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自助・共助・公助は順番が違う?

今の日本,どうして何でもかんでも国や政府に面倒みてもらわなければ何にも出来ない,という考え方が蔓延してしまったのか?

自分の道は自分で切り開く,自分の力だけで足りなければ仲間同士で助け合うor共同で立ち向かう,不幸にして病気や失業などで自分の力ではどうにもならない時は公(おおやけ)がセーフティネットとして機能してくれる・だから安心して全力で人生を生きていく,というのが当たり前の生き方ではなかったのだろうか。

 

自民党の総裁選びに誰が,ということについて私が口を挟む気も何もないが,候補者である菅さんが「自助・共助・公助」を掲げた時,順番が違うと批判する方たちがいた。

高度経済成長期を日本が駆け抜ける時,そのいずれにもその順番通りにお世話になった自分の家庭を振り返った時,納得するところ大だった。

いくら高福祉社会の先端を行くヨーロッパでも,公助が最初,なんて議論はないだろう。

 

また,大学の対面授業再開について,国がなぜ今再開していいかを国民に納得させてからにすべきだ,との議論を展開された方もいた。

いったい日本人の自主性はどこにいったのか?なんでもかんでも手取り足取り国が教え指図しないと何にも出来ないし,しないのか?

自由の砦,大学が,自分で判断してリスクを引き受けることしなくてどうするのか?

 

国家の管理をできるだけ否定し,自由と独立を重んじ,そして他者への思いやり(公助)を大事にするのが名誉革命・フランス革命以来の近代民主主義の伝統であり,それを汲むのがリベラルだと思ってきたが,日本ではだいぶ違う姿のよう。

一部の層は,すべてを国が面倒を見ることにどんどんと傾いていっているようだが,それは社会主義国家のあり方であり,自由の否定を伴うことを,理解していないことが不思議だ。