日本においては、新型コロナウィルスの子どもに対するリスクは極めて低いというかほぼゼロなのに、不合理にも子どもたちに大人以上の制限が課されている。
そこで生まれているのが、大人はGoToキャンペーンをやりながら、夏の甲子園は中止して、その同じ時期に春の甲子園の代替大会をやるという支離滅裂な状況。
より不合理が集積しているのは小学校。机を囲むけったいなシールドとか、じゃれ合い・私語の禁止とか、意味不明で過剰な制限を未だ続けている小学校がある。そして、子どもたちにとってもっとも取り返しがつかないのが修学旅行の中止。
私の事務所で確認したこの問題に関する文科省の見解は
「当面の措置として修学旅行を取り止める場合においても、その教育的意義や児童生徒等の心情等にも配慮いただき、中止ではなく延期扱いとすることを検討いただくなどの配慮をお願いしたいと考えております。」
結構常識的で適切な見解だ。
ところが、現場は違う。日本社会にありがちな事なかれ主義に、現実社会のプレッシャーが相俟って、子どもたちの大切な機会が失われている。実際、私の元に次のような声が寄せられたのだ。
「子どもが感染すると、自分も会社を休まなければならなくなる、という理由で小学校に卒業旅行中止を申し入れた親御さんがあり、取り敢えずは延期していた学校がこれを受けてその方向に向かいそうです。」
小学校に声を寄せた親御さんの切実な思いも勿論理解できる。しかし、それでも、子どもたちに必要のない制限を理由として、私たち親の世代が共通して受け取ってきた、修学旅行という子ども時代の大きな楽しみを子どもたちから奪ってしまうのは、子どもたちに対する不公平で虐待的な仕打ちだ。
そのような過剰対応を産む第一の原因は、学校当局者の事なかれ主義。しかし、学校ばかりを責められないのは、その背景に社会の過剰な警戒(自粛警察)が厳然としてあること。そして、その過剰警戒を呼び起こしたのは、マスコミ報道や一部政治家・学者・コメンテーターらによる煽りであり、その煽りは彼らの私的欲望(名声・注目・楽して視聴率や紙面稼ぎが出来ること)から生み出されている側面は否定できないだろう。
色々書いてきたが、声を大にして言いたいことはシンプル。
「大人の都合で修学旅行を中止させるな‼」