I have a dream

弁護士をしていると普通に暮らしている方々が見ない世界を間近に見る。ギャンブルや風俗で人生を狂わし多大な債務を負う方。離婚に伴う子どもの奪い合いが警察介入にまで発展する例。DV(それも道具を使って殴打して入院させるほどの凄まじいDVや、放火まで)。養育費ももらえず子供を何人も抱えて貧困にあえいで借金まみれになっている方。医療過誤で喜びの出産が母や子供の死亡という最悪の結果となってしまった方。なけなしの財産を詐欺ですべて失った方。交通事故で最愛の子供や父母を失った方。傷害致死事件のご遺族。殺人事件のご遺族。

これらの方々の被害を回復するために最善の努力を続けてきた。それは裁判だけにとどまらない。市役所などの行政とかけあって生活保護受給にこぎつけたことは何度もあった。より良い治療を受けてもらい、被害回復につなげるために医師を探し、医師と面談も行った。犯罪被害者支援についてまだ日弁連が動いていなかった頃に法務大臣と面談にこぎつけたこともあった。

こういった地道な支援は、実務に携わるものであれば、多かれ少なかれ経験するもの。そして、実務家(メンタル面の実務家の方ではなく、弁護士・医師など現実的な結果を求められる実務家)は、言葉では救済にならない厳しい現実にいつも直面している。

だからこそ、たとえば医療でいうインフォームドコンセントは淡々と行う。飾った言葉では真実は伝わらない。苦痛を取り除くことにもならない。

それを受け止める人の在り方も様々。きちんと説明したとお礼を言ってくださる方も多数おられる。だが、面と向かって激しい言葉を突き刺す方もいる。表面的にはお礼を言いつつ、帰り際に事務員などに捨て台詞を言われる方もいる。しかし、それも全部含めて我々の仕事だ。

 

さて、政治家の仕事とは何だろうか。厳しい現実に対し、「I have a dream」と語りかけ、社会正義や公平を実現させるのも仕事。夢と希望を苦痛にあえいでいる人たちに、勇気ある行動と共に与えていく、そういう側面は確かにある。

だが、それは誰かの不利益を生む利益誘導であってはならない。ましてや、厳しい現実を無視し、危険な賭けであることを隠して(財政冒険)、言葉だけ苦しんでいる人々に寄り添ったdreamを語るようなものであってはいけない。

 

我々は高度経済成長を経て、いまだ成し遂げた実績の余韻に浸っている成功した社会の中にいる。コップの中にいればコップの中の嵐も嵐だが、外に出てみればそれは嵐ではない。日本の社会が貧困層や社会的困難に陥った方に対し、どれだけの制度的保障を充実させているかは、実務家の知るところ(生活保護だけでなく、自賠責や犯罪被害者補償制度、難病指定による医療費助成など多彩なメニューが年々整備されてきた)。

田舎町では道路も未舗装で電話さえなく、脳卒中になれば家で寝たきりとなっていた昔を知るものとしては、今の日本が、社会保障も合わせ、どれだけの夢がすでに実現された社会なのかを知っている。一方で、日本のこれからの困難を前に、語るべき夢が少ないのが現実。最適配分の実現という永遠の課題に向けての努力しかない。

 

無理な夢を語れば、そこに無理が訪れる。

そのことを知っている以上、無理な夢は語れないし、現実を直視した政策を訴えることを続けざるを得ない。そして、今の日本を子供たちにきちんと受け渡すこと。それが私の「I have a dream」。言葉としてはささやかだが最も困難なチャレンジだ。