く。

 

その時を目指し,持続可能な成熟した社会構築に,政治目標を切り替える時が来ている。

今ならまだその時まで30年間という時間的猶予がある。日本に経済的余力があるうちに,世界第三位の経済大国という国際的信頼があるうちに,無理な経済成長ではなく,SDGsな社会構築を第一の政治目標とすべきだ。

それは,世界に先駆けてのパイオニア的試み。日本が世界に範を示せる好機なのだ。

二律背反、あるいは若者世代への背信

 「弱者の味方になってください」。消費税についての意識を変えようと呼びかけた記事について寄せられた声だ。また、生活保護受給者の方から、生活が苦しくてしょうがないのに、なぜそんなことを言うのか、という声も寄せられた。

 私がなぜ消費税を敵視するのは止めようと呼びかけたのか。それは一に社会保障制度の維持のため、二が財政規律維持のためだ。社会保障制度を維持しようとすれば国民負担率が上昇せざるを得ないのは欧米の例をみれば明らか。そして、負担を嫌い自助努力を強調する保守派勢力が根強いアメリカでは、オバマケアなどの最低限の社会保障制度も撤廃しその代わりに減税を、と主張するティーパーティー派などの原理主義的保守勢力があり、実際にその立場にたつトランプ大統領はトランプ減税を実施した。これに対し、社会保障制度の充実を国是としているような北欧では消費税率は軒並み20%以上、デンマークなど軽減税率もない上に25%だ。社会保障制度を充実させ、国民負担は下げる、それは二律背反だ。

 したがって、本来「社会保障制度の充実」を求める立場であるならば、国民負担の増大は同時に提示せざるをえない。それが実直な在り方だ。日本の従来政策は中福祉、中負担。しかし、中福祉であっても、高齢者層の増大によって15年前と比べて10兆円も社会保障費が増大してしまっているので、この制度を維持しようとすると、消費税を始めとする国民負担率は上げざるを得ない。

 このやむを得ない提示に対して寄せられる批判は主に2つ。①所得税の累進性を強化し、法人税率を過去に戻すのが先、②予算の無駄遣いを省くのが先、だ。

 このいずれも私は否定するものではない。だが、これらに先後関係はない。消費税を含め、いずれもやらなければ、プライマリーバランスの均衡すらおぼつかない。過去の政権が消費税上げで財政均衡に近づけたのに、主に法人税下げでその成果を半減させたという指摘はその通り。だが、私はそのとき政権を担っていたわけではないし、そのことを良しとしているものでもない。本来は、法人税をそのままにして消費税も上げなければならなかったことは言うまでもない。両方が必要だったというに過ぎない。

 また、予算に無駄があるというのもその通り。だが、過去15年を見てみれば、予算の費目のうち増大しているのは、社会保障費と国債関係費(元利金払い費)だけだ。防衛費はイメージと違ってほぼ横ばい。ところが社会保障費は10兆円というきわめて大きいレベルで増大している。とても無駄遣いを省いて何とかなる数字ではない。本来であるならば、増税で賄うべきであったこの増大分を、国債発行という安易な手段を選択したがゆえに、国債残高は倍増し、それに連れて国債関係費も増大してしまったのだ。

 そして社会保障費の増大は、後期高齢者医療制度などの医療費が高齢者数の増加によって増大したため。

 こういった現実を直視すれば、今の社会保障制度を維持するためには、消費税率上げもやむを得ないところであるし、そもそも消費税を敵視してもしょうがない。アメリカのような弱肉強食世界、医療費を公費で賄う制度などなくしてもよい、と主張するのであれば別であろうが。高齢化社会という現実の中にいる日本においては、冒頭にあげた「弱者の味方」であるためには、あるいは「生活保護」を守るためには、消費税を含めた国民負担の増大を甘受せざるを得ないし、国民に対して正直であろうとすれば、そのことはきちんと訴えざるを得ないのだ。

 もちろん、MMTという怪しい理論に乗っかって「通貨発行権」という魔法の杖に頼ればいいと考えるのなら別。だが、魔法の杖にはインフレという恐ろしい反作用がつきまとう。日本のように、基礎的財政支出さえ税収で賄えない国がこれによりかかれば、インフレが起きたとしても止めようがない。直ちに社会保障制度を打ち切るか、その時点で大増税するかしかないが、それは不可能だ。MMTの信奉者はそこを無視している。

