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経済成長の夢は終わりにして,持続可能な成熟社会の構築に政治目標を切り替えよう

皆さんのお住まいの地域は何処だろうか。

私の地元静岡市では,私が政治活動を始めた3年程前,一番の目抜き通り商店街に空き店舗がごく僅かに生じ始めた。それが,今ではパラパラと点在するようになり,その周辺の商店街では長期間空き店舗の店の割合が相当数を占めるようになった。

静岡という,産業も盛んで県内総生産も多く県民所得も上位な県においてさえそうなのだから,東京や大阪,名古屋を除けば,どこにお住まいの方でも同じ状況だろう。それが平均的な日本の実情なのだ。

このような状況を日々目にしていれば,この先の経済がかつての高度経済成長期やバブル期の繁栄を取り戻すのはできないということは,知らず知らずに大多数の国民の動かしがたい認識となっているのではないか。金融機関を回っても,取引先の中小企業は,国内への新規投資は余力があっても行わない,需要が見込めないから,との声を多く聞く。

一方で,政治的な目標は相変わらず「夢よ再び」であり,3%程度のGDP成長率で未来を推し量ることを止めず,それを実現するという政策目標を掲げ続けている。

しかし,アベノミクスというか,日銀の異次元緩和という相当無理のある実験的財政政策が続けられているのにも関わらず,ここ5年の実質GDP成長率は1%を切ることも多いことからすれば,この先も1%未満のプラス幅が精一杯というのが日本経済の現実だろう。それもこの10年続いた世界的好景気が前提の話だ。

こういった姿を素直に見つめれば,政治的には経済成長至上主義の呪縛が未だに日本を覆っているというしかない。相も変わらず成長が前提,その何よりの証左は政府の策定した財政再建計画。その中身は,「計画」という名にも値しないようなは経済成長頼みのふわっとしたもの。

そして,その呪縛にとらわれているのは政府与党ばかりではない。野党や野党支持者の間では,デフレ期に消費税上げをしてどうするのか,という批判が根強い。

しかし,ここで現実を素直に見つめ直してみてはどうだろうか。日本の社会は今だ世界第三位の経済大国。携帯電話を持つことは相当程度一般的で,エアコンの普及率も高い。道路や鉄道などの社会資本も,アメリカと比較しても相当行き届いているというかかなり上のレベル。世界でも最も使いやすい医療保険制度が機能し,切り詰めれば生活は可能な年金水準が今のところ維持されている。

これ以上の経済成長を追い求めることが本当に国民にとって必要だろうか?

勿論,どのような社会でもすべての国民が経済的に豊かであることは難しいし,日本にも相対的貧困層は存在するが,少なくとも絶対的貧困は,生活保護制度があることによって相当程度防止されている。時としてそのネットが局所的に機能せず報道されるような悲惨な事例が生じることはあるが,それは再発防止策の徹底によって対処すべき問題だ。

正規と非正規間の賃金差別是正を積極的に行うことにより,現在の経済を前提としても,相対的貧困をより少なくしていくことは可能だろう。

無理な経済成長を追い求めて拡張的経済政策を取れば,後世への負担は増え続ける。それよりも,失業率の増大を伴わない緩やかな物価下落は,むしろ庶民の暮らしを楽にする。デフレへの恐ろしさとは大恐慌の際に起きたような,高い失業率を伴う急激な物価変動だ。

しかし,人口減少が続く日本では,無理な経済政策を行わなくとも失業率は増加しない。事実上の完全雇用状態は今後も続くであろう。暮らし向きを良くしようと思えば,所得の増加を目指すばかりが能ではない。物価の下落も出費の減少効果があるため,実質所得増加と同じ働きをする。

家計単位でみれば,所得増加≒物価の下落,という等式が成り立つ。

さて,若干視点を変えてみよう。

実は,平均余命の伸長に伴う高齢者層の増加という,社会的コストを大きく増大させる要素は,2050年には落ち着く。

 

その時を目指し,持続可能な成熟した社会構築に,政治目標を切り替える時が来ている。

今ならまだその時まで30年間という時間的猶予がある。日本に経済的余力があるうちに,世界第三位の経済大国という国際的信頼があるうちに,無理な経済成長ではなく,SDGsな社会構築を第一の政治目標とすべきだ。

それは,世界に先駆けてのパイオニア的試み。日本が世界に範を示せる好機なのだ。