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大臣の答弁だけを批判しても仕方ない

大臣の答弁能力を批判する声が野党やその支持勢力からよく聞かれる。

 

しかし、本当の問題はあまりというか全く注目されていない国会議員の質疑力。

議員の質疑力は、そのまま大臣になった時の答弁力にも繋がる。また、問題の把握力やセンス、信念までそこに現れてくる。

 

現状、国会議員のレベルが低いと揶揄されることが多いが、焦点は質疑力のレベルだろう。しかし、現場を3年余り見てきて、議員個人を責めてもどうしようもないと以前より強く感じている。質疑のレベルが低い理由を列挙すれば

 

①そもそも委員会などの質疑がほとんど注目されていない。現場でもネット中継でも。誰も見ていなければ手を抜くし、またその点が必要な資質と意識されることすらない。

②だからマスコミも注目しない。マスコミが注目し、質疑のレベルを評価すれば事態は一挙に変わるだろうが、誰も気にしていない質疑力を、ウケしか考えていないマスコミが注目するはずもない。マスコミが来るのはスキャンダルネタがあるときだけ。

③質疑を十分に準備する時間がない。維新の会の藤田議員が先日予算委員会で批判したように、野党の闘争手段の主たるものは日程闘争。法案を通す通さないの駆け引きに使うため、通常3日前くらいまで開催されるのか、何分時間がもらえるのかすらわからない。前日や前々日に決まって夜に質問通告ということすらある。これでは質問側も答弁側も不十分なことしか出来ない。

④答弁側も事なかれ答弁しかしないので、質問側の能力も試されない。これもマスコミや国民の注目がないからで、本当は今のようなやりとりでは全員クビ、くらい言ってもらった方がいい。

⑤圧倒的なスタッフ不足。日本では、秘書給与まで議員の報酬扱いして「高給取り」批判が繰り広げられている。アメリカでは議員報酬とは別に下院議員には1億円以上、上院議員には2億円以上の事務所費・人件費が支給されている。プラス莫大な寄付も集まるので、上院議員は40人以上のスタッフを抱え、政策に対する立案能力や批判能力が日本とは桁違いになる。それだけでは足りずに弁護士協会などの協力まで得て、法案に対する是非を吟味している。まるでセルフ・シンクタンクを抱えている状態だ。一方、日本では、政策関係に関するスタッフとして政策秘書が1名だけ認められているが、その多くが公設秘書上がり。国会図書館の調査室が調査に協力をしてくれる程度で、充実した審議ができる基礎がない。

 

 以上①~⑤を反映して、選挙で国会における質疑のレベルが問われることもない。

だから、目立つことが得意な方や業界団体周りが得意な方、そして後援会組織などを受け継いだ2世の方ばかりとなりがち。いわば必然だ。

 

国会議員のレベルが低い、だからいらないだの給料下げろばかり言っていれば、日本はどんどん負け組一直線。もっとも大事な国の中枢を指揮していく人材はいずれにしろ国会議員の中から選抜されていくのだから。

 

 政治改革はある意味簡単。皆さんの注目が国会審議そのものに集まれば結構あっという間に変わっていくだろう。そして、その質が高まるために必要な資源と予算が確保されていけば、相当日本は変わるはず。

今が結構底の方だから、上げていくのは簡単なので。