 「本物の好景気をみせてやる」という訴えがあったが、消費税をなくしてもそれはこない。日本の経済的停滞は人口オーナスによる需要不足が原因。地方の金融機関に中小企業の状況を伺いに訪れているが、異口同音に言われるのが人口減少により将来の需要減少が確実なので、いくら金利がゼロでも、内部留保があっても誰も国内の新規設備投資をしようとしない、という話。企業だけでもなく個人も同じだろう。将来見通しが不安定なままでは、仮に消費税率分の余剰所得が生じてもタンスに貯めこまれるだけ。そして当然生じるであろうインフレで、その分の貯蓄は意味のないものになるばかりか、日本円に頼るしかない庶民の預貯金はその価値が大きく目減りしてしまうだろう。

 もう一つ。弱者の味方を装っている者たちが無視している現実がある。それは、今の無責任な財政の在り方は、世代間不公平を拡大しているということ。国債は60年払いルール。消費税などの負担を嫌い(所得税や法人税上げもすべきであることは既述のとおり。それを言うのはいいが、だからといって消費税が廃止できたり税率下げができるわけでもない)国債増発に頼り続ければ、子供たちの未来にさらに60年払いの重荷を積み増すことになる(国債は形式上国の借金だがそれを返す財源は国民の税金。すなわち国民の借金そのものだ)。そのことについてなぜ無関心でいられるのか?今の問題は、今を生きる私達の責任で解決していくべきだ。こういった現実を無視して「弱者の味方」と声を大にするものが本物だろうか?

 社会保障は弱者のための制度。それを支えるのは国民の税金以外にない。魔法の杖に頼り、子供たちの未来に重荷を増やし続けるのはもう終わりにしよう。

 

「消費税は悪」の洗脳から離れ,未熟な民主政治を脱しよう。

消費税あるいは消費増税を肯定すると,寄せられる声は「財務省の手先,財務省の犬」。少し調べて見たが,日本より遥かに高い税率のEU諸国でこういう議論はないようだ。

逆に,EUでは財政規律に関する厳しいルールが存在している。「財政収支を均衡する,または構造的財政収支の赤字のGDP比をマイナス0.5%以下とする」という大原則を,各国憲法など拘束力のある永続的な法で定めることが各国に求められているのだ。

 ところが,日本では,消費税増税も含めて国民負担率を見直し,財政規律を維持しようという当たり前の呼びかけをすれば,「デフレを放置するのか」「内国債である限り大丈夫」「経済をわかっていない」などのステレオタイプの非難のオンパレード。

その非難の声の大前提にあるものが「消費税は悪」という刷り込みではないのか。

思えば,日本には所得税の源泉徴収という,元々は第2次大戦前の戦費調達の工夫に端を発する制度がある。この源泉徴収制度で税金を強制的に徴収されて来たが故に,「所得税」に関しては「悪」という意識は希薄だ。所得税は給与明細に並んでいる数字に過ぎず,取られているという実感が「薄い」,というよりは「無い」からだ。

一方で,消費税は,国家の成熟に伴い政府が「大きな政府化」するのに連れて膨らみつつあった財政赤字を賄うために,1979年の大平内閣の時から導入が図られてきたが,耳慣れない新税に対する国民の反発や,「消費税は悪」とする野党のポピュリズム闘争によって,大平,中曽根各内閣では導入は断念され,ようやく1989年の竹下内閣に至って成立したのであった。大平内閣当時に消費税が導入されていれば,経済成長と共にする税率上げも経済に大きな影響を与えることなくできたであろう。当時日本は「JAPAN as No.1」への絶頂期に向かう途上。社会福祉大国に見合ったEU並の消費税率を取り入れることも可能だったろうが,「消費税は悪」とするマスコミや野党の前に,政権与党の選挙での大敗という結果もあって,これは実現しなかった。今思えばこれが日本の不幸であり,今日の財政危機もこの時から決められた運命だった。

 

(出典:「我が国の財政事情(H31年度予算政府案)」H31年1月・財務省主計局)

 

思い起こせば,第2次大戦前,軍縮や財政均衡(財政均衡論は無理な軍備拡張の妨げとなっていた)を説く政治家たちは暗殺や糾弾の対象となり,時代の隅に追いやられ,勇ましい戦争論者,軍拡論者が人気を博していた。

それと同じことが今,起きていないか?野党をみればおしなべて「消費税増税反対」「消費税は経済にマイナス」と叫び,庶民の味方を叫ぶポピュリストは「消費税撤廃」まで主張する。所得税は源泉徴収によりオカルト(目に見えない・潜在的)な存在であるが故に,消費税ばかりが目の敵にされている。

