好き嫌いで評価すれば、大多数の野党支持者にとって安倍政権の評価は最低だろう。しかし、2012年12月の第2次安倍政権発足以来政権は7年目となり、その間の選挙をみれば盤石の結果を残している。
ではなぜそうなのか?そこを解明しない限り政権交代の日は訪れない。
先のブログでは、野党の側にも改善すべき点があることを指摘したが、翻って今回は安倍政権について検討してみたい。安倍政権が選挙で結果を出してきた秘密はどこにあるのだろう。
まずは、我々日本人の生活実態を見るために民間給与所得の推移を見てみる。下のグラフは国税庁の統計を基に私がグラフ化したものだ。
民間給与所得は2007年の437万円をピークとして2009年には406万円にまで下がっている。2009年といえば8月に行われた総選挙で民主党が自民党を破り、政権交代を果たした年だ。経済の好不調が選挙結果に直結することは洋の東西を問わず普遍的なもの。2007年のリーマンショックで落ち込んだ景気が2009年には底に達し、政権交代に結びついたのだ。ただし、リーマンショックに対する対応はアメリカのFRB・バーナンキ議長がQE(量的緩和)で先行して手当てをして、世界経済(というよりはアメリカなどの世界的金融会社・銀行)の壊滅的打撃を防いだ。EUがそれに続き、そこから回復傾向に向かった。どんなショックにも底はある。日本では底を這っていた時期に民主党が政権を担当し、底を打った後の回復に向かうタイミング(2012年)で登場したのが安倍政権と黒田日銀総裁であった。ただし、日本経済の回復は、正しくは横ばいであった。名目GDPの推移をアメリカはドル建て、日本は円建てで示したのが以下のグラフだ。
2012年ころからわずかに日本の名目GDPは伸びているが増加幅はわずか。これに対してアメリカの名目GDPは2010年には早くも回復しその後は右肩上がり、25%以上の上昇を見せている。しかも、日本の横ばいのようなわずかな回復は為替のマジックにより修飾されたもの。円安により企業業績が水増しされ、売上がかさ上げされたことによるものなのだ。そのことは下に示した基軸通貨であるドル建てのグラフを見れば一目瞭然だ。民主党政権当時の2011年に比べ、実は相当程度落ち込んだままなのだ。
日本国内からみれば安倍政権はまあまあよくやっている、国外からみれば安倍政権は日本経済の運営に失敗した、という評価となろう。
いずれにしろ、円安というカンフル剤というか点滴によってどうにか息をついているのが日本の経済であり正直な姿。アベノミクスや異次元緩和でもたらされた円安や放漫財政でも人口減少に伴って落ち込み始めた経済の凋落を止めることはできずに、どうにか現状維持がなされている程度なのだ。
しかし、政治に対する評価としては、現状維持であれば概ね肯定的評価がなされるところである。安倍政権が評価されているのは、円安により見かけ上の景気が維持されていること、並びに人口減少→労働人口減少→人手不足という因果による失業率の大幅低下により、庶民の暮らしが低位安定しているからなのだ。
ただし、低位安定といっても、ピーク時に比べて極端に庶民の所得などが低下したのではなく、先に示した民間給与所得のとおり国民の所得はそれでも回復傾向にあり、失業率に至っては就職氷河期の世代から見ればうらやましいくらいの状況となっている。だから、特に時代の変革の担い手である若い世代に大きな不満がたまるような状況にはなっていない。つまり野党に選挙で負けるような状況とはなっていないのだ。
では、安倍政権の実績は評価されるものであり、このまま日本を担っていくべきなのか?答えはNOだ。それも大声でNOなのだ。
安倍政権がなぜ、日本の経済を維持し、どの層に対しても不満のない政治ができているのかといえば、それは明らかに国債に大きく依存した異常な財政出動による放漫経営を行っているからだ。安倍政権支持者は、国債はいつまでたっても暴落しないと事実を軽視し、財政均衡論者を馬鹿にするが、日銀が円を発行しまくって無限に買い支えれば国債の価格は維持できる。つまり、国債暴落は日銀が買い支えを行いうる限りは起こらないのだ。むしろ起こりそうなのは通貨発行量の増大によってもたらされる円安によるコストプッシュインフレだが、これも現状は起きていない。しかし、これにも原因はある。米欧の中央銀行が共に日銀に匹敵する量的緩和を行って通貨を増発し、これを縮小していない現状(下記グラフ参照)では、日本だけが突出して通貨を水増しした形とはならないので起きていないだけなのだ。
いったんバランスシートを縮小しかけたFRBも、株価の下落でこれを中断することを表明したため、当面は現状維持が続くかもしれない。しかし、リーマンショックへの非常措置として量的緩和を行ったアメリカやEUと違い、日本は財政赤字を日銀が買い取る国債で埋めるという、麻薬のような手法(財政ファイナンス)に依存することが常態化し、感覚がマヒしてしまっている。これを本気で止めようとする気がないことは、「Bプランなき財政再建計画。本気度ゼロ?」
https://ameblo.jp/masayuki-aoyama/entry-12439569005.html
で指摘させていただいた通りだ。
そして、政治における信義誠実に反するものとしてもっとも許しがたいことは、今の放漫財政のつけを遠い将来の国民に先送りしていることだ。下に国債の償還年数別残高をグラフにして示した。これをご覧いただければおわかりのとおり、超長期国債へのシフトは進行している。我々のつけは、超長期国債(20、30、40年債)という形でどんどん子供たちに先送りされてしまっているのだ。しかも、この超長期国債へのシフトは政権にとってもう一つメリットがある。借り換え分の国債発行残高をしばらくの間は少なくできるので、見かけ上財政健全化が進んだような外形を取り繕うことができるのだ。新たな手法による財政偽装と言えるだろう。
これほど恥ずかしいことが他にあるだろうか?我々が身の丈以上の暮らしを送るためにまだ選挙権さえない子供たちに負担を先送りする。その時には安倍さんだけでなくほとんどの与党政治家も政治家を続けているどころかこの世にもいない可能性があるから、後は知らん顔しても問題はない。そんな「未来への無責任」を続けている今の安倍政治を肯定する訳にはいかないのだ。
しかし、こういった事実はマスコミでは報じられていないし、だからほとんどの国民も知らない。野党でさえ、このもっともモラルハザードな安倍政権の最大の問題点には事実上口をつぐんでおり、これを正面から問題視する政党・政治家はまだまだ少ないのが現状だ。我々政治家は、そして国民は未来への責任感を感じるべきであるし、その点をきちんと追及すべきだ。そうすれば、国民の安倍政権に対する肯定的評価はやがて180度転換するだろう。