道を切り開くのは自分たち。

自民党と同じく、代表選の最中にある枝野氏が、次のように述べたと伝えられている(産経)。

 

 

「「政治家が自助と言ってはいけない。責任放棄だ」と述べた。枝野氏は「自助や共助ではどうにもならない時が人生にはある。政治の役割は公助だ。私たちとは明確に政治姿勢が違う」

 

ならばJ・F・Kに言うべきだろう。貴方のあの伝説の演説はお門違いだと。

私は国家主義者ではないので、国のために死ぬべきとも思わないし、国のために生きろという気もない。

それでも、ケネディの、あの有名な国家への貢献を呼びかけた言葉に続く、人類に対する気概と責任感に満ちた問い掛けこそ、今の日本に必要なのではないか。

 

「だから国民諸君よ。国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい。

 

世界の市民諸君よ。米国が諸君のために何ができるかを問うのではなく、我々が人類の自由のために共に何ができるのかを問うて欲しい。」

 

最後の手段として、公助=セーフティ・ネットを国が用意すべきは現代国家として当然。

だが、それが最初に来るべきものか?

逆にそこまで国に手取り足取りしてもらいたいのか?

自由こそ最も大切なものではないのか?

 

日本は社会主義国ではない。自分で道を切り開く、アニマル・スピリッツが蘇らない限り、日本の再生など夢のまた夢。

民主党政権の隠れ指揮権発動

前原元外相が,尖閣諸島の漁船衝突事件について「当時の菅(かん)直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めた」と告白された(産経)。前原氏は当時の仙谷官房長官に「首相の指示は釈放だ」と報告したというのだから,これは隠れた指揮権発動があったことを意味する。

 

先の国会で話題になった検事長の人事問題など比べものにならない司法の独立の侵害だ。

旧民主党勢力が,建前で語る言葉とは裏腹に,近代民主主義の大原則などまったく尊重する気がなかったことをよく示している。

 

過去に一例だけあった造船疑獄における指揮権発動では時の内閣は倒れた。

呆れるのは、当事者の菅元総理のコメント、「記憶にない」。

自民党のことであったら、どう反応したのか?

街角の実態をマスコミは把握しているのか?

4~6月期のGDPが速報値のマイナス27.8%から28.1%に下方修正された。

周りの経営者などにお聞きしても,どうしようもない,という答えが多い。

飲食店の経営者の方は,「もう逆に笑うしかない」と悲嘆の声。

 

また,政府保証での企業の運転資金融資は,コロナ禍にあえぐ中小企業の救いの手であると同時に,金融機関には恵みの雨なので,審査などほとんどされずに幾らでも資金が供給されている。やむを得ない措置とはいえ,2~3年後を心配する声も聞く。

到底返済の見込はなく,それが一斉に顕在化したときにどうなるのかと。

 

しかし,この空恐ろしい数値に対するマスコミの反応は鈍い。

伝えるべきはPCR検査の陽性者数ばかりではないはずだが。

街角に出て,一軒一軒の声を聞いてみるがいい。今掘り下げて伝えるべきは痛みきった企業や事業者の姿だ。

自助・共助・公助は順番が違う?

今の日本,どうして何でもかんでも国や政府に面倒みてもらわなければ何にも出来ない,という考え方が蔓延してしまったのか?

自分の道は自分で切り開く,自分の力だけで足りなければ仲間同士で助け合うor共同で立ち向かう,不幸にして病気や失業などで自分の力ではどうにもならない時は公(おおやけ)がセーフティネットとして機能してくれる・だから安心して全力で人生を生きていく,というのが当たり前の生き方ではなかったのだろうか。

 

自民党の総裁選びに誰が,ということについて私が口を挟む気も何もないが,候補者である菅さんが「自助・共助・公助」を掲げた時,順番が違うと批判する方たちがいた。

高度経済成長期を日本が駆け抜ける時,そのいずれにもその順番通りにお世話になった自分の家庭を振り返った時,納得するところ大だった。

いくら高福祉社会の先端を行くヨーロッパでも,公助が最初,なんて議論はないだろう。

 

また,大学の対面授業再開について,国がなぜ今再開していいかを国民に納得させてからにすべきだ,との議論を展開された方もいた。

いったい日本人の自主性はどこにいったのか?なんでもかんでも手取り足取り国が教え指図しないと何にも出来ないし,しないのか?

