勇気ある提言を潰すな。ダイヤモンド・プリンセス号の悲劇は今後に活かすべき。

ダイヤモンド・プリンセス号の乗客の方2名がご逝去された。80代の男女の方とのことで、楽しみにされておられたであろうクルーズの旅で思いもよらぬ結果を迎えられたこと、お気の毒でならない。心より哀悼の意を表させていただく。

 

さて、昨日、岩田教授のご報告について触れた記事を書き、日本版CDCの必要性について訴えさせていただいた。同様にこの岩田教授の報告について書かれた方がおられたが、厚労省のドクターの反論のようなコメントが発表されたところ、いきなり手のひら返しのブログを書かれておられて驚いた。

感染症の隔離対策は、徹底的になされなければ意味がないことは素人でも理解できる。マスクが予防に意味が乏しいとされている理由は、隙間などがあるため100%ウイルスの吸入を防ぐことができないから、と説明されている(「マスクの効果と正しい使用方法」)。それと同じで感染症に対する隔離対策も万全を期さなければ意味がない。手探りではダメで、予め定められた行動計画に沿って最初から周到に行われるべきであった。今回、船内におられたアメリカの総合医のドクターの証言からも対策が不徹底であったことは十分に伺えるところだ(PRESIDENT ONLINE)。

 

ただし、私が訴えたいのは今回の感染症対策不備の責任追及ということではない。

あくまで不備は不備と認めてそれを参考に今後に万全を期すべき、ということだ。

まずは、現在のダイヤモンド・プリンセス号にまだ残された方がおられる以上、船内の隔離対策を万全とすること。次に将来の事態に備えて、早急に日本版CDCのような感染症対策の専門家チームあるいは組織を具体化させることだ。

 

岩田教授は「船内のゾーン区別に改善があった」ことを動画削除の理由としておられる。勇気ある告発をされた方を「正義を振りかざし調整できない専門家」などと非難しては、今後も同様の事態が起き、そして改善のための提言をする者もいなくなるだろう。動画は削除されても、貴重な提言は今後に活かすべき。事実上の日本政府の管理下において、ダイヤモンド・プリンセス号で多くの方に感染が拡がり、死者まで出られる事態となったことを重く受け止めずして今後の再発防止などあり得ないからだ。

ダイヤモンド・プリンセス号の過ちを繰り返すな!日本版CDCを設置すべき

ダイヤモンド・プリンセス号におけるCOVID−19(新型コロナウイルス)のホットスポットのような感染の拡がりように、内部は酷いことになってそうだとは思いましたが、ここまでとは。

海外経験も豊富で日本における感染症の先駆者として著名な神戸大学の岩田健太郎教授が、色々な手段を尽くして何とかダイヤモンド・プリンセス号の内部に入り込み、感染拡大防止対策の悲惨な実態を目にされたこと、そしてそれをある部署に訴えたところ、ダイヤモンド・プリンセス号から1日で追い出されたことをYouTubeで自ら報告されています。

感染危険区域(レッド・ゾーン)と安全区域(グリーン・ゾーン)が区分されていないことや、マスク・手袋などの感染防止対策がまちまちなこと、患者の隔離がなされておらず通路で何の気なしにすれ違うことなど、乗員・乗客のみならず医療従事者すら身を守る体制が全くできておらず、エボラやSARSの現地も体験されたプロ中のプロが初めて感染の恐怖を感じられたことを医学者の目で報告されています。なお、この報告で岩田教授が問題視されているのは、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客を下船させずに隔離したことではなく、船内での感染拡大防止策について無策に等しい状態で放置したことです。そうなった原因は、信じられないことに感染症専門家を入れずに厚労省の官僚が素人判断で押し進めたところにあるようです。医療チームもDMATという、災害派遣医療チームだったとのこと。

 

岩田教授には、10年ほど前に神戸でお話を伺ったことがありましたが、合理的な物事に対する評価はまさにプロそのものだと感じたことが印象に残っています。その岩田教授がここまでおっしゃるのですから、下船が開始されたとしても、船内に残る方たちのために、政府は早急に感染症専門家を派遣し、なおかつその専門家の意見を最優先して対策を立て直すべきです。結果には必ず相応の原因があるからです。

 

