人口減少に伴う供給減少と需要減少

皆さんは、周りで「あれ、なんだか人が減ってきているな」とお感じになるようなことはないでしょうか。 

先日、大手住宅メーカーの方とお話をする機会がありました。その方から「職人さんの手が足りない。若い人の職人の成り手がなくて職人さんが高齢化してきている。」「忙しい時には県をまたいで職人のやりくりをしている」というお話を聞きました。県をまたいで職人を呼ぶとなればコストもかかります。静岡の中心街でも、それまで昼と夜とに営業をしていた飲食店が、人手不足のために夜の営業を取りやめざるを得ないというような話を聞きました。店を開ければお客さんが来るのに、店員の確保ができないから店を閉めざるをえないというのです。 

今、日本人の生産年齢人口(15歳以上65歳未満の人口)は極端に細ってしまっています。この先も細る一方で、当面回復の見込みはありません。普段我々は「少子高齢化」というと、人が少なくなる=物を買う人が少なくなって市場が先細る、という「需要不足」に目を向けがちです。確かに静岡の中心街でもシャッターを下ろしている店舗が増えています。しかしその反対側にある「供給不足」、つまり働き手不足ということも、日本経済を襲う一つの深刻な要素となっています。店主の高齢化、後継者不足、人手不足のために店を開けられないというお店がある。労働力の供給不足によって企業活動をやめざるを得ない企業が出始めているわけです。 

人口がなだらかに減っていくというのならば、そんなに大きな問題にはならないでしょう。しかし、今日本を襲おうとしているのは、1年間に70万人、80万人というジェットコースターのような急激な人口減少社会です。これは日本の先行きを必ずや危うくしていきます。この人口激減に対する緩和措置を私達は考えていかなければなりません。 

私は、日本人は、現実を直視することや、今までのやり方を変えるのを嫌がる特性があると感じています。日本人はかつてブラジルやアメリカ、満州などに移民として出ていったわけですけれども、受け入れる側となると大変な拒否反応を示します。実際、欧州では数万人,数十万人単位で移民を受け入れているのに対し、日本では数十人単位です。その一方で、「技能研修者」とか「研修生」という非常にあいまいな名目で、実質的には外国の方を、非常な低賃金で受け入れているという二重構造もあります。私は国会に行くと、東京で食事をしたりコンビニに行ったりもする訳ですが、東京の中心部のコンビニの店員さんはほとんどが外国の方です。静岡の中心部でもコンビニや飲食店の店員さんに外国の方が増えてきています。 

今の政府のバラマキ政策を見てもそうですが、現実から目を背け、なんとなく言葉でごまかす、という場当たり的な政策を続けていけば、いつの日かどうしようもない非常に大きな現実が我々の目の前に立ちふさがってきます。日本経済は、人口減少に伴う供給減少と需要減少の両面から、負のスパイラル、大きな縮小局面に陥ろうとしています。私達はもうそろそろ、外国人労働者の導入を正面切って考えなければならないという時代にきているのではないでしょうか。外国人に対し、従来通り、日本で働くことについてハードルの高いやり方を続けていっていいのか、それとも移民受け入れも視野に入れた政策をとるのか。

正面から議論を始めなければ、日本という国が、労働力不足という面からも崩れてしまうのではと危惧しています。

 

 

 

自衛隊日報の問題・異次元緩和と出口政策

【自衛隊イラク派遣部隊日報発見について】

今週、イラクに派遣されていた自衛隊の日報が新しく発見されました。

これがみつかったこと、そしてそれを報告したことは妥当かと思いますが、問題なのは、これが見つかったのが昨年の3月だったということです。つまり、みつかっていたのに、1年以上これが隠されていたというわけです。

私はこれは極めて重要な問題だと考えています。というのも、自衛隊というのは、文民統制、シビリアンコントロールといって、内閣や、あるいは防衛庁の事務方のコントロールに服さなければならないとされているからです。これは、皆さんもご承知のとおり、戦前、軍部が独走し、満州事変や日中事変を起こし、あちこちで爆破事件や謀略事件を起こして戦争を拡大していったという苦い経験があるからです。世界中の憲法においても、シビリアンコントロールは大変重要なものとされています。

