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ランダムウォークのできる日本に

日本が財政規律を無視してまで拡大した財政政策を30年も続けたにも関わらず、そして、ここ6年は異次元緩和という通貨大量供給政策を行なっているにも関わらず、日本社会が長期低迷から抜け出せないのはなぜか?
 
数字の分析は幾つもなされ、経済が回復しているのかどうかについて盛んな議論が行われている。しかし、間違いなく日本経済は縮小過程にある。生活実感から同意される方は多いだろうが、外から日本を見ればその事実は動かせなくなる。端的にドル建てGDPを見てみれば良い。経済大国への道を駆け上がってきた日本の一つのピークは1995年の5兆4491億ドル。そこから減少に転じ、4兆ドル台で推移してきた。2007年のリーマンショック後、FRB、ECBが極端な量的緩和政策を取ったのに比べ、緩和競争に乗り遅れた円の独歩高となり2012年1ドル75円という史上最高値を付けたことによりドル建てGDPは嵩上げされて6兆2032億ドル と1995年を更新したが、日銀が異次元緩和政策でFRB、ECBと共同歩調を取ったことによって円安が進んで再び4兆ドル台に。
つまり、95年から25年間もの間、経済拡大の歩みは止まったままだ。
日本の衰退がハッキリと現れているのは、統計数字に現れない質の面。
1995年、米経済紙フォーチューンのグローバル500社において、日本企業は149社を占め、アメリカ151社に次いで僅差の2位。まさにジャパンアズナンバーワンの時代であった(宮崎信二「フォーチュン・グローバル500社」にみる日本企業の衰退(上))。しかし、2018年では52社と3分の1まで激減。日本経済の衰退は、質量共にというか、質先行で進んでいるのだ。
 
この「質」の衰退は深刻だ。いくらアベノミクスでお金を注ぎ込んでも、回復のしようはない。そこで思い起こされるのが1970年代、80年代の激しい日米経済摩擦。今の米中貿易摩擦のようなことが年中行事で繰り広げられていた。その時も政治的に仕掛けていたのはアメリカ。しかし、アメリカの経済再生は、報復関税やドル安協調誘導で成し遂げられたのではなかった。USスティールやGM、パンナム、AT &T、Kodak、ウォルマートなどの既存の大企業に代わり、Microsoft、Apple、NIKE、Facebook、そしてAmazonなどの新しく、しかも革新的な大企業が次々と生まれ、世界に再び覇を称えているのだ。
  このような企業の創造は、金融政策(マネー供給量の拡大)や、拡張的財政政策(公共投資、減税など)では決してできない。日本の失われた20年、いや40年は、高度経済成長時代と同じ拡張的財政政策のみを継続しーいわば経済への量的手当―、質的手当を怠ってきたことによって続いている。
 
  新しく、創造的な企業が生まれるのに必要なものはなんだろうか。
ランダムウォーク(参照・「仕事は楽しいかね?」デイル・ドーテン著)である。企業経営の経験がある方ならすぐに頷くところだろうが、狙ってヒットするものは少ない。特に大ヒットは、偶然の産物であることが多い。ましてや世の中にレジューム・チェンジをもたらすような革新的な発明、発見、あるいはビジネスモデルは、数多くの、別々の人間による試みの中から、意図的でないふるいによって選別されて生まれるものだろう。単細胞生物から人間への進化は狙ってなされたものではない。ランダムな突然変異で生まれた新種が、意図的ではないふるいー自然淘汰―にかけられることにより、進化は生じた。企業も似たようなもの。星の数ほどのビル・ゲイツ、スティーブ・ウォズニアック、マーク・ザッカーバーグの中からMicrosoft、Apple、Facebookが淘汰され、あるいは他を淘汰して生まれてきた。しかも、彼らは、世界に覇を称える大企業を作ろうとしてMS−DOSやMac、Facebookを造ったのではない。自分の好きなこと、やりたいことをやった結果が製品となり企業となりやがてそれが世界有数の大企業になったに過ぎない。しかも、彼らがやりたいことをやったのは、いずれも学生の頃である。
 
  翻って今の日本の学生に彼らのようなランダムウォークが許されるであろうか。もっと重要なこととして、ランダムウォークが出来るであろうか?
  いずれもNOである。
最初のNO(ランダムウォークが許されるか)の原因は、極端なまでに流動性のない今の日本の労働市場が原因である。一部の例外を除き、正社員と非正規社員の待遇には歴然とした格差があり、しかも正規➡︎非正規という流動性はあっても、非正規➡︎正規という流動性はないに等しい。そして、正社員への採用は未だに新卒重視。いかに有名大学出身者であっても、最初の新卒時に正社員というレールに乗り損ねると、残りの人生での挽回が困難であることがはっきりとしている。これでは、いかにアイディアを持った学生であっても、回り道をしてみるという冒険は出来ない。
次のNO(ランダムウォークが出来るか)の原因は、詰め込み過ぎで自由にモノを考える時間や羽目を外すことを許さない高等教育課程にある。今の進学高の常軌を逸した宿題の量をみなさんはご存知だろうか。毎日毎日宿題をこなすだけで精一杯。また、監視の目と批判の目が行き届いた現在、高校生ですら友人の家に集って羽目を外す自由もない。冒険心や無駄かもしれないことにでもチャレンジする心の余裕というか隙間が塞がれてしまっている。
 
私は、日本社会がもっと生き生きとしたものとなることが、日本を経済的に再生させる近道だと思っている。財政政策や経済政策をいくらやっても、国内的には人口オーナスで需要自体が大きく減少するという基礎条件は変えられない。国外では、人口ボーナスを得て、次の日本、次の中国となることを待ち構えている国々が東南アジアを中心に目白押しだ。
アメリカの没落と再生を見てきた我々は、なぜ彼の国が再生を成し遂げて以前にも増した国力を得るに到っているのか、そこに思いを致すべきであろう。
 
具体的な提言は以下の2つ。
1. 労働市場に流動性を確保する。再チャレンジがいつでも出来る市場に変えていく。そのためには、正社員、非正規社員間の差別を法的強制力をもって撤廃する。その差は雇用期間の縛りが双方にとってあるかないかだけにする。これが進めば逆に解雇規制もそれに応じて緩和されるだろう。
2. 高校での宿題を全廃する。特に高校、大学といった高等教育について、主要先進国のカリキュラムを徹底的に検討し、自由な発想を持つ人材を育むための教育に変えていく。
 
教育に関して若干付言する。そもそも、今の時代は上からの指示にいいなりの大量の企業戦士が必要であった時代ではない。企業創造を平気で行えるバイタリティと創造性を備えた「個人」を育んでいくことが大事な時代だ。今の資本主義は、どこまで知的な先進性を備えたアイディアを持っているかが勝負の時代に進化している。目的や目標が変われば方法も変えることは当然だ。