厚労省は、予防接種禍B肝といい薬害エイズといい、医学的知見が必要な感染症対策に役に立っていません。数年おきに新種のウイルスによる感染症が世界各地で発症し、なおかつ日本は観光立国で世界から旅行客が訪れる先となっており、今の脆弱な体制では、大惨事も起きかねません。日本版CDCなどの設置など抜本的組織改革が必要な時期でしょう。国会議員として働きかけて行きます。

IMFの声明が指し示す、日本社会の最重要課題。政治は本気で取り組め‼

桜よりももっと、日本の将来にとって極めて重大なニュースがあったが、その扱いは小さく、そして与野党共にほぼ無視している。

その一つは財政再建先送りの発表(NHK「諮問会議で財政悪化の試算 黒字化は2027年度の見通し示される」)。本来2020年に基礎的財政収支(PB)黒字化がなされるはずであったものが、2025年度に先送りされていたが、今度はそれが2027年度にまたもや先送りされてしまった。理由は税収が想定を下回っていること。

それはそうだろう。元々「計画」とは名ばかりで実現可能性が低い経済成長頼みの願望のようなプラン。名目3%・実質2%程度の経済成長が続くのが前提なのだから、叶うはずもない。そして、そのAプラン以外にBプランは無かったのだから、真剣に達成しようという気は最初から無かったのであろう。

もう一つは、IMFが協定4条によって加盟国と行うサーベイランスに基づく声明が発表されたこと。その中身が重要で、「aging cost」つまり高齢化社会のコストを賄うために「消費税率を2030年までに15%まで、2050年までに20%まで徐々に上げる必要がある」と示唆し、「調整を先送りするリスクは莫大であり、現在の高齢者に恩恵をもたらす一方、将来世代に不利益をもたらす」と指摘している。

さて、先般麻生大臣が、財務金融委員会において所信表明の中で「急速な高齢化等を背景として、社会保障給付費等が大きく増加している中、国民の安心を支える社会保障制度を次世代に引き渡すためにも財政の持続可能性を今後とも維持することが重要」と述べられたが、まさにそのとおり。上記2つのニュースはこの言及に密接に関連し、「桜」よりも「総理のヤジ」よりも重くて大切な問題だ。これらの点について、私に頂いた貴重な10分という時間で、財務金融委員会において麻生財務大臣に質問させていただいた。

先の国会ではF35が一機116億円で高いか安いか、野党の攻撃材料となった。国の予算は細部の合計なので、一つ一つの細部の価格についてこだわるのは当然なのだが、下のグラフを見ていただきたい。

これを見れば一目瞭然、近年公共事業費のみ近年の激甚化する災害対応のため目立つ伸びをしているが、社会保障費以外は、ほぼ横ばいか減少。歳出における真の問題は社会保障費にあり、それ以外については実は予算に与える影響は極めて少ない。

政府参考人によればこの10年の社会保障費の対前年度予算比の伸び率は2.9%とのこと。ちなみに、平成25年度の社会保障費は29.1兆円。3%複利が7年続けば1.22倍になるので、7年後の令和2年度予算は35.5兆円となるはずで、実際、今年の政府案では35.8兆円。予算は社会保障費の圧迫で限界的に硬直化している。

では、この伸びがいつまで続くか。

次に、下の重要なグラフをご覧いただきたい。

日本の未来社会の真の問題点は、人口減少・少子化ではない。高齢者層の人口に占める割合が上昇し、生産年齢人口と拮抗してしまうこと。2050年ころには現在約6割の生産年齢人口が約5割に減少し、逆に3割の65歳人口が約4割まで増大する。当然社会保障の負荷は、増え続ける。現在の3%の社会保障費増加が30年続けば、2.43倍。35.8兆円の社会保障費は87兆円にまで増える。ただし、そこで人口構成の変化は安定する。

したがって、この2050年までをどうやってしのいでいくかが、大問題。30年しかないともいえるが、準備期間が30年もあるともいえるのだ。

同じ委員会で、野田前総理が委員として、団塊の世代が大量に後期高齢者となる2022年問題を触れられたが、それと同じく、あるいはもっと大きな問題として、この2050年問題に政権与党だけではなく、野党も真剣に取り組んでいくべきなのだ。