国会でも取り上げられていた問題の文書を、1年も隠したままにしておいたということ。これは大変な危機感をもって考えなければいけないことだと思っています。

今の政治の問題点は、やはり公平中立であるべき行政が、あちこちの点で歪んできてしまっているということだと思います。官僚が都合の悪い文書を隠すということは、薬害エイズ問題の時から行われてきたわけですが、加計学園や森友学園の問題しかり、今はそれが政治への配慮という形もあいまって行われている。ここで公文書管理を徹底していかないと、将来の日本に禍根を残すことになってしまいます。ですから文書がなくなったとか、書き換えられたということについては、政治家の関与の有無にかかわらず、緊張感をもって正していかなければならない事案だと考えています。

 

【日銀による異次元緩和と出口政策について】

国会では今年度予算案が衆参両院を通過し、現在は、一般質疑が行われています。

先日は、私が所属する財務金融委員会に日銀の黒田総裁がおいでになり、無所属の会の野田元総理が様々な質問をぶつけておられました。

財務金融委員会という、国の財政規律、金融行政をつかさどる委員会として、まさに大変重要なやりとりが行われたわけです。

そこでの質問は、大きく言えば

1.黒田異次元緩和の5年間の総括、2パーセントのインフレ目標が果たして妥当なのかという点

2.日銀のバランスシート(日銀がお札をどんどん発行して国債を大量に買い入れていること)が妥当かどうか

3.異次元緩和の出口政策(この政策をどうやってやめていくのか)

について、1時間にわたり、真っ向からの議論が行われました。

黒田総裁は、アメリカでいえば、FRB(アメリカの中央銀行)理事長に当たります。FRB理事長といえば、アメリカでは大統領の次に重要な人物であり、議会で発言をするとなれば、アメリカのみならず世界中から大変な注目が集まるようなイベントですが、残念ながら今回の財務金融委員会での回答について、報道機関はほとんど報じていません。この無関心は、日本の将来に大きな禍根を残すのではと私は危惧しています。

 

 1.について

黒田総裁は、2パーセントのインフレ目標を一体いつまで続けるのかという質問に対し、明確に「まだ続ける」と回答しました。いくらお札をすって国債を買い入れても、ちっともインフレが起きないのはなぜかという問いに対しては、原油価格が低迷しているからと答えました。しかし現実には、リーマンショック後に20ドル台にまで低迷した原油価格が今は60ドル台です。最安値に比べて3倍も高くなっているわけです。この状況をみると、原油価格のせいだけにしておいていいのかということに、私は率直な疑問を覚えました。

  2.について

次に日銀のバランスシート、平たく言うと、日銀が大量にお札を発行して、大量に国債を買い入れている状況についてです。こういうことをしていって、果たして日本が本当にもつのかという問題があります。

例えば国債について。これは金利が上がれば、低い金利の時に発行された国債の値段は下がります。例えば今、10年ものの国債の金利は0.1パーセントくらいです。もし仮に本当にインフレが起こって、10年ものの国債の金利が3パーセントくらいに上がったとすると、利子から見れば2.9パーセント、100万円の額面だとすれば、買った人は毎年29,000円も損することになるわけです。毎年29,000円の10年分とすると29万円ですから、約30パーセントも価値が下がってしまうわけです。ですからもし、本当に異次元緩和でインフレが誘発されると、日銀は持っている資産のほとんどが国債ですから、それが暴落し、大損を被る危険性があるわけです。

 そうするとどうなるのか。地方銀行や信用金庫は中長期の国債を大量に抱えています。国債が暴落したときに真っ先に危機に陥るのは地方銀行や信用金庫、そしてほかならぬ日本銀行自身なわけです。皆さんご記憶でしょうか。バブルが崩壊し銀行がバタバタと倒産していったとき。本来であれば、こういう時に最後の貸し手、最後の救済先となるべき日本銀行が、国債破綻が来た時に真っ先に経営危機に陥る。こんな悲喜劇は世界に例がありません。

この日本銀行のバランスシートの拡大、つまり大量に買い入れてしまった資産が目減りすることによって、自己資本が極めて少ない日銀が危機に陥ってしまうわけです。これは、国の経済の行く末を左右する問題ですが、正面から取り上げて問題視する政党や政治家は、残念ながらまだまだ少数です。この問題についても重要な議論が行われました。

