議論から逃げない

松井大阪市長が,福島第一原発の汚染水を大阪湾で海洋放出することに言及し,話題を呼んだ。

私自身はこの問題,処理されて告知濃度では存在しないとされていたヨウ素129,ストロンチウム90などの放射線核種が,数十回以上も検出されていたことから(2018年8月23日河北新報報道),海洋放出の前提を欠いており,陸上大型タンクでの長期間保管しか方法はないと考えている。

ここではその議論の是非はさて置くとして,松井氏の発言を聞き,維新が他の野党と違うことを改めて確認させられた。

 

それは議論から逃げていないことだ。

 

日本のリベラルは,都合のいいところばかり取り,トレードオフを受け入れようとしない。

例えば,沖縄の基地問題。

辺野古基地問題でも珊瑚礁の海への移設は望ましいものではないのは確かだ。では普天間はどうするのか。あるいは日米安保条約や地位協定は。

そこを提示していかなければ本当の解決は得られないだろうが,少し前にみられたのは反対のための反対。あるいは,アメリカが宗主国であることを認めたかのような請願活動でお茶を濁し,自己満足している姿。

 

消費税増税反対もそう。高齢者世代の増加と若年世代の減少により,医療・介護・年金にお金がよりかかるようになることは今から目に見えること。私はこの点について常々警鐘をならしているが,野口悠紀雄氏によれば,同じ社会保障費の範疇にある生活保護費も増大していくとのこと(「20年後は4倍、高齢者世帯の生活保護は「普通のこと」になる」)。

私は,消費税増税だけでなく,法人税,所得税の増税も必要と主張しているが,野口氏もこの記事で同じ主張をされている。

今の社会保障水準を維持しようと思えば,人口構成がここから2050年まで大きく負担増の方向で動くので,国民負担率の上昇-すなわち増税は必須となるが,そのことに触れようとする野党あるいは野党支持者はいない。それどころか,後先は考えないとばかりに消費税撤廃を振りかざし,机上の空論のようなMMTに乗っかったれいわ新撰組が勢力を増し,野党第一党の立憲民主党からも同調者が出つつある。

先のことはどうするんですか?と聞きたくなるが,法人税を上げれば,とか自分たちに関係のない負担増を言うばかり。利益は甘受し,負担増についてはどこまでも他人事だ。

 

電力問題にしてもそう。最近目立っているのが太陽光発電や風力発電に対する反対運動。

では,リベラルが気にする温暖化や原発はどうするのか。全てが上手くいく方法などない。

電気はいらない暮らしをするというなら別だが,電気も必要となれば,より環境負荷が少ない発電方法を受け入れるしかない。

フランスでは町の所有する湖に,町が太陽光パネルを敷き詰めて発電して町の電力を賄い,かつ売電して収入とするということで,町民も喜んでいる姿がフランスF2で報道された。

日本だったら湖の環境を破壊するといって,反対運動が起きているところだろう。

 

こういった日本のリベラルの,議論や本質から逃げた姿,反対さえしていればそれでいいという姿は社会党以来の伝統であり,今も野党や野党支持者に受け継がれているのがまごうなき事実。

その「実は逃げている姿」が国民に見透かされて野党は本当の信頼を得ていないのではないか。

維新が関西で着々と支持を伸ばしているのは,地方自治の運営において,逃げずに正面から課題に立ち向かっている姿が信用され,他の政党とは違う信頼感を得ているのだろうと推測する。

 

立憲民主党,国民民主党,社会保障を立て直す国民会議が統一会派を組まれた。日本の将来には重い課題が立ちはだかり,その解決には国民にも重い負担や決断が必要となる。その議論から逃げるのか逃げないのか。旧態依然の従来支持層の意向を気にしていては,その外に拡がるブルーオーシャンのような「投票先がない」という理由で選挙にいかない多数派の支持は掴めないだろう。

その動向次第で,また新しい動きが出て来るのかもしれない。

 

いずれにしろ,今のままでは日本の将来の暗雲は晴れない。議論から逃げない,人気取りに終始しない政治のあり方が必要だ。