そのためには、費用負担者である国民に強まりつつある不公平感を是正するために、

①所得税を今の階段状の税制ではなく指数関数的なカーブのものに変えて、本当の高所得者の最高税率を上げる

②法人税に数年前までのアメリカのように3段階程度の緩やかな累進性を取り入れる

などしながら「将来世代への負担先送り」を回避しつつ、「社会保障を次の世代に受け渡す」責務を果たすべきなのだ。

麻生大臣の答弁は、この問題の重要性と深刻さについて十分に理解されていることを示していた。概略を紹介すれば、

「社会保障関係費の予算に占める割合の伸びが債務の累増を呼び、政策の自由度が押し下げられている」、

「給付のかなりの部分を赤字公債で賄っているのは将来世代の負担となっている」、

「次の世代に社会保険などの社会保障制度を引き継ぐため、改革を実現しなければならない。中長期的に日本にとって最大の課題はこれだ、」

との答弁であった。

さて、この問題に対する解として、基本的な選択肢は3つしかない。

1 経済成長に期待を寄せつつ、社会保障費の伸びに合わせてその場しのぎの給付減と利用者負担増を図りつつ、不定期に増税を行う。(現在の政府の立場)

2 MMT的な発想で、財政赤字の増大を気にせず赤字国債を発行して歳入不足を補い、福祉の充実と少子化対策に万全を期しつつ基幹3税(消費税、所得税、法人税)には手をつけない。(国民民主党、れいわ新撰組(消費税は減税あるいは廃止))

3 将来的な人口予測と現実の経済成長を合わせ、社会保障制度を維持するための社会保障制度の負担軽減のための諸策と税収増を2050年までのタイムテーブルを立てて計画的に行う。

最後の3つ目が私の立場で、より具体的には経済成長については近年実績の実質1%程度の成長しか望めないことを前提に、行き過ぎた解雇規制の緩和を図ると共に非正規労働者の待遇改善(正規と非正規の待遇差別を認めない、派遣会社の報酬の在り方を規制(派遣労働者の給料からの搾取を規制)などして労働力の流動性を高め、不公平感の少ない生涯労働を可能とする社会を形成しながら社会保障費支出を削減し、同時に不公平感を解消するために消費税だけでなく、応能負担原則に基づき所得税と法人税改革を図る、というもの。

どれが正解か、現時点で正確に判断することは自然科学ではないので不可能。しかし、時間は限られているし、もっとも合理的と思われる政策を国民的議論の末に選択する方が後に後悔を残さないだろう。

一部野党やリベラル派層は、桜やヤジに関する議論は少なめにして、という声は安倍首相の責任を置き去りにするもので右派層の陰謀的な捉え方をしているがそれは大間違い。

普通の政治的な話にあまり関心のない友人と話すと、たいていはもう桜とかの議論はいい加減にしてほしいと思っている。昔の自社二大政党の時代のように、政治が予定調和のような攻防をしていても、世の中は安定的に成長していく世の中ではないのに、政治が重い現実から目を逸らしてその役割を果たしていないことに誰もが気づいてしまっているのだ。

どっちが悪いかは問題ではない

世の中にはどのように説明しても、真意を理解しない方がいるし、神ならぬ人にとってそれもまたやむを得ないこと。

現在の野党の「桜を見る会」などのスキャンダルを巡る一連の戦術が,一部の市民グループにとっては重大であると映っても、大多数のサイレントマジョリティには逆に「またか」と思わせる効果しかなく、逆にまんまと安倍首相の術中に嵌っている懸念がある。だから、安倍首相や大臣の答弁の可否(特に「桜」に関してまともでないことは誰の目にも明らか)とは別の問題として、ほかの重要課題(社会保障、財政、外交)についても少なくとも予算委員会での時間配分上,半分以上は取り上げてその比率を考え直した方が良い、と考えている。

そのような趣旨の提言をしても、「安倍首相が悪いんだからそんなことを言うお前がおかしい」という批判がリベラルを自認する層から寄せられ,「どっちが悪いか」というところから一歩も抜け出そうとはしない。そのような考え方の代表格である毎日新聞の社説も目にした「社説 安倍首相の国会答弁 誰が聞いてもおかしい」)。

しかし,どっちが悪いかはわかりきっていること。国民の大多数は,リベラル派の代表格のようなこの社説が行っているその点についての安直な批判など十分に理解している。

彼らは,自分たちが支持している政党が,堂々廻りを繰り返していると,国民からはどっちもどっちとしか思われなくなってしまって呆れられてしまう,ということにいつ気付くのだろうか。それは野党にとって得策ではない,と誰もが思っているのに。

