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安倍政権はシュールな超現実派路線。憲法9条改正案はその路線のラスボスだ。

 歴代の自民党政権は現実的政策を基本的に指向してきた。戦後殆どの期間政権を担当してきたのだからそれは当然であった。ただそれでも、現政権以前の歴代政権は、支持者層と共有している政治的理念や歴史的経緯、さらには世間に対する建前(世間体)などには常識的に配慮していたし、踏み越えるべきではない一線というものも意識してきた。また、田中政権の日本列島改造論、中曽根政権における国鉄民営化や間接税導入(これは頓挫)、小泉政権の郵政民営化など、その政治家の理念や信念に基づく将来に向けた政策が真正面から唱えられ、果敢に実現されたこともあった。

  しかし、現在の安倍政権の政策には、歴史的経緯や建前などに対する配慮や、保守政治家としての理念は覗えない。そこにあるのは、目の前の現実に対し,必要性のみをもって対処する、というきわめてシンプルな手法だけだ。シュールの域に達したともいえる超現実派路線が実践されてきたのだ。ここで注意しなければならないのは、安倍政権の政策立案の動機である「目の前の現実」は、日本社会の現実からくる要請だけではない、ということだ。そこには、第二次大戦後、陰に日向に強い影響力を持ったアメリカからの要請も「目の前の現実」の重要なものとして含まれている。そのことは、トランプ大統領の要求によって際限なく実用性に疑問のある高価な防衛機器を購入しているのを見ればよく理解されるところだろう(余談だが、その結果アメリカは今や事実上の宗主国のような振る舞いようだ)。

 現実だけを見据えた政策の反作用として、将来における不利益が当然起きる。これは安倍政権の政策に共通した弱点だ。

 だが,安倍政権の超現実派路線の最大の問題点は,そこではない。それは、政策導入目的の本当の意図を説明せずに言葉でごまかして、あたかもその政策がおいしいものだけでできているように見せかける,そういう不誠実な手法にある。その手法が常態化しているのだ。

 

 その例を上げれば枚挙に暇がない。

 まず最初の例がアベノミクス(≒異次元緩和)。大規模なマネー増発により日本人のデフレマインドに働きかけ,トリクルダウンにより庶民の懐も良くするというのがその謳い文句であった。

 しかしその実態は,円安誘導政策であり財政破綻回避政策であった。

 当時、国債発行額が年々増加して国債買入の主力であった民間金融機関の買入能力をやがて越えるであろうことは明らかになりつつあった。苦肉の策として、財務省に日本国債を海外に売り込むための課が設置された。国債の暴落も懸念され始め、三菱東京UFJ銀行が国債破綻に対するプロジェクトチームを作ったと報道されたこともあった。国債の買い手が不足し,国債がさばけなければ利回りは上昇する。そうなれば既発国債の暴落を呼んで国債を多く保有していた民間金融機関が次々と破綻することも危惧された。日本発のリーマン・ショック再来である。

 一方では、欧米が大規模な量的緩和政策を取る中,日銀のみが健全な政策運営を続けていたため,円高が続いていた。円高は国富の増大となるし,輸入物価の低下によって庶民の暮らしは楽になるので、国民全体にとっては悪いことではない。しかし,輸出産業にとっては打撃である。

 その解決策となるのが「異次元緩和」であり,これを柱としたアベノミクスであった。しかし,この解決策は緊急のカンフル剤であるべきであった。この劇薬が安倍政権存続とともに継続し,将来の世代にとてつもなく大きな文字通りの負の遺産を残し続けてしまっている(「日本の社会は上手くいっているか?」参照)。そして日銀の国債保有残高は2018年末には444兆円にも達してしまった。

 また,ちょっと前であれば「1億総活躍社会」政策というか掛け声。高齢者や子育て中の女性も生き生きと学び働ける社会を実現する,という建前の施策である。しかし,その主眼は「学び」ではなく「働ける」方にあった。団塊の世代の大量退職に伴い,日本の労働人口減少が顕著になっていた。そこで、それまでは労働市場に本格的には参加していなかった65歳以上の高齢者世代や子育て世代の女性などを新たなる労働力として活用しようというのが真の目的であった。が、それを素直に言っては身も蓋もないので言葉でごまかしたのである。もう一つの裏目的は、近い将来に訪れかねない年金破綻や高齢者世代への医療費自己負担増加も,高齢者世代が働いて収入があればなんとか受け入れてもらえるであろうから,働ける限り働いてもらって(出来れば寿命近くまで)国の負担を軽減してもらいたい,ということ。「国民は死ぬまで働いてくれ」宣言でもあったのである。戦中の「一億総火の玉」とあまり変わらない国都合のスローガンなのだ。

 

 外国人労働者受け入れの大幅拡大や定住に道を開いた去年の入管法改正案もしかりである。特別な経験や技能(これを「特定技能」と表現)を持つ専門的人材に限って,外国人労働者を大量に,しかも5年という年限で受け入れるというものだ。

