青山まさゆきの今を考える > 新着情報 > 問題なのは憲法9条改正ではない。日本の安全保障の在り方である。

問題なのは憲法9条改正ではない。日本の安全保障の在り方である。

ここ1,2年における主要な政治課題の一つは、間違いなく安倍首相の掲げる憲法9条改正問題となるだろう。

安倍首相は,9条改正が必要な理由について「自衛隊員がかわいそうだ」と情緒的な側面のみ強調している。自民党のHPに置かれている憲法改正を解説する漫画でも,同じことが家族の会話という形式で説かれている。

 

しかし、その表向きの理由を本気で信じている方がどのくらいいるのだろうか?

今回の9条改正は、アメリカとの共同軍事力行使を可能にするための一連の法整備の総仕上げであることは明らか。

平成24年から平成27年にかけて行われた安保法制(平和安全法制)整備については激しい議論や反対運動を呼んだが,法的にみて極めて重要なトピックスというかマイルストーンであったのが,平成26年7月1日の閣議決定。安倍内閣がそれまでの政府の憲法解釈を変更し,個別的自衛権だけでなく集団的自衛権における武力行使を容認すると共に,国連による集団安全保障においても,自衛隊の果たせる役割を一歩進めたものであった。

これらの一連の法整備の背後にあるのは,よく言われるようにアメリカの世界戦略プログラムであろう。数次にわたるアーミテージ・ナイ報告書において,自衛隊のあるべき姿や日米軍事協力が段階的に「進化」させられている。そこから読み取れるアメリカの意思というか思惑は,自衛隊と米軍の連携・強力関係を更に押し進め,他国からみれば軍事的に一体であると見做されるようなレベルにまで日米(軍事)同盟を進めていくというものだ。

イージスアショアが秋田県や山口県に配備されたのは何のためか?いずもの空母化は何を目的としたものか?既にその路線に沿った既成事実が着々と作られているのだ。

 

さて,話を元に戻そう。私は憲法改正絶対反対論者ではない。いかに硬性憲法の色彩の強い日本国憲法であっても,不磨の大典ではない。

時代というか立法事実が変化すればそれに対するルールが変化するのはいわば当たり前。

しかし,ルール変更,しかも国の行く末を大きく左右する基本ルールの変更にあたっては,その必要性や狙いをルールの適用を受ける当事者(すなわち国民)にハッキリと説明し,理解を得て取り組むべきものである。肝心なのは「ルール改正」ではない。ルール改正を必要とする理由や,ルール改正によって見込まれる効果をきちんと説明し,ゲームに参加するプレーヤーの理解や賛同を得ることなのだ。

しかし,まさにその点が欠けているため,今の与野党の憲法9条を巡る議論にはまったく賛同できない。

入管法改正案の審議のときもそうだった。入管法改正は,外国人労働者の5年を超える日本在住を可能にするものであり,10年の居住を要件とする永住権の取得に道を開いたもの。すなわち,これまで鎖国状態にあった日本に移民を解禁するという,極めて大きな政策変更をその実質とした法案であった。人口減少だけでなく若年世代の減少により,労働力が極端に不足しつつあり,経済発展どころか現状維持もおぼつかない今の日本社会に,欧米諸国と同じように規模的に大きく移民を受け入れて国力維持を図る狙いがあったことは否定し難い事実であろう。10年経てば自然にそうなるからだ。

だが,政府はその点(永住権付与の基礎的条件となるのか)を聞かれても曖昧な答弁を繰り返すだけであったし,野党側も過去の外国人労働者に対する不当な扱い事例を批判するだけで,人口政策・労働政策あるいは移民に関するビジョンを明確に示すには至らなかった。

 

憲法9条改正についても同じだ。今の安倍政権の憲法9条改正の国民への提示の仕方はまさに子ども騙し。先に述べたとおり,今,憲法9条を行おうとする自民党・安倍政権の本当の狙いは日米同盟というか日米共同軍事体制の一層の進化を可能にするため。

誤解されないよう言葉を足せば,その背景にある目的自体を悪として一方的に否定するつもりはない。

だが,少なくとも民主主義国家であるなら,正当な民主主義の手法として,その目的を正々堂々と国民に提示して,理解と選択を仰ぐべきであろう。

立法事実として,少なくともアメリカ側からの日米共同軍的な運用への要請が強まっているのは事実であるし,対米折衝にあたっている政権与党として,日本にとって主要な同盟国というか現状唯一の存在であるようなアメリカの要請に対応するため憲法9条改正が必要である,と国民に提起することはある意味当然の選択肢。そして,戦後75年に渡って維持されてきた日米同盟を堅持し,さらにそれを強化していくというのも,一つの有効な政策ではあろう。

 

ただし,その選択は,真の独立国としての主権を放棄している体制が今後も続くということを意味する。沖縄の米軍基地問題はいつまで経っても解決しないであろうし,首都圏上空の管制圏がほとんどアメリカに握られたまま,という異常な事態が続いていくということを意味する。さらに今後懸念されるのは,アメリカが過去定期的に行ってきた必ずしも正当性があるとは限らない戦争に日本がより深く関与し,いつの日にかは自衛隊員の人的犠牲が出ることも覚悟しなければならない,ということである。

 

一方で,別の立法事実もある。

トランプ政権が激しく対中貿易戦争を仕掛けているのは,中国がアメリカに対向しうるもう一つのスーパーパワーとしての地位を確立しつつあるからだ。

日本の安全保障の観点-今後も戦争のない平和な時代を続けていこうと思えば,近隣諸国との友好関係を発展させることも日米関係と同様にとても大事な条件となってくる。アメリカにおいて,カナダやメキシコとの間で武力紛争など考えられないのと同じように,日本が安定的な平和(それこそが安全保障の究極の目的)を維持しようと思えば,中国,韓国,北朝鮮並びにこれから世界の主要な経済大国にのし上がってくることがほぼ確実な東南アジア諸国との友好関係は欠かせない。

そうであるならば,アメリカとの片面的かつ一極的な友好関係のみをどこまでも追求するだけではなく,そういった真の安全保障の達成から逆算するような現在の安全保障のあり方を検討する必要がある。

その役割を果たし,もう一つの選択肢を国民に提示すべきは,安全保障についての対案を示すべき野党の側にある。

 

そういった,日本の将来の安全保障の立て方の議論の果てにあるべきが9条改正問題なのだ。

だが,今のところ与野党においてあるのはその他の政策や法律議論と同じ,皮相的な議論のやり取り。

自民党は衣の下に鎧を隠し,耳障りの良い建前だけを国民に提示する。

野党の側にも,問題の本質的な部分をえぐり出すような議論はみられない。従来の支持層であるリベラル・左派の現実を無視しているかのような9条擁護論から脱却しているようには見えない。

憲法9条改正を議論する前に,日本の安全保障ー平和の維持のために,現実や近未来のパワーバランスに関する予測を踏まえ,どのような戦略を立てているのか,まずは各党はその点を国民に提示すべきだ。

その上で,その戦略実行のために憲法9条を変える必要があるのか,変えるとしたらどう変える必要があるのか,それを提示するのが筋であり,それが民主主義国家の正当なあり方であろう。