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厚生労働省は誰に「厚く生きて」欲しいのか?

このところマスコミのトップニュースは「医療崩壊間近」ばかり。

東京都医師会会長も「「医療者が疲弊している状態では医療は守れない」と発言し、大きく報じられている。

一見するともっともな報道のようにも見えるが、そうなのだろうか。

今回の日本の第3波は、ヨーロッパの第2波に遅れて始まったもの。ヨーロッパでは8月中下旬から始まり、11月上旬ころにピークを迎え、現在ピークアウトしつつある。

問題はその陽性者(≒感染者)数で、たとえばフランスの11月7日の陽性者数は1日で8万8790人(worldmeter)。

日本の累計陽性者数は12月7日までで16万3262人なので、1日で日本の累計の半分という陽性者がでているのだ。ちなみに日本の最大は11月28日の2674人(厚労省)なので、それでもフランスの最大値の33分の1に過ぎない。

重症例は、日本が直近の12月8日で536人。フランスは第2波でのピーク時で4900人前後、現在は3000人程度、日本の6~10倍程度だ。

EU各国はイタリアでもイギリスでもドイツでも1日の陽性者数が1万人を超えており、どこもフランスと似たような状況なのだが、医療崩壊というニュースは春先と違ってあまり聞こえてこない。

一方で日本はその10〜30分の1の陽性者や重症者しかいないのに、盛んに医療崩壊が叫ばれているのは、なぜか?

マスコミは「新型コロナ・医療崩壊」という言葉しか報じないので一般には理解されていないが、実は、この10年以上に渡って、深刻な病院勤務医不足・病院看護師不足が叫ばれ続けていたのだ。下表は厚労省が2007年に作った「コメディカル不足に関して~看護師の人数と教育」から。それから13年が経っている。

そして、以下はやはり厚労省が2007年に作った「病院勤務医の負担に係る問題について」に載っている表。

ところが、13年経ってもこれらは改善されていない。下表は日本病院会が昨年行ったアンケート結果を元に私の事務所で作ったグラフ。不足している、やや不足しているを合わせると9割近くの病院が勤務医不足を訴えているのだ。

結局、厚労省自身、遅くとも2007年から病院勤務医不足・看護師不足を認識していたにも関わらず有効な手を打って来ず、よって現場はそもそも崩壊寸前であったのだ。今回それが新型コロナをキッカケに一気に噴出しただけの話。

つまりは厚労行政の怠慢のツケが回ってきたものに過ぎない。

ドイツが2012年にパンデミックシナリオを作り、8年かけて着々とICU病床を準備し、4月には他国の患者さえも余裕で受け入れたのとはまさに好対照だ。

それに加えて病院間、都道府県間の連携もない。この点は、スウェーデン在住の宮川医師にお尋ねしたところ、次のとおりの指摘をいただいたところ。

「ベッド数はスウェーデンの6倍もあるのに、運用法、また、医療従事者の招集がうまくいっていない」

まさにその通りで、都道府県を跨げば空き病床やらがあるのにそれを融通しあうこともしていないのだから、平均すれば一都道府県あたり10人ほどの重症者で大騒ぎになるのもある意味当然。

私が、東京都医師会会長の発言やマスコミの報道の仕方があまりに偏っていると思うのは、こういった医療体制自体の問題には完全に無視を決め込んでいること。

そして、そのあおりを食うのは庶民。実は、日本は今やサービス産業国家。

全就業者のうち22%が「卸売、小売、宿泊、飲食業就業者」なのだ。

日本の就業者数の5分の1を占めるこれら業界(特に飲食宿泊業)が、新型コロナで瀕死の状態であるのに、そこは無視しして、これら業界の死活にかかわる「自粛」のみ要請するのはあまりにバランスを欠いていないか?

今日の厚労委員会質疑でも、病院勤務医不足・看護師不足を田村厚労大臣に問いただしたが、帰ってきたのは次の言葉。

「医師はですね、需給予測で令和11年、看護師は令和7年までは不足してますが、そこで一応、今の計画でいくと充足するという形になってます。」

あまりにひどくないだろうか?今、医療崩壊が叫ばれているのに、10年後・5年後には充足するからそれまで待てとは。

しかも、本当は少なくとも10年前から不足していたのだから、病院勤務医や看護師は、過酷な状況に置かれていても、今までもそしてこれからも20年間我慢し続けろ、ということなのだ。そして、その作用は、この新型コロナ禍では、それが国民生活の窮状に直結する。

欧米であれば通常の生活や営業ができる感染状況にもかかわらず、日本では「医療崩壊」の名の下に、サービス業を中心にまさに「もう一つの崩壊危機」にさらされ続けなければならないのだ。

厚生労働省、そして厚生労働大臣は、誰に「厚く生きて」欲しいのだろうか。少なくとも国民一般ではないようである。