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経団連会長発言に思う。リスク管理の不在

経団連会長が,「再稼働どんどんやるべきだ」と発言したと報道され,波紋を呼んだ。

原発には賛成,反対の立場があり,経団連会長かつ日立製作所会長であればポジショントークとしてでもそのような発言に至るのは当然との見方もあろう。

しかし,今の世の中,それでは通用しない。企業が存続し,発展するにはリスク管理やリスク判断が欠かせない。特に企業の存亡にかかわるような事項については十分な注意を払い,リスクが大きく上回るような事業からは手を引くのが経営者の役目だ。

原発について,色々な意見があるが,企業にとっての損得という意味での経済的視点から語られることは少ない。しかし,原発を運営する電力会社にとってもこの視点は欠かせない。投資家からもシビアな評価が寄せられる米国では,発電コストの問題での廃炉(バーモント州・ヤンキー原発),建設コストの問題での断念(米南部サウスカロライナ州のVCサマー原発2、3号機),州との合意による廃炉(ニューヨーク州・インディアン・ポイント原発)など様々な理由で廃炉を行っている。勿論,全面的な廃炉政策が進められているという訳ではなく,稼働している原発も多い。ここで米国の例を引いたのは,一律に「どんどんやる」などという思考停止的なやり方ではなく,極めて現実的な判断の下,企業の自主的な判断が行われている,ということを紹介したかったからだ。

 

日本における原発にもその条件によって,コストも異なるし(立地条件が厳しかったり老朽化していれば安全対策コストが増大する),各電力会社によって原発依存度も大きく異なる。原子力規制委員会の適合性審査を通ったという事実は,最低限の基準をクリアしたことを意味するに過ぎない。当の規制委員会委員長が「絶対安全っていう意味で安全ということを言われるんでしたら、それは私どもは否定してます」と過去に述べたとおりだ。

適合性審査を通った,あるいは通して原発を再稼働させるべきかどうかは,各電力会社が自己の存続をかけてシビアな判断をなすべき政策判断なのだ。経団連会長が無責任に「どんどんやるべき」などというべき問題ではない。その結果,「どんどん」やった電力会社が破綻したら,会長は責任が取れるのであろうか?

 

例えば,福島第一原発事故では,当時の民主党政権が原子力損害賠償機構を設立し、同機構を通して東電を支援する枠組みを作り東京電力をつぶさない政策判断を行った。政府支援がなければ,東電は倒産していたのであり,合理的なリスク判断を他の電力会社は否応なしに行っていたであろう。本来であれば,東電は民間企業として「破産」という形で責任を取らせ,被災者には原発政策を国策として押し進めてきた国の責任を認めて特例法などを制定して救済すべきだったのであろう。しかし,この誤った政策判断により,電力会社各社はリスク管理という点で国からの救済という「天の助け」を潜在的に期待できることとなり,以来,「どんどんやるべき」的な大凡前近代的なやみくもかつ横並び的な再稼働を各電力会社ともに押し進めてきた。

 

しかし,である。電力自由化が推進され,思わぬほどの技術革新が相次ぐ昨今,災害による重大事故発生による損害に限らず,原子力発電事業が重荷となり,電力会社が経営的に行き詰まることは当然あり得る。また,安全対策コストだけでも割りに合わない原発もあるはずだ。例えば,中部電力の運営する浜岡原子力発電所。中電の原発は浜岡だけで,発電量に占める割合は2011年以前でも概ね10~20%,2012年以降はゼロだ。ところが,南海トラフの巨大地震想定震源域に位置して震度7の激震と20m前後の巨大津波が想定されるなど厳しい立地条件にあり,既に4000億円以上の安全対策費がかけられているが,さらに防潮堤の高さ不足を原子力規制委員会から指摘され,嵩上げを迫られているという。安全対策コストだけを考えても,通常であれば原子力発電事業からの撤退を考慮するべき時期に来ている。

一方,万一事故があれば,首都圏,名古屋に近く,東海道新幹線や東名高速道路とも近接しているところから福島第一原発事故の比ではないほどの被害や賠償責任が生じる恐れもあり,中部電力どころか日本という国の存続も危ぶまれる。

 

こういった,マクロなリスク管理というのを行うのが日本人は苦手だ。第二次大戦前の対米開戦時のリスク判断の誤りが改まることもなく,現在に至っても東芝や三菱重工業などの世界的な大企業が大変な規模の損失を出しているのも,リスク管理やリスク判断の誤りから来るものである。経団連会長ともあろう御方が,精神論で開戦を唱えたようなことを今時おっしゃっているのはどうか。

原発も経営である。シビアなリスク判断を行ってもらいたい。