自由の砦,大学が,自分で判断してリスクを引き受けることしなくてどうするのか?

 

国家の管理をできるだけ否定し,自由と独立を重んじ,そして他者への思いやり(公助)を大事にするのが名誉革命・フランス革命以来の近代民主主義の伝統であり,それを汲むのがリベラルだと思ってきたが,日本ではだいぶ違う姿のよう。

一部の層は,すべてを国が面倒を見ることにどんどんと傾いていっているようだが,それは社会主義国家のあり方であり,自由の否定を伴うことを,理解していないことが不思議だ。

「大きすぎれば潰れない」が慣例化しないか?

日産自動車に対し,「政府系の日本政策投資銀行(政投銀)が5月に決めた日産自動車への融資1800億円のうち、1300億円に政府保証をつけていたことがわかった。仮に返済が滞れば8割を国が実質補塡(ほてん)する。」(朝日)との報道があった。

 

これはものすごく考えさせられる話。自動車産業がコロナ禍の影響を受けているのはトヨタの業績をみても間違いない。しかし,日産はコロナ禍以前から売上は低迷していた。それだけでなく,実権を握っていたゴーン氏への不透明な資金の支払いが問題となり,刑事事件にまで発展したが,それを告発した当時の社長にもまた報酬を巡る問題が発覚し,彼もまた追われた,という企業。

そういった個別企業に巨額の債務保証となると,いかに裾野が広い企業とはいえ,妥当性が問題となる。また今後に目を向ければ公平性についての疑念が湧く。大きすぎれば潰さない,が慣例化する恐れはないのか?

たとえば日産と同様,あるいはそれ以上の巨額債務を抱える上場企業が危機に瀕したとき,やはり公的資金(DBJは民間会社に移行中であり国が100%株主)で救済するのだろうか?。

 

一方で,日銀の巨額ETF買い入れもより大規模に継続されており,このところ日本の社会主義国化,中国のような国営企業化が止まらない。厳しい見方では,新陳代謝が進まず,点滴に繋がれて生きているような企業ばかりになっていく恐れもある。

 

このやり方を進めて行くと,日本全体が一様に沈下する恐れもある。

「みんなで沈めば怖くない」という道を選択するのが本当にいいのかどうか。

本当の危機は新型コロナ?

超猛烈な風を伴うという台風10号。皆さん大変ご心配されているところでしょう。備えと早めの避難で被害が少しでも少なくなるよう願うしかありません。どうかお気をつけてください。

このところ新型コロナの話題にばかり気を取られていましたが、台風や大雨の凄さはますばかり。地球温暖化の影響がはっきりしてきたせいか、そういえば逆にエルニーニョ現象という言葉を耳にすることすら無くなりました。
私は、実は数年前まであまり地球温暖化を、心配していませんでした。というのは間氷期が近々終わるので少しくらい温暖化した方が良い、なんて考えていたのです。

しかし、ちょっと前に、確かイギリス?の科学者だったか、温室ガスの効果で間氷期が当面終わらなくなった、との研究を発表したとの記事を読んで衝撃を受けました。ググると、イギリスではなくドイツの方でネイチャーに掲載された立派な論文(BBC)

「現在の地球は太陽から最も遠い場所で(北半球が)夏を迎える時期にいる」とガノポルスキ博士は説明する。「通常ならば間氷期は終わり、次の氷河期が始まるはずの時期だ。天文学上は、氷河期開始にうってつけの状況にある。(200年前の)大気中の二酸化炭素濃度が240ppm(百万分の一)だったなら氷河期の開始もあり得たが、幸いにしてそれより高い280ppmだった」。そして更なる工業化によって現在の濃度は400ppmを超えている。」

地球が寒冷化していれば、農業が大打撃を受け、現在の地球人口はあり得なかったでしょう。その意味で氷河期よりも温暖化の方が生存には有利でしょうが、それも程度問題。

本当は新型コロナウイルスよりももっと重大な
生存への脅威がもう目の前に来ているのかも知れません。

致死率の急低下。アンダー・コントロールを踏まえて国会は次の議論を。

3日,参院予算委員会の質疑で,政府の分科会の尾身会長が,新型コロナウイルスは「コントロールすることは可能」と述べた。

その裏付けは何か。致死率が著しく低下しているのだ。

 