国の宝が失われていく

経産省の若手キャリアが23人も大量退職したとの記事を目にした(「経産省若手キャリア官僚、大量退職の“怪”」)。

それはそうだろう。「怪」でもなんでもない。

ひと昔前(バブル位?)なら、難関の国家公務員試験をパスして日本の将来をより良くしようという気概に溢れた学生がチャレンジしたのが当時の国家公務員1種試験。その頃最難関といわれた司法試験に通りながら国家公務員を選択した先輩を目にして、官僚のステイタスは凄いなあと学生の頃思ったものだ。

 

しかし、それから30年が過ぎ、弁護士から国会議員に転身して目にした官僚の姿は当時憧れたエリート達のイメージとは相当違っていた。私は財務金融委員会に属しているので良く目にするのは「トップオブザトップ」「官僚の中の官僚」といわれた旧大蔵省ー財務省の幹部たち。しかし、そこで見かけるのは、野党の執拗な(悪く言えば重箱の隅を突くような)質問に対し、頭を下げ、言葉を選んでへつらいながらも、露骨な政権への配慮を示して意味のない答弁を繰り返す情けない姿。

国会開催中は、直前に飛び込んでくる野党の質問通告に対し当たり障りのない答弁を用意するために深夜労働が当たり前という状況になるし、弱い者いじめのハラスメントのような執拗な質問にも耐えなければならない。

 

こういった異常な姿は、内閣人事局の創設により度を増したとも言われているが、アメリカの政府高官があのトランプ大統領にも平然と異を唱えて辞任する姿とは対照的だ。日本社会の特に中高年層における流動性の低さや閉塞性にそもそもの原因があることは間違いないだろう。

 

高度経済成長時代、その真偽はさておき日本を支えているのは優秀な官僚と良く言われたもので、当の官僚たちもそれを励みに職務に励んでいたのであろうが、今では自分が売れるうちに早めに退職し、より自分を活かせる民間企業でより良い給与とストレスの少ない仕事をしたいと考えるのは誠にムリからぬところだろう。

 

今の日本社会が自分で自分の首を絞めるような閉塞性や攻撃性の昂進で、どんどん萎んで行くのは見るに耐えない。政治が本当に日本という国の未来を考えているのであれば、党利党略から離れて、与野党協力して官僚がもっと伸び伸びと力を発揮できるよう、まずは国会や人事のあり方を変えていくべきだろう。

政治はプロレスから総合格闘技へ変わるべきだ

最近批判が喧しいのが野党の姿勢。

IRや桜,最近は新型コロナウイルスと,政権についてその時々の話題で批判を強めるが本質的な議論はしないその姿勢に多くの国民が疑問を持ち始めている。

私もその1人。無所属の席から与野党の議論を注視し続けていると,正直これが国権の最高機関での議論か,と首を傾げたくなるときが多々あった。また,議論だけでなく本会議中のヤジもそう。自民党からの夫婦別姓を巡るヤジが注目を浴びた。そのヤジもはしたなかったが,野党席からよく聞かれる「エーッ」の合唱には,ここは小学校か?と言いたくなるときもある。

 

ある知人が,安倍総理が桜を見る会に関してボロを小出しにしているのはわざとやっているのではないか,と言っていた。野党が喜んで追及するのを国民がまたかと冷ややかな眼でみて,やっぱり野党には政権を任せられないな,と感じさせるための策略ではないのか,との意見だ。

アイロニカルではあるが,案外真実をついているのかもしれない。モリカケを通して安倍首相がコツを掴んだ感さえある。

 

そこで思い起こしたのがプロレス。何かの記事でパフォーマンス優先の国会の有り様をプロレスに例えていたが,まさにその通り。野党の有力政治家が,新聞に〇×のような書き込みをして貼り出して批判を浴びたが,これなどまさに場外乱闘の様相を呈している。

かくいう私もその昔は猪木信者。ストロングプロレスは真剣勝負と信じて疑わなかったが,総合格闘技の試合をみて,真剣勝負はこんなに地味で,技やパンチも容易には入らないものだということを知りまさに目から鱗が落ちた。それでも技量の差は如実に出るもので,その真剣勝負の迫力に魅せられて,プロレスはほとんど見なくなった。

