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国の宝が失われていく

経産省の若手キャリアが23人も大量退職したとの記事を目にした(「経産省若手キャリア官僚、大量退職の“怪”」)。

それはそうだろう。「怪」でもなんでもない。

ひと昔前(バブル位?)なら、難関の国家公務員試験をパスして日本の将来をより良くしようという気概に溢れた学生がチャレンジしたのが当時の国家公務員1種試験。その頃最難関といわれた司法試験に通りながら国家公務員を選択した先輩を目にして、官僚のステイタスは凄いなあと学生の頃思ったものだ。

 

しかし、それから30年が過ぎ、弁護士から国会議員に転身して目にした官僚の姿は当時憧れたエリート達のイメージとは相当違っていた。私は財務金融委員会に属しているので良く目にするのは「トップオブザトップ」「官僚の中の官僚」といわれた旧大蔵省ー財務省の幹部たち。しかし、そこで見かけるのは、野党の執拗な(悪く言えば重箱の隅を突くような)質問に対し、頭を下げ、言葉を選んでへつらいながらも、露骨な政権への配慮を示して意味のない答弁を繰り返す情けない姿。

国会開催中は、直前に飛び込んでくる野党の質問通告に対し当たり障りのない答弁を用意するために深夜労働が当たり前という状況になるし、弱い者いじめのハラスメントのような執拗な質問にも耐えなければならない。

 

こういった異常な姿は、内閣人事局の創設により度を増したとも言われているが、アメリカの政府高官があのトランプ大統領にも平然と異を唱えて辞任する姿とは対照的だ。日本社会の特に中高年層における流動性の低さや閉塞性にそもそもの原因があることは間違いないだろう。

 

高度経済成長時代、その真偽はさておき日本を支えているのは優秀な官僚と良く言われたもので、当の官僚たちもそれを励みに職務に励んでいたのであろうが、今では自分が売れるうちに早めに退職し、より自分を活かせる民間企業でより良い給与とストレスの少ない仕事をしたいと考えるのは誠にムリからぬところだろう。

 

今の日本社会が自分で自分の首を絞めるような閉塞性や攻撃性の昂進で、どんどん萎んで行くのは見るに耐えない。政治が本当に日本という国の未来を考えているのであれば、党利党略から離れて、与野党協力して官僚がもっと伸び伸びと力を発揮できるよう、まずは国会や人事のあり方を変えていくべきだろう。