新型コロナ関連の話題から少し離れて。
唐突だが、デービッドアトキンソンの生産性オンリーの考え方、そしてそのための最低賃金さえ上げれば日本企業の競争力が強くなる、という理論は間違っていると考えている。
その考え方は、政府が借金して民間に金をバラまけば景気が良くなるという日本流MMT(本家MMTは実は少し異なる)と同じで、「マネー主導」で実態を良くしようというものだが、世の中そんなことでは変わらない。
在宅医療に取り組まれているドクターが、生きがいである職を奪われて枯れていってしまった元オーナーシェフの方のお話、そしてその悲しい話とは対照的に、一人暮らしの高齢女性が貴重な少量生産を続けて社会の需要を満たすと共にご自身の健康レベルも維持されているお話などをFacebookで紹介されていた。それを読んで、ドクターも示唆されている、中小企業淘汰論の気付かれていない副作用に思いをいたした。
実際、公園のベンチで朝から酒を一人で飲んでいる方などを見ると、一定の年齢で仕事から切り離される今の社会システムが人の幸せに繋がっているのか疑問に思う。
自身も普通であれば定年を迎える年齢近くにあり、友人が実際に引退しているのを見ると、定年や選挙という選別により強制的に職を退くことがない弁護士という基盤を持つことが、とてもありがたいことなのだろうと気づかされる。
もちろん、夢の引退生活を思い描いた時もあったが。キューバあたりで海岸を眺め、生のジャズを聴きながら昼から美味しいカクテルでも飲む夢。まあそちらは夢で終わりそう。
(出典:厚労省 平成29年度第3回入院医療等の調査・評価分科会資料)
日本の近未来の課題は間違いなく高齢者層がほぼ4割を占める高齢者主体社会。4割の人間が生きがいを感じつつできるだけ健康年齢を保つ社会を築くのが、本当は最優先かつ最大のテーマだろう。
主要な解決策の一つは、高齢者になっても、それまでの人生を共に歩んできた「仕事」というものを出来る限り続けていく、そういうことが可能な社会設計を今から進めていくことだろう。
それが出来れば高齢者の介護費用やら医療費やらまで考えれば、逆に社会全体のコスト圧縮にも繋がる。
目先の数字ばかりに囚われて、全体を見失わないことが肝要だ。