 

そろそろ政治も,観客受けするプロレスのような派手な応酬から,地味ながら大切な議論を積み重ねる総合格闘技のような議論や提案の場に変えていかないか?少し立てば,観客=国民もその真剣な議論に魅せられ,投票率は上がるだろうし,パフォーマンスだけの政党や議員は自ずと少数派に転じていくだろう。

左派リベラルの本性

いつも思っていることがある。

戦争などの非常時にこそ人間の本性が剥き出しになるということだ。

普段普通の生活をしていると、誰かを意味もなく殺害したり迫害したるすることなど特別な人間にしか起こらないことだと思いがちだ。しかし、それが非常時になれば、普段私たちの周りにいる普通の市井の人、あるいは私たち自身がそういった「特別な人間」になってしまう。

ナチスドイツ時代のドイツにおいて、ユダヤ人を迫害・虐殺し、周囲の国々を侵略したのは、ヒットラーやその周囲の指導者だけではなく、徴兵された普通のドイツ人が行ったもの。それは日本であっても同じことだ。数の大小に争いはあるが、民間人の虐殺や虐待はドイツ人も日本人もベトナム戦争時のアメリカ人も皆行ってきたことであり、否定しようのない事実だ。

また、マスコミにしても同じこと。今では綺麗ごとに関しての代表格であるあの朝日新聞が戦前戦中は大政翼賛の旗手であったことも忘れることはできない。

 

さて、ここからが本題。先のブログ「正しく恐れ、正しく恐れない」でも新型コロナウイルスへの過剰反応としての中国人差別や中国で行われた法的根拠なき隔離策に疑問を投げかけた。

そして、ご承知の通り日本国内において日本人に対しても同様の問題が発生している。武漢からの臨時便帰国者の中で、ウイルス検査やホテルなどへの待機呼びかけを拒否して帰宅された方への非難が強くなされたのだ。

そうしたところ、橋本氏が、古市氏との対談でまさにその点を鋭く批判されていた(「古市氏「リベラルや左翼は躊躇しないのか」橋下氏「強制は言語道断、恐ろしい」法的根拠なき新型コロナウイルス対策を批判」)。橋本氏は弁護士らしく、以前から世論よりも考え方の正当性を重視されていて、共感できる大胆な言説を披露されることが多々ある。

一方で、この法的根拠が欠如した対応について、左派・リベラル?の野党からもマスコミからも知識人からもあるいは普段意識高い系の投稿をされている方からも「非難に対する非難」がなされたことは見たことがない。法治主義や適正手続きの観点から、隔離政策についての法的根拠の欠如についてきちんと正論を述べているのは見たことがなく、そのダブルスタンダードは彼らの本性が露呈したところといえよう。

 

法的根拠や真実性の立証などにはまるで関心がなく、一方的な世論だけで少数者が押し流されてしまうのが日本という国の残念な特色。そして懲罰的損害賠償など強者に対抗する手段が弱者には与えておられず、迫害を回復する手段も限られている。

今回の騒動を通して、本当の意味での人権尊重の観念や、民主主義に必須の法治主義・適正手続きの尊重の意識など、肝心かなめの土性骨をなすところが、左派リベラルを自認する政治勢力やその支持者たちの間には無いんだということを実感する。

人間の本性はこういった時にこそ露呈するのだろう。

露呈

京都市長選を巡ってコアな左翼層の内ゲバめいた争いが表面化している。共産党支持層も巻き込んで、一時ブームを呼んだ立憲民主党支持層が、このところのれいわブームやれいわと共産党の共闘という局面を通してかなり後者に雪崩れ込んで行っている気配が感じられる。そして、激しい争いとなっている京都市長選で両者が真っ向対決となっていることでその対立が浮き彫りになって来ているのだ。
この対立を受けてSNSではかなり激しい非難が立民に浴びせられているが、それは昔の極左間の争いを彷彿させてなんだかなーという感じだ。
あの衆院選の時、立民を支持した方々はこんな争いでどちらが勝つかを期待したのではなく、既得権益に縛られない新しい政党の登場を期待したのである。しかし、立民はコアな支持層に引っ張られ、そこを忘れてしまったようだ。

