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左派リベラルの本性

いつも思っていることがある。

戦争などの非常時にこそ人間の本性が剥き出しになるということだ。

普段普通の生活をしていると、誰かを意味もなく殺害したり迫害したるすることなど特別な人間にしか起こらないことだと思いがちだ。しかし、それが非常時になれば、普段私たちの周りにいる普通の市井の人、あるいは私たち自身がそういった「特別な人間」になってしまう。

ナチスドイツ時代のドイツにおいて、ユダヤ人を迫害・虐殺し、周囲の国々を侵略したのは、ヒットラーやその周囲の指導者だけではなく、徴兵された普通のドイツ人が行ったもの。それは日本であっても同じことだ。数の大小に争いはあるが、民間人の虐殺や虐待はドイツ人も日本人もベトナム戦争時のアメリカ人も皆行ってきたことであり、否定しようのない事実だ。

また、マスコミにしても同じこと。今では綺麗ごとに関しての代表格であるあの朝日新聞が戦前戦中は大政翼賛の旗手であったことも忘れることはできない。

 

さて、ここからが本題。先のブログ「正しく恐れ、正しく恐れない」でも新型コロナウイルスへの過剰反応としての中国人差別や中国で行われた法的根拠なき隔離策に疑問を投げかけた。

そして、ご承知の通り日本国内において日本人に対しても同様の問題が発生している。武漢からの臨時便帰国者の中で、ウイルス検査やホテルなどへの待機呼びかけを拒否して帰宅された方への非難が強くなされたのだ。

そうしたところ、橋本氏が、古市氏との対談でまさにその点を鋭く批判されていた(「古市氏「リベラルや左翼は躊躇しないのか」橋下氏「強制は言語道断、恐ろしい」法的根拠なき新型コロナウイルス対策を批判」)。橋本氏は弁護士らしく、以前から世論よりも考え方の正当性を重視されていて、共感できる大胆な言説を披露されることが多々ある。

一方で、この法的根拠が欠如した対応について、左派・リベラル?の野党からもマスコミからも知識人からもあるいは普段意識高い系の投稿をされている方からも「非難に対する非難」がなされたことは見たことがない。法治主義や適正手続きの観点から、隔離政策についての法的根拠の欠如についてきちんと正論を述べているのは見たことがなく、そのダブルスタンダードは彼らの本性が露呈したところといえよう。

 

法的根拠や真実性の立証などにはまるで関心がなく、一方的な世論だけで少数者が押し流されてしまうのが日本という国の残念な特色。そして懲罰的損害賠償など強者に対抗する手段が弱者には与えておられず、迫害を回復する手段も限られている。

今回の騒動を通して、本当の意味での人権尊重の観念や、民主主義に必須の法治主義・適正手続きの尊重の意識など、肝心かなめの土性骨をなすところが、左派リベラルを自認する政治勢力やその支持者たちの間には無いんだということを実感する。

人間の本性はこういった時にこそ露呈するのだろう。