 しかし,実際は,専門的人材を目的としたものではなく、いわゆる単純労働の範疇に属するところの宿泊業や建設業の分野にも外国人労働者を広く受け入れ,労働力不足をなんとか凌ごうという目的の立法に過ぎない。また,5年は延長可能であり,10年の定住も可能だ。これは,外国人労働者に対して永住権付与を可能とするものであり,これまで事実上途を閉ざしてきたに等しい日本の移民政策を大きく変更するものである。当然、日本社会の将来に大きな変革をもたらす可能性がある。このような大変革を行うのであれば,事前に国民に対して政策的意図を説明し,国民的議論や理解を経た上で行うべき政策であった。だがそのような説明など一切なされずに性急に導入が図られたことはご承知のとおりである。

 要は人手不足が急速に顕在化したことによる産業界の要請に急ごしらえで作り上げただけの粗雑な法案であった。このため、その中身となる部分は全部省令に丸投げされ,その詳細はブラックボックス化している。そんな拙速なやり方ではなく、本来であれば入管法「改正案」などではなく,新たなる「法律」として正々堂々と導入すべきものであった。

 この政策は「現実の必要性に迫られ,小手先の対応策を取った」ものであり,かつ「言葉で真の姿をごまかした」安倍政権の問題点のまさに象徴であった。

 

 最も最近の例としては,今国会での予算案及び関連税制法案審議で問題視されている、消費税率上げに伴うポイント還元制度がある。消費税率上げに伴う駆け込み需要の平準化を図り,税率上げ後の景気落ち込みを防ぐというのがその名目である。

 しかし,2%の税率上げに対し,5%の還元はいくらなんでもおかしい。したがって、この制度は野党各党が問題視し,野田元総理も先にブログで強く批判されておられた。ポイント還元制度の恩恵を受けるためには基本的にクレジットカードなど現金決済以外の手段を持っている必要がある。しかし,子どもやお年寄りなどクレジットカードを持たない層も多い。最初から不公平なことがわかりきっている制度なのだ。選挙目当てのバラマキ(次の参院選かオリンピック後の衆院解散?を見据えて)か,加盟店拡大を図るクレジットカード会社への忖度か。麻生財務大臣ですら首をひねっている様子がありありのこの制度は,あまりに近視眼的であり理念なき「超現実派路線」の象徴である。

 

 さて,真の政策目的を押し隠し,言葉でごまかす安倍手法の最たるものはこれからやってくる。理念なき超現実派路線のラスボスは、これから論議が本格化するであろう憲法9条改正案である。

 安倍首相は,9条改正の理由というか動機について「憲法違反と言われて自衛隊員がかわいそうだから」と繰り返し言っている。その事例が実際に存在したか否かは不明であるが,あまり説得力はないし、9条改正という大問題の動機としてはあまりに弱い。大多数の国民は自衛隊員の努力に敬意を払い,憲法9条とは関わりなくその存在を正面から認めているという事実があるからだ。

 では、真の目的は何か。

 そうではないことはわかりきっているが、仮に安倍首相が保守政治家らしく

「戦後75年に渡って続いてきたアメリカによる事実上の支配を脱却し,真の独立国家としての地位を確立する。そのためには自主防衛の確立が不可欠であるので憲法9条を含めた憲法改正は必須である」と、日本の将来の在り方についての理念に基づき憲法改正を提起したのであれば,まだ良かった。日本で初めて政治的課題について国民的議論が巻き起こり,日本社会が変革するきっかけとなったであろうからだ。沖縄問題も,結局はここに帰結している。

 しかし,実態は異なる。現在の日本(≒安倍政権)はアメリカの意向には逆らえない。2013年頃から大きく方針が転換されたアメリカの世界戦略に基づき,特に海上自衛隊をアメリカ海軍の補完戦力とするべく着々と進められた法整備(先の安保法制もその一環)やそのための戦力増強の総仕上げが憲法9条改正なのである。自衛官の子どもが胸を張るためではなく,首相がアメリカのための海外派兵を実現してアメリカに胸を張るための改正なのである。

 私が安倍政権を危惧するのは,個々の政策自体の是非からではない。そのやり方にある。今の不誠実な手法は民主主義や国民主権の対極に位置するものだ。個々の政策については,その効果や必要性の見地から考慮すべきものもあり、正面から議論され、その提案のされ方次第では、やむを得ないが賛成の余地もあったものもある。

 しかし,いかに日本の社会が政治に関心が薄く,選挙結果=民主主義=政権への白紙委任という誤った理解が常態化しているとしても,それでも政権与党には政策目的を明らかにし、野党と論争を行った上で国民の理解を得るという姿勢は必要であろう。そうすれば,野党も,枝葉の議論や言の葉の問題に拘泥することは脇に置いて、堂々と政策論争の土俵に乗ることができるだろう。それは政党間の利害得失を超えて日本の発展に繋がる。

 そして、与野党間の真摯な政策論争を求める国民は意外なほど多いのだ。