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児童虐待の悲劇。政治問題とするなら積極的な対案を。

 悲劇を批判として政治利用するのではなく、対案を。

 つい最近、またも児童虐待の悲しい事件が生じてしまった。児相という公的機関が関与していたケースだけに、この事件が防げなかったのか、どうしたら防げるのかについて真摯な検証とそれに基づく改善が必要なことは言うまでもない。

 この事件を政治的・政策的視点から検証することも必要だろう。だが、この事件を政治的に利用するだけでは世の中は変わらない。政権批判に利用すればそれを気にした政権側が予算配分に配慮するということで間接的な効果はあるかもしれないが、それではあまりに刹那的である。
 そもそも、悲しいかな現場がいくら頑張っても、全ての子どもの命を守ることは難しい。私も弁護士として、医療過誤やDVなどの弱者保護の事件にある時は体を張って取り組んできた。しかし、残念ながら全ての人は守れない。それでも、その取り組みには意義がある。弁護士に出来ることは個別事件の救済であり、政治家に出来ることは、国あるいは地方自治体のシステムにおいて、どうすればこういった悲劇を少しでも減らしていけるのか、どうしたらゼロに近づけていけるのかの地道な取り組みだ。アイデアは幾らでもある。こういった事例で重要なのは、虐待の事実の真実性の確認、親権者の子育てに関する自主性との調和だ。例えば、児相の行う保護について、親権者からの強い抗議があった場合、それへの対処まで児相職員に求めるのは酷だ。そんな時は弁護士あるいは弁護士会と提携したシステムを構築しておき、予備審問的調査を弁護士にさせ、児相職員の負担軽減を図るとともに、親権者の権利との調整を図ったらどうであろうか。そんなに予算がかかるとも思われないし、弁護士過剰時代の今、弁護士側のヒューマンリソースに事欠くことはないであろう。既に同じようなシステムが住宅紛争に関して構築され、実際に各地で稼働している。
 こういった提言を含めた建設的対案を行うことこそ、今野党に求められていることではないだろうか。