 3.について

これは今の国債の暴落に大きく関わりますが、日銀による国債の買い入れをどうやってやめていくかということが、今、大きな問題になっています。

例えば突然日銀が「来月から国債の買い入れをやめます」と発表したらどうなるでしょうか。国債はその途端に暴落します。今、日本の国債は引き受け手がありません。民間の金融機関は暴落を恐れて買い入れをしていません。また、今、一般家庭では家計に預金する余力がなく、一昨年くらいから預金を切り崩す生活が始まっています。したがって金融機関も国債を買うお金がありません。そうすると日銀が買い入れを止めれば、国債が余ってしまうわけです。

そうするとどうなるのか。例えばギリシャのように、国債の金利を14~20パーセントと非常に高い水準に設定していかなければならない。そうなれば、先ほど申し上げたように、既存の国債の価格は暴落してしまうわけです。

「日銀は出口政策を取れないのではないか」という観測すらあります。

「金利固定政策」あるいは「金融抑圧」とも言いますけれども、戦後、イギリスではそれが行われました。イギリスの中央銀行が金利を無理やり固定するやり方をとり、その結果、イギリスのポンドの価値がその当時の1ポンド1000円からどんどん値下がりし、今は1ポンド150円です。

もしも日本銀行が出口政策を取ることができず、金融抑圧を続けていけば、次に起こってくるのはおそらく円安です。それも長期間持続的に続く円安だと言われています。輸入品でほとんどが賄われているわが国では、円の価値が下がることで物価が軒並み値上がりするという、「悪いインフレ」であるコストプッシュ型のインフレが起こります。このインフレが10年20年と続いていけば、我々の生活はむしばまれていきます。コストプッシュ型のインフレでは私達の給与や年金は上がりません。収入はそのままで、食料や電化製品、ガソリンなどすべてのものが値上がりしていけば、私達は食べるものも食べられないような大変苦しい時代を迎えなければならない。この日銀の異次元緩和というバラマキ政策を続けて行けば、私達の子供たちや孫の世代にも禍根を残してしまうことになるわけです。

こうした本当に大きな問題がちらちらと見え隠れしているのに、見ようとしていない。

野田元首相が黒田総裁に問いただした時にも、黒田総裁の回答は「(回答するのは)時期尚早である」というものでした。「近づいてみないと何も言えない」と。

実際のところは、出口政策を語ることが不可能であるから語らない、それを言ったとたんに国債と円の暴落が起こる、その引き金をひくことを恐れて黒田総裁は出口政策を語れないのではないか。私はそう推察しています。

 

おいしいことだけ言って、厳しい未来は見ないふりをする。それではだめなのです。それは第二次世界大戦に突入していった戦前の日本と重なります。勝算の有無や経済的メリットの有無などについて国民に一切説明しないまま、なんとなくのムードで日中戦争、太平洋戦争に突入していった。これと同じことが経済における戦争、すなわち、私達の未来をおそらくは取り崩していくであろう円安の長期間にわたる進行、それによる生活苦、実質的な収入減、こういったことを見てみないふりをする。すぐに目に見えるものではないからと言って説明しないでいる。そして報道機関もこれを報道しない。そして、我々が知るのはそれが現実になったときです。なぜこんなに生活が苦しいんだろう、と、現実になるときまで、我々が気づく時がない。今我々は、こういう蟻地獄のような状況にいるわけです。

私は、本当の姿が、国民の前に提示される必要があると考えています。報道されているのはほんの一握りです。我々は報道されているものだけではなく、その先にあるものに目を向けていかなければなりません。今さえよければそれでいいというこの社会がいつまでも続くわけではありません。気づかない内に、情報が開示されない内に、我々が知らされていたのとは違う世界に導かれつつあるのです。

本当の姿を知ったうえで、選択する道を我々自身が選び取っていける、そういう世の中になっていかなければ、日本は本当の先進国あるいは民主主義国家とは言えないのではないでしょうか。

 

日銀異次元緩和と出口政策

昨日は午前は財務金融委員会、午後は本会議で法案採決と二本の審議、終わるや否や財務金融委員会再開と充実した一日であった。

そんな中、私的なハイライトは財金での黒田日銀総裁と野田元総理の重量級、横綱対決。近未来から50年先までの日本の未来を左右しかねない、日銀異次元緩和と財政収支の問題を正面から取り上げることは財務金融委員会のまさに本筋。黒田総裁の5年間の任期すなわち異次元緩和の総括から始まり、テーパリングと呼ばれる出口政策や日銀バランスシート拡大への懸念、そして何よりも愁眉の出口政策まで、この人しか聞けない、という感じで野田さんは真っ向から切り込んでおられた(念のため言えばこのところ野田元総理を高く評価させていただくことにつき政治的思惑は一切ない。財金における真摯な姿勢とその知識が群を抜いておられるからだ)。

