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どっちが悪いかは問題ではない

世の中にはどのように説明しても、真意を理解しない方がいるし、神ならぬ人にとってそれもまたやむを得ないこと。

現在の野党の「桜を見る会」などのスキャンダルを巡る一連の戦術が,一部の市民グループにとっては重大であると映っても、大多数のサイレントマジョリティには逆に「またか」と思わせる効果しかなく、逆にまんまと安倍首相の術中に嵌っている懸念がある。だから、安倍首相や大臣の答弁の可否(特に「桜」に関してまともでないことは誰の目にも明らか)とは別の問題として、ほかの重要課題(社会保障、財政、外交)についても少なくとも予算委員会での時間配分上,半分以上は取り上げてその比率を考え直した方が良い、と考えている。

そのような趣旨の提言をしても、「安倍首相が悪いんだからそんなことを言うお前がおかしい」という批判がリベラルを自認する層から寄せられ,「どっちが悪いか」というところから一歩も抜け出そうとはしない。そのような考え方の代表格である毎日新聞の社説も目にした「社説 安倍首相の国会答弁 誰が聞いてもおかしい」)。

しかし,どっちが悪いかはわかりきっていること。国民の大多数は,リベラル派の代表格のようなこの社説が行っているその点についての安直な批判など十分に理解している。

彼らは,自分たちが支持している政党が,堂々廻りを繰り返していると,国民からはどっちもどっちとしか思われなくなってしまって呆れられてしまう,ということにいつ気付くのだろうか。それは野党にとって得策ではない,と誰もが思っているのに。