その前日の政府の専門家組織(アドバイザリーボード)の会合で,国立感染症研究所が明らかにしたのが下表(厚労省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの資料等・2-2」より)。

 

5月末の時点に比べ,全年齢の致死率が7.2%→0.9%に,0-69歳が1.3→0.2%に,70歳以上も25.5%→8.1%に急激に減少している。

69歳以下では,ほとんど亡くなることのない疾患となってきているのだ。

 

この傾向は実は世界的に見られ始めているもの。以下は私の事務所でまとめたフランスとドイツの状況。

新規陽性者数の推移に違いはあるが,新規死亡者数が両国ともかなり減少していることは共通している。

よりわかりやすく,左軸に新規陽性者数,右軸に死亡者数をとった複合グラフが下記。

両国とも,死亡者数が大幅に減少していることがよりよくわかる。ドイツは新規陽性者も死者も少ないレベルで落ち着いている。フランスは,新規陽性者数こそ第一波に迫る勢いだが,死亡者は極めて少ないレベルで横ばいしているだけなのだ。

 

日本だけで無く,フランス・ドイツなどヨーロッパで見られる,この致死率の急低下という事実を踏まえて,国会などで,今の行動制限をどこまで続けていくか,早急に議論すべき。感染者が増えたとしても,重症化や死亡することが少なければ,それこそインフルエンザのような疾患として,社会が受容することができるし,そうなれば特別な対策も絞られてくる。

 

今,特に重要なのは子どもたちへの規制の解除と飲食店への過度な負担の削減。

学校で授業中マスクを付け続ける必要はないし,修学旅行や運動会,スポーツ大会を中止する必要はない。

飲食店でもカウンターと板場をビニールシートで遮る必要もなければ,終業時間を繰り上げる必要も無い。

 

今国会で議論すべきはそこ。どこまで無駄な規制や制限を解いていくのか。

一つ覚えでPCR検査拡大を叫ぶのはワイドショーだけで沢山だ。

大人の都合で修学旅行を中止させるな‼

日本においては、新型コロナウィルスの子どもに対するリスクは極めて低いというかほぼゼロなのに、不合理にも子どもたちに大人以上の制限が課されている。

そこで生まれているのが、大人はGoToキャンペーンをやりながら、夏の甲子園は中止して、その同じ時期に春の甲子園の代替大会をやるという支離滅裂な状況。

 

より不合理が集積しているのは小学校。机を囲むけったいなシールドとか、じゃれ合い・私語の禁止とか、意味不明で過剰な制限を未だ続けている小学校がある。そして、子どもたちにとってもっとも取り返しがつかないのが修学旅行の中止。

 

私の事務所で確認したこの問題に関する文科省の見解は

「当面の措置として修学旅行を取り止める場合においても、その教育的意義や児童生徒等の心情等にも配慮いただき、中止ではなく延期扱いとすることを検討いただくなどの配慮をお願いしたいと考えております。」

結構常識的で適切な見解だ。

 

ところが、現場は違う。日本社会にありがちな事なかれ主義に、現実社会のプレッシャーが相俟って、子どもたちの大切な機会が失われている。実際、私の元に次のような声が寄せられたのだ。

「子どもが感染すると、自分も会社を休まなければならなくなる、という理由で小学校に卒業旅行中止を申し入れた親御さんがあり、取り敢えずは延期していた学校がこれを受けてその方向に向かいそうです。」

 

小学校に声を寄せた親御さんの切実な思いも勿論理解できる。しかし、それでも、子どもたちに必要のない制限を理由として、私たち親の世代が共通して受け取ってきた、修学旅行という子ども時代の大きな楽しみを子どもたちから奪ってしまうのは、子どもたちに対する不公平で虐待的な仕打ちだ。

そのような過剰対応を産む第一の原因は、学校当局者の事なかれ主義。しかし、学校ばかりを責められないのは、その背景に社会の過剰な警戒(自粛警察)が厳然としてあること。そして、その過剰警戒を呼び起こしたのは、マスコミ報道や一部政治家・学者・コメンテーターらによる煽りであり、その煽りは彼らの私的欲望(名声・注目・楽して視聴率や紙面稼ぎが出来ること)から生み出されている側面は否定できないだろう。