黒田さんも丁寧に自分の言葉で答えておられてさすがだったが、残念ながら出口政策についてはそれを語るのは時期尚早の一点張り、アメリカFRBの政策では予見可能性が強く求められそれ故にきちんとFRB議長は答えていることとは対照的に思われた。

私などはお二人の議論をワクワクしながらメモなど取りつつ聞いていたが、残念なのはこれだけの重要なやり取りが必ずしも注目を浴びていなかった点。臨席していた記者は1〜2名と森友が扱われている時とは雲泥。FRB議長の議会証言は全米どころか全世界の注目が集まるのだが。

また午前中の与党委員の質問で気になったものが。国公立大学の授業料を留学生は納税していないのだから高くしろ、との質問が。留学生は日本を理解してくれてそれを母国で広めてくれる大切な存在。フルブライトの宮澤元総理の例を持ち出すまでもなく留学が日米間の友好関係の基礎となった。短絡的と言わざるを得ない。

目的と手段

昭和の前半、軍部が政治を超越することを可能としたもの、それは「統帥権干犯」というマジックワードだ。

この言葉によって議会も内閣総理大臣も、軍部(陸軍参謀本部や海軍軍令部)の意向や方針を尊重せざるを得なくなったのだが、これを考えついたのがあの北一輝、これを政争に利用したのが犬養毅、鳩山一郎だったという。

政治に関わる者、特に野党側は政治家であろうが運動家であろうが大なり小なりの問題で「目的のためなら手段を選ばず」という事になりがちだが、このやり方は短期的には兎も角、中長期的には大きな禍根を残すことも多い。優れた政治家である小沢一郎氏が導いた二大政党制への歩みが頓挫しているのもこれが原因ではと推察している。

人のことをとやかく言っても仕方ないので、少なくとも自身はこの弊に落ち入らないよう、「まっとうな目的のためにまっとうな手段」で歩んでいきたい。

政治の世界

弁護士出身の私にとっては政治の世界は常に驚きに満ちている。

司法というのは限りなく建前を貫く世界。

政治は何でもあり。常に情勢を見てあっちに行ったりこっちにきたりが当然のようだ。そこでは事実が都合の良いように拾われたり捨てられたりしている。この繰り返しがあの愚かな日中戦争や太平洋戦争を生み、現在にも続く大政翼賛会的気風の根源となっている。公平とは何か、公正とは何か、そこを冷静に見つめられない限り日本の政治や精神風土が一歩進むことはないだろう。

平成30年度予算案

昨日(3月28日)、平成30年度予算案が参議院で可決されました。

深刻な税収不足により、赤字国債に頼っているという状況であるにも関わらず、今回の予算案の歳出額は過去最高です。

その一方で、所得税法の改正により、大企業に対しては税額控除の拡大がなされる一方、給与所得者、年金受給 者に対しては、給与所得控除額、年金等控除額の引き下げという目に見えにくい形で、実質的な増税が強いられることになります。文句を言わないところからはとる、大企業は優遇するという不公平なやりかた が進んでいるのです。
法人の税額控除がなされても、企業の内部留保が増えるだけで、景気がよくなるわけではありませんし、 財政のバランスもとれません。財政の均衡が崩れ続ければ、その先にあるのはインフレか、国債の破綻か のいずれかです。インフレがやってきたにもかかわらず給与や年金が上がらなければ、国民の生活は苦しくなる一方ですし、国債が破綻すれば金融機関は軒並み破綻です。そして、このまま進んでいけば、その どちらかの苦難が日本に降りかかってくるのです。

このような危機的状況にあるにもかかわらず、私が所属する財務金融委員会の中で、この問題に言及する議員はほんのわずかしかいません。マスコミ各社もとりあげることはありません。まっとうな未来のため には、財政の立て直しは急務です。もちろん、苦難はあるかもしれません。しかしこれは、私達ひとりひ とりが、目をそらさず、見据えていかなければならない問題なのです。

