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調査報道と恐れの欠如

 私は物心ついた頃から朝日新聞を読んできた。そこで学んだことは政治家・弁護士としての立ち位置を規定した重要な要素だった。

 しかし、今、その朝日新聞、あるいは朝日を含めたマス・メディアに対する信頼はほとんどない。

 ゴーン事件で見られるように、彼らは反権力であるかのような大前提に立ちながら、検察や反対当事者である日産からの一方的リークに基づいた記事を垂れ流す。

 入管法改正でも失踪する外国人労働者に裏切られる素朴な日本人という片面的な的なリポートがあった。遡ればロッキード事件のような罪刑法定主義(というより刑事訴訟法)からみれば危うい事件の報道も、相当偏って行われていた。

 これらの報道に共通するのは、両当事者をきちんと取材した上で、真実を明らかにするという姿勢(いわゆる調査報道)の欠如である。そしてその背景にあるのは、自分たちの巨大な権力が悪用された時に世の中にどんな結果をもたらしてしまうのか、という恐れの欠如であろう。この自覚がないと、第二次大戦に国民を導いた過去がそのまま繰り返されるだろう。

 もっとも、こういった安易な記事作りへの答えとして、既存マス・メディアの壮大な衰退は、大新聞の信じ難いような部数減という形で既に進んでいるのだが。

 彼らはいつ気づくのだろう。政治だけではなく、自分たちも大きく変わらなければいけない時期に来ているということに。