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通常国会での予算案審議。財政危機についての議論を

国民民主党と自由党の合流や北方領土返還に絡んだ日露首脳会談、レーダー照射に絡む日韓問題,統計不正問題など、前触れとしては賑やか過ぎるほどの話題に事欠かない毎日だ。しかし、通常国会の最大の課題は言うまでもなく予算案審議だ。

そこで注目されるのが、どの政党が「未来」に責任感を感じているのかということだ。

ジョージ・ソロスと一緒にクォンタム・ファンドを創設した伝説的な投資家ジム・ロジャーズは、日本の財政状況について一貫して悲観的見方を披露しており、昨年には,もし自分が10歳の日本人ならば自分自身のためにAK-47を購入するか、もしくは、この国を去ることを選ぶ。なぜなら、いま10歳の日本人はこれからの人生で大惨事に見舞われるだろうとまで語ったと,週刊現代は報じている。

ジム・ロジャーズならずとも、今の日本の財政状況について、客観的な判断力を持つものなら誰しも不安を感じているだろう。

リーマンショックというアクシデントがあったにせよ、財政支出と税収の差額は、平成16年以降毎年50~30兆円にも上り、その分は国債という名の借金に依存している。

まるでバブル期に異常に多発した多重債務者の家計のようだ。

そして、毎年発行される国債は、ついには民間金融機関では支えきれず、日銀が異次元緩和という名目で、紙幣を刷りまくり買い支えているのだ(実際には紙幣を刷るまでもなく日銀の当座預金口座に残高をインプットしているだけだが)。すなわち、黒田総裁就任後、事実上の財政ファイナンスが続けられているのだ。その結果、2018年9月に999兆円に達した国債残高のうち44.6%、額にして445兆9347億円は日銀保有だ。

これを放置することが、責任ある政治と言えるのであろうか?しかも、国債発行は30年債、40年債などの超長期国債にシフトしている。つまり、今我々が使うお金を返済するのは30年後、40年後の国民なのだ。

一方で財政収支への懸念を示し、プライマリーバランスの均衡を唱える政治家は、野田元首相など少数なのが現状だ。相も変わらず,財政への懸念を示す少数の政治家や評論家を、財務省の支配下にあるとか、財務省に騙されているなどと根拠なく非難することが右左問わず盛んに行われている。そして財務省バッシングは止むことがない。

しかし、日銀マジックはいつまでもは続かない。平時であれば、財政ファイナンスは直ちに円安およびこれによるコストプッシュ・インフレという形で国民の生活を直撃していたであろう。ところが、この財政ファイナンスの悪影響が顕在化していないのは、おそらく米国、EU、中国といった世界の主要国の中央銀行がリーマンショック後、日銀に先行して同様の量的緩和政策をとってきたせいであろう。一国のみが突出して通貨発行量を増やせば、あまり時間を置かずにその国の通貨安を招き、ハイパーインフレを引き起こすことになるだろうが、みんなが協調して行えば目立たなくなる。みんなが通貨の価値を薄めれば、相対的な均衡が保たれることとなるのだ。まさに「みんなで渡れば怖くない」政策が世界的に協調して行われてきたのだが、ここにきて米国、EUはまずは量的緩和政策を停止し(テーパリング)、段階的な資産縮小に移行しようとしている。そんな中で日銀のみ出口政策が取れないとなれば、最悪のシナリオとしては円の信認が失われ、ハイパーインフレが日本を襲うこととなる。

政府与党も、2020年度プライマリーバランス均衡目標を先送りしたとはいえ、2025年度にこれを達成するとしている。しかし、史上初めて100兆円を超える当初予算を組んでいるその姿勢からは、どこまで本気でこれを達成しようとしているのかは極めて疑問だ。

そこで注目されるのが各党の予算案審議における姿勢だ。

「未来への責任」を自覚した質疑がどれだけ行われるのか。財政におけるモラルハザードの蔓延をどう改善していくのか。日本社会あるいは日本国民に待ち受けているであろう経済的危機を回避するため,各政党の利害を超えて真剣な議論が始められなければならない時機が来ている。枝葉の議論も勿論大事だが,国の将来の骨格を話し合うことも同じように行わなければならないことは言うまでもない。

困難が待ち受ける日本の未来を担っていける政党はどこであるのか。国会における審議を通して、それが示されるであろう。注目したい。