本当は,こういった無謀な政策や主張に待ったをかけるのは国民の役目。しかし,日本のマスコミや野党各党は,1979年の大平内閣当時から一歩も前進していない。「消費税は悪」,だから「消費増税も悪」。その一本槍で,「消費税は悪」と叫ぶのが庶民の味方,というステレオタイプの主張からまったく抜け出せていない。

そもそも,今の日本の予算が拡大しているのは,野党(特に共産党)が叫ぶように防衛費が拡大したからではない。社会保障費だけが膨張し,その社会保障費増に伴う予算増を税収ではなく国債増発で賄ってきたが故に国債関係費も膨張したからだ。

 

(青山まさゆき事務所作成)

 

よく言われるプライマリーバランス(基礎的財政収支)が黒字化しても,実は赤字の膨張は止まらない。国債費のうち利払い費のところまで含めて均衡して赤字の膨張は止まる。そして償還費のところにまで食い込んで初めて国債残高は減少する。

 

(青山まさゆき事務所作成)

 

そのためには現在よりも税収を18兆円増やさなければならない。消費増税反対論者はよく所得税(累進強化)を上げろ,法人税を上げろ,と主張するのでシミュレーションしてみた。

 

(出典:『財務金融資料集(税制編)』H30年4月衆議院調査局財務金融調査室)

 

所得税上げ論者の方は,累進強化を言うので,高所得者層以外の所得階層の税率上げは想定していないとみられる。しかし,人数が圧倒的に多いのはその層なので,その層も上げなければ税収増はほとんど見込めない。また,上記以外に住民税が10%別途課税されていることも考慮しなければならない。

次の表は所得税累進強化のシミュレーション。

(青山まさゆき事務所作成)

 

そして,法人税その他を大雑把に増税してみたのが次表。

 

 

つまり,所得税も法人税も消費税も全部増税してようやくPBがトントンの76兆円。赤字国債はまだ増えてしまう。換言すれば,野党や左派・リベラル派の一部が叫ぶように,所得税や法人税だけ上げてもPB均衡すら達成できない。

どの税率をどれだけ上げるのが現実的かは議論の余地がある。所得税や法人税を累進的に課税を強化することも,国民的公平感からは例えば所得税や法人税をあまり高率にすると富裕層や有力国際企業の海外移転を促してしまうことも考慮しなければならないだろう。

いずれにしろ,これから,2050年に向けて日本の社会は,社会保障費の面から大変に厳しい時代を迎える。

 

(青山まさゆき事務所作成)

 

2050年,65歳以上の人口層が4割,15歳から64歳の人口層が5割で均衡に達する。現在よりも高齢者の割合が10%増え,働き盛り層が10%減少するが,その後はそれで安定する。つまりは,その時,2050年に備えて社会保障を維持するために,その場しのぎではない国民負担の在り方を議論すべき時が来ているのだ。

言葉に酔っている暇はない。冷静で合理的な思考を,政党・政治家・官僚,そして国民すべてが受け入れ,成熟した民主政治に脱皮すべき時が来ている。

熱狂の伝播が何を産むのか。

 参院選後,恐れている事態が静かに現実化しつつある。立憲民主党に変わり,まるでリベラル・市民派層の救世主のように山本太郎氏が登場し,コアな層受けする政策を徹底的に訴えて新たなる熱狂を生んだ。

 今度の選挙では,政治に特に関心のない,いわば普通の国民層の興味が失われている結果が投票率50%割れに表れ,政治に熱心な層の熱狂がSNSでの山本太郎ブームとなって,れいわ新撰組2議席獲得という結果を生んだ。山本太郎氏のパフォーマンスは,現実対応を最優先事項とし,理念や将来像を明確にしない,究極のご都合主義ともいえる安倍政権が長く続いていることに対するリベラル・市民派層の不満のはけ口となったといっていいだろう。

 だが問題は,これから。衆院選に大量の候補者を擁立するとも伝えられているが,立憲民主党など各野党もその方向に引きずられ,全体として野党のポピュリズム色がより強まることが懸念される。

 庶民の味方を強く訴えたポピュリズム政治家の代表の1人がベネズエラのチャベス前大統領。豊かな石油資源大国であるベネズエラは,チャベス,マドゥロ現大統領と続いたポピュリズム政治家によるバラマキ政策などによって徹底的に破壊されてしまった。
 「昨年まで100円で買えたものが1月末には2億6800万円になった」(「ハイパーインフレで「地獄」と化したベネズエラ」より引用)。庶民の心を揺さぶった庶民の味方が,庶民の生活を困窮の極みに突き落としたのだ。

