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対象の向こうに人がいる

イランが、イラク駐留米軍に対し一定の配慮のもとミサイルを撃ち込んだ直後、民間ウクライナ航空機が墜落した。そのタイミングに懸念を覚えてはいたが、昨日、イランの誤射によるものではないか、との観測が駆け巡った。

現在のところ確定的な情報ではないが、事実としたら大国間の駆け引きの中で、多くの無辜の第三国国民が犠牲になったことになる(BBC)。
 
このような国家間の諍いや、超大国の自制心に欠ける振る舞いによって、名も無い個人が犠牲になる。かなり前にはなるが、大韓航空機がソ連によって撃墜されたことがあったが、その時も多くの方が亡くなった。大国の面子や利益を最優先させる指導者にとっては100人単位の死者であってすらとるに足らないものであるかもしれないが、その個人、あるいは死者の家族にとってみれば全てが終わる。
全ての個が可能な限り尊重されるべき存在であることは、全ての国家や政治的指導者にとっての大前提となるべきなのだ。そして、名もなき一個人である我々も、いつ自分や家族の大切な命が犠牲になるかもしれないという、その立場の互換性に思いを致す必要がある。
 
そして尊重されるべきは生命だけでは無い。
個人の名誉や自由も同じこと。最近SNSである弁護士が、安倍首相のことを「バカ、アホ」と知的能力や人格を非難していた。首相ともなればある程度の批判を感受せざるを得ないところではあるが、民主主義の基本の一つは他者の尊重。その政策や行為を非難するのはいい。だが、相手が権力者や政治家、有名人だからと言ってなんでも言って良いものではない。最近、この手の罵詈雑言があらゆる場面で平然と語られるようになってきているが、その批判の程度の低さは、やがて自分たちにも必ず返ってくることになる。
 
あらゆる行為を人や国家がなす時、対象の向こうに人がいることを私たちは忘れてはならない。
 
なお、私は安倍首相の政策や過去の行為を支持するものではなく、政治的立場は大きく異なるものであることを念のため記しておく。