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「大きすぎれば潰れない」が慣例化しないか?

日産自動車に対し,「政府系の日本政策投資銀行(政投銀)が5月に決めた日産自動車への融資1800億円のうち、1300億円に政府保証をつけていたことがわかった。仮に返済が滞れば8割を国が実質補塡(ほてん)する。」(朝日)との報道があった。

 

これはものすごく考えさせられる話。自動車産業がコロナ禍の影響を受けているのはトヨタの業績をみても間違いない。しかし,日産はコロナ禍以前から売上は低迷していた。それだけでなく,実権を握っていたゴーン氏への不透明な資金の支払いが問題となり,刑事事件にまで発展したが,それを告発した当時の社長にもまた報酬を巡る問題が発覚し,彼もまた追われた,という企業。

そういった個別企業に巨額の債務保証となると,いかに裾野が広い企業とはいえ,妥当性が問題となる。また今後に目を向ければ公平性についての疑念が湧く。大きすぎれば潰さない,が慣例化する恐れはないのか?

たとえば日産と同様,あるいはそれ以上の巨額債務を抱える上場企業が危機に瀕したとき,やはり公的資金(DBJは民間会社に移行中であり国が100%株主)で救済するのだろうか?。

 

一方で,日銀の巨額ETF買い入れもより大規模に継続されており,このところ日本の社会主義国化,中国のような国営企業化が止まらない。厳しい見方では,新陳代謝が進まず,点滴に繋がれて生きているような企業ばかりになっていく恐れもある。

 

このやり方を進めて行くと,日本全体が一様に沈下する恐れもある。

「みんなで沈めば怖くない」という道を選択するのが本当にいいのかどうか。