 政治家のすぐれた演説が国民の心を鼓舞するのは勿論だ。だが,演説が国民を救うのではない。その政策が,何をもたらすのか。少なくとも,財政・経済政策の前には計算が前提の現実がそびえている。それを無視したとき,一見庶民よりの政策が何をもたらすのか。ベネズエラに,その答えの一つをみることができる。

 

 政治の本質は理念に導かれた「政策」にある。現実を静かに見つめ最善の努力でベストの結果を得ようとする努力の積み重ねだろう。政治家・政党が「票が取れる」ことを第一義においた政策を喧伝し,そしてその目的が成功してしまったとき,国の将来は歪むこととなる。

野党惨敗は必然。2050年に向けて日本の政治は一度灰になるべき

 参議院選挙、開票が始まったばかり(7月21日午後8時50分現在)だが、予想していたとおり、野党は惨敗の様相。残念だが当たり前の結果だろう。日本の抱える困難に対し、糾弾型の批判ばかりで、本質を突こうとしない。そして、ポピュリズム合戦、アイドル・格闘家・消費税廃止の異種格闘技戦を繰り広げられたのでは、普通の国民はしらけるというか呆れるばかり、維新が伸びたのもよくわかる。

 この結果を踏まえて、本当に日本の未来を考えるのであれば、今の立憲民主党、国民民主党を中心とした野党共闘路線では、どうしようもないことはよくわかったはずだ。

 立憲民主党は、消費税を悪ととらえる固定観念に囚われた市民グループ、国民民主党は連合という巨大既得権益団体に絡めとられ、国民全体の未来、特に若者層の未来を奪い取るような政策(国債依存によるバラマキ政策)に固執している。多分、これはこれからも変わらない。そのやり方で来た人たちは、他のやり方を知らない、あるいは怖くて手を出せないからだ。

 だが、これからの日本を考えると、政治の貧困がこのまま続けば国民の未来は閉ざされてしまう。高齢化世代や、若者世代があまりに不幸だ。これから、このままの社会制度をだましだまし続けていけば、高齢者層が異様に増大したいびつな人口構成による社会保障の破綻により、より弱い層が貧困や困難に直面する。

 しかし、この選挙結果を契機に、真面目に、党利党略でなく日本の未来を考える政治勢力が現れれば解決は可能だ。

 日本の将来を暗く閉ざされたものとしているのは、いうまでもなく人口減少・高齢化による縮小国家が誰の目にもはっきりとしてきたこと。そのことを与党も知らぬふり、野党は与党の責任にして騒ぐだけ。その空虚さが国民を政治から、野党から遠ざけている。その背景には、これが解決不能と考えているからだろう。

 しかし、実はこの問題は2050年をいかに迎えるかにかかっている。

国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年推計)」出生中位(死亡中位)推計より青山まさゆき事務所作成

 

   実は2050年前後には、高齢者層・年少者層の割合が4割、勤労世代の割合が6割におちつく。ここがはっきりしているのであれば、そのときどういった社会とするのか、今から備えればいいだけ。夢物語ではなく現実の厳しさも正直に語り、未来像をしっかりと主張する政党ができれば、今の非現実的かつ極端な利益誘導政治に辟易とした国民、サイレントマジョリティーの国民層はきっともう一度政治に目を向けるはず。消費税は増大する社会保障に対応する国民負担の在り方の一つであり、EUでは20%が当たり前。国民負担を回避してなおかつ十分な社会保障などと夢物語を語る政治はそろそろお終いにすべきだ。