それはあまりにも苦い道です。けれども、今のようなやりかたが続けば、あと10年後には、「なぜあの とき、政府のやり方に反対の声をあげなかったのか」と思う日がやってきます。しかし、それでは遅いのです。
私達は、このような現実を見据えるとともに、その是正のために政治がきちんと仕事をしているのか、政 治家が日本の未来を考えているのか、そういうことについても、目を開き、耳をすませて、知っていく必 要があるのではないでしょうか。

森友学園決裁文書改竄と今後の日本の在り方

 本日、3月27日、佐川前理財局長の証人喚問が行われます。

 私は、この問題の本質は、佐川さんが文書を改竄したとか、それを理財局が単独でやったかどうか、というところではなく、本来公平中立であるべき行政というものが、総理大臣の意向を気にしなければいけない状況にゆがめられてしまっているという、今の日本の権力構造にあると思っています。

 改竄を誰の指示でやったのかについて、今日、厳しい追及が行われるでしょう。そして、その結果もなかなか困難なことが予想される。しかし、問題の本質はそういうせせこましいところではなくて、財務省理財局という、国の中枢の中の中枢という行政機関のトップが、政治に対してそこまでの配慮をしなければならないというような今の日本の状況に問題があるのだと思っています。

 

 さて、今、安倍内閣の支持率が下がっています。国会の前では連日デモが繰り広げられています。しかし、私はこれが、森友あるいは加計の問題だけに終わってしまってはいけないと思っています。

 1960年代、日米安保闘争というものがありました。樺美智子さんという学生がデモ隊と警官隊との衝突に巻き込まれて痛ましい死を遂げられた。大変なデモが今にも増して繰り広げられていた。しかし、当時の岸内閣が日米安保条約を締結して退陣したとたん、潮が引くようにその運動は去っていきました。

こういったことの繰り返しが今の日本の政治状況を作っている。本来、与野党の対立は、スキャンダルとかそういったものではなく、国の在り方自体をどういう風にしていくのかについての大きな大局的な見地からの争い、考え方の差異によるべきものだと思っています。今の日本でいえば、例えば外交で言えば、戦後75年間続いてきた、アメリカの意向に沿うような今のやり方を続けるのが正しいのか、あるいは全方位外交、アジア中心の外交というような、アメリカとも仲良くしつつ、そのほかの国とも独自性をもって日本独特の外交を繰り広げていく、そういう独り立ちをすべきであるのか。もしくは、これは国防とも関係してきますが、一定の軍備を持った上でスイスのように中立を目指していくのか、はたまた憲法が謳う通りに諸国民を信頼し、国防は撤廃ないしは最低限まで縮小して理想に生きていくのか。

ところが、日本では大局的な見地が語られることはありません。憲法9条の問題でも、その文言だけに些少され、些末な議論が行われている。こんな状況で憲法だけ改正しても何の意味もないと私は思っている。もしどうしても憲法9条を改正するというのであれば、今の日本の在り方・・・戦後75年たっても立ち入ることのできない、武器も人も出入り放題の米軍基地、首都圏の空域の75%を日本の航空機が飛ぶことができない今の状況をいつまでも放置していくのか、それとも一定程度のものが言える国になっていくのか、そういった大きなこの国の在り方自体を考える必要がある。

しかし、今、残念ながら、こういった骨太の議論は、選挙でも国会でも行われることは少ない。

もし憲法9条について語るのであるならば、必ずそこに国の外交の在り方や国防の在り方をからめて話さなければならないはずです。「文言だけ手直しする」と言っても、そこにはそれ以上の意味が本当は込められている。あまり知られていませんが、2012年にアメリカのアーミテージという元国務副長官が、日本とアメリカの在り方をこういう風にしていったほうがいいというアーミテージ・ナイ・レポートというペーパーを出した。今の日本の安保法制、そして憲法9条の改正は、その筋書き通りに進んでいる。それが今の憲法9条の改正問題です。私は「今の憲法9条の文言が、自衛隊にかわいそうだから変える」という安倍首相の説明には納得はいきません。しかし、憲法を絶対に変えてはいけないとまでは私は思いません。国民の議論のもと、戦後75年を経て、憲法の改正がどうしても必要となるのなら、その本質をついたところでそれを議論するのはいいことだと思っています。しかし、憲法9条について、言葉の上だけ「自衛隊がかわいそうだから変える」というのは明らかに欺罔です。

