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ポピュリズムは伝染する

 消費税ゼロを訴えるポピュリズムには反対する。れいわ新撰組が「選挙で勝つため」を認めた上で消費税廃止を訴えている。同じ訴えをする立憲民主党の参院選候補者も現れたらしい。民主主義、自由主義の世の中である以上、何を訴えるのも自由。だが、消費税廃止を訴える政治家が増えれば間違いなく日本の財政規律はよりルーズとなる。そうなれば通貨への信認あるいは日本国債への信用は失われ、円安インフレへの道が真っ直ぐに口を開けて待っている。10%の消費税よりも庶民にとって怖いのはインフレ。今現在もベネズエラでは年率1000万%!とも予測されるハイパーインフレが進行中だ。それもこれもバラマキ政策のなせる技。

 与党議員にもMMT信奉者が現れている昨今、これは危険な兆候というしかない。

 

 そもそも、日本という共同体は国民のもの。そのオーナーたる国民が費用を支弁し、その見返りとして社会保障などのサービスを享受する、当たり前の姿だ。負担なくしてサービスだけを享受しようなどと主張するのは、日本を、自分たちが運営するコミュニティとは考えていない証拠だ。日本を、どこか遠い存在ーお上が運営するものと捉え、サービスはお上からの一方的な恩恵と捉える。だからこそ、消費税を廃止し、バラマキを行っても平気などと考えてしまうのだろう。

 しかし、それでは共同体は持たない。EU諸国では消費税20%は当たり前。デンマークなどは25%にも上る。社会保障を享受するためには国民もそれに相応する義務を負わなければならないのだ。恩恵だけ受けるということなど現実社会ではあり得ない。仮に瞬間的には成り立ったとしても、その魔法が解けたとき、ベネズエラのように必ず大きなしっぺ返しに襲われる。

 ヨーロッパ、特に北欧において社会保障を中心に理想の社会に近いものが実現しているが、それは、負担なくして成り立っているのではない。国民が、当事者意識をきちんと持ち、受益に相応する負担も受け入れている成熟した社会だからこそ、理想が現実化しているのだ。

 日本において、政治に対する関心が薄れてきているのも、社会がどこかうまくいっていないのも、この当事者意識の欠如こそが真の原因だろう。日本という、実は素晴らしい共同体を維持していくためにも、政治家も政党も、そして国民も各々の責任を自覚すべき時が来ている。