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この同調圧力に疑問はないのか?

人間は社会的動物。時代に応じてその形態は変化するが、支配ピラミッドを形成することや集団的行動をとる習性は、DNAにプロムラミングされた逃れられない宿命なのかも知れない。

日本で暮らす我々は、隣国の世襲制指導者を頂点とする昆虫社会のようなシステムに違和感を感じる。しかし、個別の問題を見ていると最近の同調圧力が増すばかりの今の日本の状況も、実は大差ないのかも知れない。

例えば、嵐の活動休止宣言時のマスコミインタビューでひとりの記者が遠慮がちに質問した「無責任」という言葉に対する集団的反応。一方向に形成された劇場的雰囲気に反する者は、絶対に許されないようだ。同じ方たちが、別の場面では不確かな情報で誰かを吊るし上げるときには、遠慮会釈なく激しい言葉で責め立てているというのに。

どなたかが書かれていたが、魚の群れが一斉に方向を変えるのに逆らうことは許されない社会になってきている。

小室さんの問題でも、どう考えても裏のありそうな話を表面的に流れている情報だけで一個人を批判する風潮は続いている。

 

話を少しだけ政治に戻す。日本の政党政治に欠けているもの、それは個々の政治家の資質・能力・基本的な考え方に関するチェックだ。なぜその当たり前なことが行われていないのか。それは党議拘束という究極の同調圧力が存在しているからだ。党議拘束のないアメリカでは、民主党も共和党も2年に一度の党大会くらいしか民主党も共和党も集まることはなく、議員個々がそれ以外は勝手に活動していると何かで読んだことがある。党議拘束が続き、一部のボスが公認権を盾に全権力を握る現状が続く限り、国会議員は全国民の代表という建前との乖離は続くだろう。