 我々は言葉に騙されるということは避けなければなりません。

 私は安倍政権を批判していますが、それは自民党政権だからという理由ではありません。過去の自民党政権、例えば小泉内閣について、私は一定の評価をしていました。それはなぜか。それは、「なぜそれをしなければいけないのか、なぜその政策が必要なのか」を公にし、賛否はあるにしても正直に国民に問うたからです。

 日本に今必要なのは、厳しい現実をきちんと国民の目に提示し、大局的な見地から日本の行く末にとって本当に必要な選択を迫っていくことです。今のように、国民に選択肢が提示されないまま、重要な政策が次々と変更されていく姿にこそ真の問題点があると私は思っています。国の在り方について国民的な議論を呼び、どちらにするのかを決めていく、その中で憲法9条の議論もなされるべきです。それなのに、今は些末な議論に終始してしまっている。

 森友加計問題は重要な問題です。しかし、その問題を超えていったその先にあるべきは、スキャンダルで内閣が倒れるということではありません。正々堂々と、日本の将来の在り方について骨太な問題での議論が行われ、そこで支持されるべき政党が決められていくという、それこそが本当の民主主義であると私は思っています。

ひとりひとりが、大きな視点から考える。

【森友学園問題について】

 森友学園問題で、財務省が決済を行うための文書を改竄していたとの報道がなされました。先週行われた財務金融委員会で、政府側はこの改竄問題について3月6日に報告を出すことを約束し、麻生財務大臣は、改竄が事実であれば「ゆゆしき問題」とも答弁しています。                             3月6日の参議院予算委員会ならびに衆議院財務金融委員会においてこの問題が取り上げられることになっていましたが、開示された財務省からの回答が不十分だったことから、与野党間で協議が継続しており、結局、委員会は開催されていません。
   膠着状態に陥っていると思われた森友問題ですが、本当に改竄が行われていたのであれば、国の行政を揺るがしかねない問題です。
 日本における公文書管理の問題は不透明と言わざるを得ません。アメリカでは50年たてばどんな文書でも開示されます。日本では日本銀行にあたる、アメリカの中央銀行(FRB)では、5年たてばすべての議事録が開示されます。
 森友学園問題も、文書開示等を含め、1日も早くすっきりと解明されることが必要です。

【憲法9条について】
 憲法9条の改正が大きな政治テーマになろうとしています。
 日本が今後、どのような防衛政策をとっていくのかは、日本の安全保障に大きく関わってくる問題です。この問題を考えるときに欠かせない視点は、日本が今後、世界の国々とどういう関係を結んでいくのか、というものです。
 これまでのような対米協調路線で、世界に自衛隊を派遣できるような、アメリカ流の「普通の国」になっていくのか、それともアジアにおける平和を追求する独自路線を歩む国になっていくのか。我々は憲法9条をめぐる議論するとき、このような大きな日本のあり方を念頭に置くことを忘れてはならないと思います。
 ただ憲法9条に「自衛隊」の名前を書くか書かないか、ということであれば、私は全く必要ないと思っています。日本のほとんどの憲法学者は、今のままで自衛隊は合憲だと言っています。ですから私は憲法9条を改正する必要はないという立場にあります。
 しかしながら、今の日本の軍事・外交の在り方については「見直す」というよりは、1から日本の将来の在り方を決めていくべき時期が来ていると思っています。
防衛政策、安全保障について、今のままでいいのか、ということは、憲法改正という方法ではなく、日本の将来的な在り方や立ち位置から考えるべきだと思っています。