 

色々書いてきたが、声を大にして言いたいことはシンプル。

「大人の都合で修学旅行を中止させるな‼」

まるでイエローペーパー。求む,まともな医療記事。

新型コロナウイルス関連の話題で煽って,楽して視聴率を稼ごう,読者興味を惹こう,というマスコミの姿勢がいつまで経っても改まらない。

今日も取り分け酷い記事がネットニュースで大きく紹介されている(MSN)。

 

「コロナ後遺症なしはわずか13%」

 

これだけみれば,普通の方は「へーこわい!」とか「やっぱりコロナはかかるもんじゃない」と考えるだろう。そして,見出しだけでスルーするのが結構一般的。

 

どうせ,中身は適当ないいとこ取りのつまみ食い記事だろうと思ってクリックしてみれば案の定。

この数字は,ローマにあるたった一つの病院のフォローアップ外来を「受診した」元感染者における数字。そもそも何も症状なければわざわざ受診していないだろうから,この数字に統計的な意味はない。

その後も,中国やフランスの医師からも退院後に息苦しいという症状が残ったという中身まったく不明な話を続け,「新型コロナウイルスの長期的な影響についてはまだわからない」と書きながら「重症急性呼吸器症候群(SARS)では、発症から半年以上経っても、後遺症に悩まされている人が一定程度いた」とか関係ない話やら一般的な解説を織り交ぜて,最後はICU治療を受けた高齢者の「せん妄」で締めくくっている。

 

読者を怖がらせるためだけに適当な話を羅列したというだけのほとんど無価値な記事であった。

 

書いたのはコロナ恐怖が続かないと飯の種がなくなるフリーランスのライターかと思いきや,検索すると朝日新聞のれっきとした科学医療部記者とのことで余計に呆れた。

この記事自体はAERAの記事で,朝日新聞本体のものではないが,朝日新聞の科学記事が劣化しているのは動かしがたい事実。

4月にも,朝日新聞は,布マスクのときもひどい記事を掲載していた(「朝日新聞のフェイクニュース」)。

こんな安直な記事ばかりになると,時々の世論に迎合するしか出来なくなって,75年前と同じく,日本をどん底にたたき落とすことに大いに手を貸すことになるだろう。そこまで振りかぶらなくても,何より読んでもつまらない。

 

50年来の愛読者で,特にその科学記事にいつも惹かれていた一読者としても是非お願いしたい。もう少し公正で客観的な記事を掲載して欲しいし,煽動的なタイトルで人を吊ろうとするイエローペーパーまがいのやり方は止めてもらいたい。そして,読んでなるほど,と唸るような優れた科学記事・医療記事を作れる人材を育てていただきたい。

 

子どもたちを蝕む行動制限

報道によれば(産経)、「国立成育医療研究センターが学校再開後(6月15日~7月26日)に、6~17歳の約900人のストレス反応を調べたところ、72%が「嫌な気持ちになる」「集中できない」「寝付けない」などの不調を訴えた。」とのこと。

それはそうだろう。毎日ニュースやワイドショーが新型コロナを煽り立て、自粛警察が目を光らせている。学校では、マスクやら変な囲いやら友達に近づいてはダメやらの大袈裟な行動規制で、のびのび楽しむこともできない。
少なくとも戦後の学校教育においてここまで不自然な行動規制が行われたことはなかっただろう。
 
ところで、こういった行動規制のエビデンスは何?何から誰を守っているのだろう?
少なくとも、日本においては10代以下の死者はいないし、重症例の症例報告も見たことはない。子どもたちの健康に配慮して、このような規制を行う必要性は全くない。子どもたちにとっては、死亡することすらあるありふれたインフルエンザの方がよりリスキー。
勿論、高齢者の方と同居している家庭では、子どもを介した感染リスクはあるが、それは働き手がいる家庭であれば子どもに限ったことではない。
 
大人の、やってましたのアリバイ作りのためとしか感じられない不要な学校での行動制限やら規制やらはもう止めにしないか。
子どもたちの心身がこれ以上蝕まれるのは勘弁だ。