枝野氏といい福山氏といい、本当は立民の執行部はかなりの保守。だからこそ、内部分裂を恐れて代表選の規定がしっかり定められていないのだろうし、国民民主との合党に抵抗があるのも、合党にあたって代表選規定が整備されれば旧民主党と同じくまたぞろ党内抗争が表面化せざるを得ない。本当はそんなところが立民が合党について頑な姿勢を取り続けることの強い動機なのかも知れない。

しかし、一部の支持層を気にして本音を押し隠すのではなく、本音をさらけ出した方が支持率回復に繋がるのではないか?誤魔化しだらけ、本音隠しの政治を終わらせたければ、野党第一党が範を示したらと思うのは私だけだろうか。

1年前に書いた”国民民主党と小沢氏が合流。本当のブルーオーシャンを掴むのは誰か”

今から1年前に書いたのが”国民民主党と小沢氏が合流。本当のブルーオーシャンを掴むのは誰か”

今で言えば「国民民主党と立憲民主党は合流するのか?本当のブルーオーシャンを掴むのは誰か」というところだ。

お時間のある方は前のブログを是非お読み頂きたいが,その時指摘したとおりのことが今回の合流話にも当てはまるだろう。ただ一点異なるのは,そのときよりも今の安倍政権はあきらかに弱体化しているという事実だ。

 

言い訳をすればするほど墓穴を掘っているように見える「桜を見る会」の問題もさることながら,政権というより自民党中枢にとってより大きな問題となりそうなのは河合案里参議院議員に党本部から1億5千万円もの資金が投入された件。

同じ選挙区で競合した現役議員には1500万円しか(しかといっても1500万円もかなりの金額だが)交付されなかったそうなので,明らかな不公平がそこには存在する。資金の支出が厳しく法定され制限されている日本の選挙や政治活動で1億5千万円も何に使うのか?という疑問もあるが,それは置いても他の自民党議員の方達もさすがにこの不公平は行き過ぎだと感ずるだろうし,反発する声も出てくるだろう。現に自民党総務会では疑問の声が相次いだそうだ(毎日新聞「河井案里氏への選挙資金1.5億円 自民総務会で疑問相次ぐ」。

こういったところから絶対的権力者にほころびが生じるというのが,歴史上の教訓。

 

こうしたときにこそ,スキャンダル追及中心ではなく,これからの日本の中心的課題である社会保障問題や安全保障のあり方などについて,どっしりと構えて骨太の政策論争を与党に挑む野党こそサイレントマジョリティは求めている。周囲の政治に関心の薄い層-ただしそれが日本のマジョリティ-にリサーチすると,単なる数合わせや野党間での支持獲得競争にはうんざりというかそれこそ無関心というのが現実だ。今が大きいか小さいかには関係なく,このマジョリティを惹きつける政党こそ次代を背負う政党となっていくであろう。

正しく恐れ、正しく恐れない

新型コロナウイルスに対しては、「正しく恐れ、正しく恐れない」ことが必要ではないだろうか。

死亡者をみると基礎疾患をお持ちの高齢者が中心で、過去のSARS、MERSや新型インフルエンザなどと比べても感染症として特に致命的とまで言える状況にはないようだ。ちなみに今、アメリカではインフルエンザが大流行しており、CDCの推計値の最大をとると、2000万人の発症者と2万人もの死者が今シーズン既にでており、しかも死者に子どもが多いとされているようで、これもとても心配に思われるが何故かこちらはあまり報じられていない。

新規の感染症に対し、手洗い、うがい、マスクなどの基本で備える必要があるのは当然だが、本能的な恐怖から中国人全部を差別的に非難したりするのはいかがなものかと思う。既に団体旅行が禁止され、目に見えて駅や街から中国人らしき方の姿は減少している。

少し観点は変わるが今回の騒動で疑問を感じることがある。同じようなことが日本やアメリカ発で起きた時、今回中国が行っている人口1000万都市を丸ごと封鎖するような列車や飛行機、自動車などの移動禁止措置を政府が執ったら市民はどう反応するのだろうか?
(人権について関心が高く常日頃リベラル的発言をされる方々がこれには沈黙していることも気になるところ。)
いずれにしろ法的に中国のような対応は採れないところなので、それに代わる封じ込め策を予め検討しておくべきだろう

明日は我が身と考えて、必要かつ合理的な対策と備えを学び実践していくしかない。