【財政について】
 日本の将来の在り方を考える上で大切な問題の一つは財政の在り方です。
 日本の財政は困難な状況を迎えています。今、日本の借金は1200兆円です。国債だけでも800兆円を超えています。
 ちょうどイギリスが第二次世界大戦後に今の日本と同じ状態に陥りました。
 戦争直後、1ポンド約1000円であったものが、現在は1ポンド約100円にまで値下がりしてしまったのです。これは、イギリスの価値が、長い時間をかけて、10分の1にまで下がってしまったということです。
 イギリスは、第二次世界大戦直後、戦争のために大変な戦時国債を抱えていました。イギリスは、この戦時国債について、金利を下げることなく徐々に返済をしていくという選択をし、このためにポンドの価値が値下がりしていってしまったのです。そして、1970年ころまで盛んに言われていた、いわゆる「英国病」という、経済の長期低迷に陥ってしまったのです。
 もしも、今日本が、国債の破綻や急激な金融危機に見舞われないとすれば、待ち構えているのは第二の「英国病」です。これから数十年をかけて、徐々にインフレが進行していくのです。それも、いわゆる「コストプッシュ型」と呼ばれる、円安に伴い輸入物価が上がり、輸入物価に引っ張られて物価だけが上がる、というインフレです。そこに至るまで我々の生活は、真綿で首を絞められるように、徐々に徐々に苦しくなっていくのです。
 このままでは日本は、「英国病」ならぬ「日本病」に陥っていきます。
 現在、日米とも株価が非常に不安定です。さらに「ミラー相場」と呼ばれ、アメリカの株価に連動して値動きをするのが通常だった日本の株式が、アメリカの株価が上がっているにも関わらず大きく下げるということが目立つようになってきました。その理由は、日本の景気が「作られた景気」だからです。日銀が、国債を買うために円を増刷して国債を買い続け、お金が余り、不動産等は需要がないにも関わらず価格が上がっていく。株式についても、日銀やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が買い続けることで上がり続けていく。それが不自然であることに多くの人が気づきつつあるのです。
 株式相場の下落も大きな問題です。今、日銀は大変な株式を抱えています。日本の一部上場企業のほとんどで、日銀がトップ5に入る株主になっています。これは異常な事態です。ここまで株を抱えている中、もしも株式の暴落が起これば、日銀の財産が大きく目減りすることになります。本来であれば、金融危機の際、一番しっかりと他の金融機関を支えなければならない日銀が、株式の危機の真っただ中に放り込まれた時に起こる金融不安は大変なものです。
 私達は今、表面上、平穏な生活を起こっていますが、それは、このような不自然な政府の政策に支えられているからです。けれども、その副作用は、徐々に私達の生活をむしばんでいきます。物価は上がっても、年金や公務員の給与は上がらないどころか切り下げられていくことになります。
 我々は、中・長期的に、戦略的視点から、冷静に状況を分析していく必要に迫られているのです。

【教育について】
 アメリカではフォードやクライスラーなど、全盛を極めていた有力な製造業が次々に破綻していきました。しかし、そこから、マイクロソフトやアップル、グーグル、アマゾンなど、世界を支配する大企業がどんどん生まれてきているのです。
これはなぜか。
 それは、アメリカには自由があり、創造性を育てるような教育が行われているからです。
 アメリカの大企業では、スーツで通勤する人はほとんどいません。広大な自由なレイアウトの会社に、皆が自由気ままに出勤していくのです。大学の入試でも、一握りの受験エリートのみを入学させるのではなく、多様性を重視した選抜システムが取り入れられています。
 このように、多様性や自由を重んじる教育に切り替えていったとき、日本人はまだまだ伸びることができるはずです。
 今の日本のやりかたは、やや時代にそぐわないものだと私は考えています。確かに、今の教育は、少し前までの、製造業中心の産業には合っているかもしれません。上司の指示に逆らわず、言う通りにするという人々を育てる教育です。しかし、製造業は今、人件費の安い発展途上国にどんどん移っています。今後、日本という国が勝ち残っていくために必要なのは、人間の多様性や創造性なのです。多様性のある社会、創造性のある社会を実現するためにまず必要なのは教育の改革です。

【中・長期的な視点、大きな視点で】
 今のように野放図に財政でバラマキをしていく。しかもその原資は日銀による国債の借り入れで続けていく。こんなことをいつまでも続けて行っても、日本の社会は苦しくなっていくばかりです。
 こういった、国の行く末を見据えた大きな議論が、残念ながら日本ではほとんど行われていません。
 保育園の問題にしてみてもそうです。保育園に対してどういう投資をするのかというのは非常に重要な問題だとは思います。けれども、それだけではなく、国の方針として、本当に子育てを中心にしていくのか、そして、限られた財源の中で、何を切り、何を節約して子育てにまわすのか。日本という国をどうしていくのか。そうした、10年、20年先を見据えた戦略が日本には欠けているのだと思います。
今行われているのは、日銀が国債を無限に近い形で引き受けていき、それによって財政の規律が失われ、何にでもお金がばらまける、そのバラマキ先を喧々諤々している、私には、そんな世界に見えます。しかしそんなことは長くは続きません。このツケを払うのは、今、政治の中心にいる人たちではありません。今の30代、20代、10代の人たちが、今後数十年にわたって、重い苦しい道を歩むことになってしまうわけです。
 私達は今、立ち止まって考えるべきです。
 本当に今の予算の在り方、財政の在り方でいいのか、将来に向けた在り方はこれでいいのか。防衛にしても、教育にしても、外交にしても、憲法にしても、30~40年先の国の行く末を見据えた議論をしていくべきです。
 日本がまだ力があるうちに、日本という国の在り方を見つめなおす。
 日本にまだお金があるうちに教育の在り方や社会保障の在り方を考え直す。
 50年後、100年後に、国民がもっともっと幸せになれるような国の在り方を、国民ひとりひとりが、大きな視点から考える時期に来ていると思います。