各国政府がリブラを恐れる本当の理由

 今朝のBSニュースでは、facebookが提唱する暗号資産Libra(リブラ)について、世界各国で懸念が広がっていると伝えている。

 表向きは過去に情報流出の既往があるfacebookへの懸念や、マネーロンダリングが挙げられているが本当だろうか。

 そのような点、特にマネーロンダリングが問題となりうるのは確かだが、それは現在の金融システムにおける法規制と同様の規制の網を整備していくことで解決は可能であろう。

 むしろ各国政府の本当の心配は、通貨発行益(シニョリッジ)が侵されることだろう。あまり聞きなれない通貨発行益という言葉だが、現在の通貨はどこの国も金兌換通貨ではないため、各国が理論上は無限定に発行しうる。紙を刷れば、価値のある通貨が打ち出の小槌のように生まれてくる、という政府にとってはおいしい仕組みだ。もちろん、通貨の信認という問題がある。やり過ぎれば通貨の信用が失われ、ハイパーインフレを招きかねないので、事実上は無限定という訳にはいかないが、最近のFRB、ECB、そして日銀などの異常な量的緩和策で通貨が大量に発行されているのをみると、各国が競って通貨安競争を繰り広げているようにも見える。NY市場の株価がもう10年も上がり続けているのをみると,通貨への信用が別の形で失われつつあるように感じる。ドルも,円も,ユーロも信頼出来ないとなれば,現物資産に行くしかないという訳だ。一昔前であれば金に向かっていたところであろうが,貴金属は皆が価値があると思えば価値があるというだけの話(実は通貨も同じだが),現代社会では保管・管理・移動の不自由さもあって,信頼を失いつつあるようにも見える。

 それに変わって登場したのが,仮想通貨と呼ばれていたビットコインなど。仮想通貨が法改正で暗号資産と名称が変わったが,まさにその名の通り,これは資産なのだ。ただ,一般からの信頼性という意味で,マイナーな感じがあったことは否めず,主流にはなってきていなかった。

 それが,Facebookだけではなく,ビザ,Uberなどの巨大企業が連合して信頼性が高い暗号資産ができれば,政府・中央銀行の恣意的な政策次第で価値が上下する通貨を上回る信用をえる可能性がある。

 そうなれば,各国政府は今と同じような中央銀行に頼った放漫な財政政策を続けることが出来なくなる。今はみんなで渡れば怖くない,で協調して量的緩和策が進められているので,主要通貨であるドル,円,ユーロのどれかが突出して通貨安が起きる,ということは生じていないが,政策によって左右されないリブラという基準が出来てしまえば,これからは量的緩和政策など放漫な財政をやっている国の通貨がすべて対リブラ安にくなってもおかしくない。

 結局,いくら通貨を増発しても事実上同じことになってしまい,増発益=通貨発行益が失われることになる。

 

 安定的な資産を求めるのは,時代の影響を避けられない個人にとって当然のこと。リブラの今後については注目していきたい。世界が,変わるかも知れないからだ。

国が苦しくなると・・・

 どこの国でも、国が苦境に立つと現れるのがポピュリズム。

 もっとも典型的なのは、第一次大戦後のドイツ。ちょっと前のイタリア、ベネズエラ、ギリシャもそう。アメリカもやはりポピュリズムが理性を制している状況だろう。

 さて、我が日本はどうか?

  Right Wing では、アベノミクスの名の下にバラマキ政策を続ける安倍政権。全方位にいい顔をしているその姿勢は、やはりその範疇。

 Left Wingでは、立憲民主党、国民民主党などの既存政党の枠を超えて、MMTを錦の御旗に突き抜けたポピュリズムを提唱するれいわ新撰組。

 左右両極端が突出し始めるのは決して良い方向ではない。第一次大戦後のドイツが、なぜあの方向に進んでしまったのか。熱狂を呼ぶ演説が正しい方向とは思えない。理性と真実は、静かな共感を呼びこそすれ、熱狂とはほど遠いものだからだ。

 そして、周辺を囲む政党は、タレントやコスプレ。

 残念というしかない。

 ポピュリズム、人気取り優先はもう沢山。そして、現状を打破するのはそう難しいことではない。

 日本の政治的不幸を解消する、①既得権益Free、②未来への負担先送りは止める、③党議拘束なし、それを支える自分で判断できる議員集団、④支出あるところに財源あり、といった原則を持つ責任感ある政党が立ち上がりさえすればいい。今度の参議院選挙では実現しなかったが、その未来を夢に抱いている国民は多いのではないか。

ポピュリズムの行く末

 ポピュリズムは熱狂を呼ぶ。選挙民受けを狙い,裏付けがなくとも無責任にシャウトできるのだから。だが,政権を担えばそうはいかない。

 現実主義に戻って失望を呼ぶか,ベネズエラのように国を破壊するかのどちらかだ。

 ギリシャでは,ポピュリズムの先駆けと言われ,前の選挙では勝ったチプラス政権が,就任当時の公約をほとんど達成出来ず,また国民からその「非現実的なバラマキ政策」政策に嫌気がさされて退陣の運び,と時事通信が報じた。つまり前者。しかし、後者よりもずっとマシの結論であった。