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不都合な真実から目をそらすな

 弁護士の経験で,事実を直視できない方を何人も見てきた。債務が膨れ上がり,到底返済の見込もないのに破産などの法的処理に前向きになれず,自分や家族を苦しめ続けるのだ。「保証人に迷惑を掛けられない」という方も多く,心情的に忍びないこともあったが,多くは無理なローンで最初から維持できないことはわかっているようなマイホームにこだわり「家を手放せない」と言うパターンであった。はては「ローンで買った新車をどうしても諦められない」という方もいた。中には悪質な業者に手を出し,追い込みを掛けられて石を投げ込まれるまでしてようやく整理を決意した,というケースもあった。その時に思ったのが日本人は現実を直視できない民族性があるのだろうか,ということであった。少し話は飛んでしまうが,第2次大戦も,現実を直視して日米の国力の差を比べれば,そもそも開戦などあり得ない選択だったろう。

 なぜそんなことを思い返したかといえば,金融庁の「高齢社会における資産形成・管理」報告書のいわゆる「2000万円問題」に関するマスコミや与野党の取り上げ方がおかしいと思うからだ。毎日新聞によれば当初案であった下記表現を削除し,穏当な表現に書き直されたとのこと。

「公的年金の水準が当面低下することが見込まれていること」

「公的年金だけでは望む生活水準に届かないリスク」

「年金の給付水準が今までと同等のものであると期待することは難しい。今後は,公的年金だけでは満足な生活水準に届かない可能性がある」

 しかし,当初案に書き込まれていたのは,いずれもまごうことなき真実だ。人口構成の変化と経済の低迷,賦課方式であることが相俟って,年金が現在の水準を維持できないことが最初からわかっていたことは,前のブログ「「年金では暮らせない」は正直な事実。与野党共に国民に真実を告白すべき時が来ている。」で指摘した。

金融審議会「市場ワーキング・グループ」第24回20190603:資料01金融審議会市場WG報告書(案)「高齢社会における資産形成・管理」より

 上記グラフが如実に示しているとおり,年金の支え手が急減し,支えられるものが急増する社会が進んでいくのであるから,当初案の指摘は,いずれも動かしがたい真実なのだ。

 ところが,マスコミも野党も与党さえも,この不都合な真実から目を背け,これを単なる政権攻撃の手段としてとらえようとしている。例えば,朝のニュース番組というかワイドショーのキャスターが渾身の怒りを示したという。キャスターとして知っているべきことを自身が知らなかったのだから,ただの勉強不足だ。また,わかりきっていた事実を正直に国民に提示したことを責めてどうするというのか?珍しく官庁が責任感を持って国民に呼びかけたことが批判されるなら,不都合な真実がまた闇に隠されるだけだ。

 自民党幹事長は,この報告書をまとめた金融庁を攻撃し,自民党として撤回を要求している。公明党も同じ姿勢だ。麻生大臣はその趣旨は不明だが,この報告書を正式なものとしては受け取らない,と報じられている。一方,野党党首からは「それをどうするかが自身(大臣)の仕事だ」との発言もあったが,その通りではある。ではどうするかが問題であるのだが,ただし,それは与党にとどまらず野党に課せられた課題でもあるのだ。だから,これを政権攻撃の手段に使うのではなく,これを契機に日本の年金制度維持のために大局的な議論を行うべきなのだ。

 今回の金融庁の呼びかけは,行政レベルでできるそれへの対応として,まず金融資産形成を呼びかけたものだ。金融資産を形成しようと心かげることについては,早いことに越したことはない。時間という資産形成にとっての貴重な資源を十分に利用できるからだ。

 問題は,政治レベルだ。委員会での議論も党利党略に基づくものではなく,建設的な討議が行われるべきであるし,もし,これを参院選の争点とするのであれば,財源も含め年金制度の大改革を議論すべきだ。そして,与野党ともに,財源を明示せず年金水準を上げるとだけ叫ぶ子どもだましは絶対にするべきではない。仮に年金水準を維持するとなれば,消費税を含めた国民負担率をEU並に引き上げ,積立方式に切り替えていくというのが根本的な解決策であろう。

 今がその時機なのだ。

 マスコミも,与野党もこの大問題を,単なる政争の具としてはならない。正面からの議論のぶつかり合いが,日本の将来を変えていける唯一の手段だ。