財政危機、異次元緩和の行き着く先

  財政危機、異次元緩和の行き着く先についての私見を少し詳細に。

 私はかなり前からその危うさを訴えて来ましたが、ようやく最近、異次元緩和に「出口なし」を意識する評論家が増えて来ました。私が属する財政金融委員会でも、出口についての心配が、プライマリーバランスと合わせて議論がされ始めています。

 これについての私見です。

 日銀が通貨発行権に基づき国債を無限に買い支えていけば、ギリシャ危機型の財政・国債破綻は起きにくいでしょう。国債破綻が言われて久しくなりますが、日銀が「異次元緩和」の名の下に買い支えに走っている以上、買い手不在による急激な国債破綻は起きないかもしれません。しかし、円の発行量は毎年毎年膨張していきます。日本という国の総体の価値が増えていないのに、「お札」の量だけ増えて行けば、間違いなく円の価値や信用(これを「信認」といいます)は失われて行き円安が進んで行きます。
 

 現在のところ日本は、トヨタを始めとする自動車産業が健在なので、ジンバブエのような急激な通貨安を伴うハイパーインフレは起きにくいでしょうが、じわじわと進む円安とそれに伴うコストアップインフレは十分に起こり得ます。1970年代と違い、経済成長に伴うインフレではないため、庶民の収入は上がりません(輸出企業が競争力のあるうちは輸出企業に勤める一部の方の収入は上がるかもしれませんが)。仮に年3%の比較的緩やかなインフレでも10年続けば30%の物価高です。給料や年金が上がらなければ、3分の1の大幅減収と同等となります。真綿で首を絞められるようにじわじわと長い年月をかけて庶民は痛めつけられていくこととなります。もっとも、AIの進歩で自動運転が進めば規制でがんじがらめ、さらに創造力に欠ける今の日本企業(自動車会社も例外ではない)一気に主役の座から転落し、ハイパーに近いインフレに見舞われることもあるかもしれません。

 将来を見据えた国民的議論が必要です。

日本の政治を巡る一考察

戦後,社会党を中心とした日本のリベラル勢力はついに政権を奪取できなかった。このため,小沢氏の力業による政界再編の嵐が吹き荒れた中,社会党は分裂し,多くの議員が民主党へ参画し,保守系議員らとの寄り合い所帯である民主党が政権を担うこととなった。しかし,そのことが果たして日本の政治について良かったのか否か。
私は長期的な時間軸でみたときリベラル側に現状分析が足りなかったと考えている。
日本は戦後,高度経済成長の波に乗り,基本的には全国民が経済的に年々富んでいく状況にあった。このような時に支持を集めるのは,洋の東西を問わず基本的に保守政党だろう。また,当時の社会党も「反対政党」という位置付けではあったが,きちんとその役割を果たしていた。政権を取るだけが政党ではない。少数側の意見を確実に届けるということも,民主主義政治にとって大変重要な仕事,役割だ。しかし,政権を担えない,ということの焦りから考え方の全く違う政治家たちと結集したのは致命的な誤り。政党とは一定の政治理念に基づく政策を実現するために存在する集団。考え方が全く異なる政治家たち(皮肉にも,今の民主党代表戦において,まるで政党間の争いのように対立軸がはっきりしているところによく現れている)が政権獲得だけを目的として集合してもまともに政権運営などできるはずもなかったのだ。
このような焦りをみせずとも,やがてリベラル勢力が必要とされる時期が必ず来たはずだ。それは,徐々に姿を現しつつある日本の凋落と国民の大多数の窮乏が誰の目にもはっきりする今後の5~10年後には遅くとも訪れたであろう。私は強く危惧する。このままリベラル勢力が「再びの失意」とともに雲散霧消してしまうことを。