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自己目的化したコロナ対策

東京都の小池都知事が、東京都医師会会長や東京商工会議所の方々と「現行の取り組みを徹底して進め、新規感染を限界まで抑えることが経済面での復旧を円滑にする」との共同宣言を発表したという(共同)。

 

仮に「新規感染を限界まで抑えること」を額面通り受け取るとしたら、もはや正常の域を超えている。

立憲民主党のZEROコロナと軌を一にする宣言だが、社会とは新型コロナという感染症を絶滅するために存在しているのか?

 

そもそも社会的距離政策とは、医療システムを守りながら、ワクチンを含め集団免疫が獲得されるまでの間(あるいは何らかの理由で流行が収束されるまでの間)、間欠的に社会的距離を制限することによって、社会生活と医療体制維持の両立を目指す政策(NATIONAL GEOGRAFIC)。

それを忘れて「限界まで抑える」ことをしたら、社会生活も限界まで抑えられ、社会が死んでしまう。

 

世の中は新型コロナを押さえ込むために存在しているのではないのだが、最近の小池都知事は少し行き過ぎだと感じる。若い世代のみをターゲットにしてフリップなどで強い行動自粛を求め続けているからだ。

 

コンラート・ロレンツが名著「ソロモンの指輪」で、カラスが生存には何の役にも立たないのに金色のものを集めることだけに熱中する姿を「自己目的化」した姿とし、人間にもその傾向が多大にあると指摘していた。

 

まさに、今の小池都知事の姿勢は、「コロナ対策」が自己目的化してしまっていると言えるだろう。