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医療崩壊間近。日本の抱える不都合な真実

日本の感染者増は、なんとかギリギリ踏みとどまっているところ。

世界の感染者数が200万人を超えた中、4月14日の増加数は267人(worldometer)。

よく、日本はPCR検査数を絞っているので実際の感染者数はもっと多いと言われているし私もそう思うが、死者数はトータルでも146人なので、やはり感染爆発手前でまだ踏みとどまっていて、欧米の状況にまでは至っていないようだ。

 

一方で、医療崩壊-医療システムの破綻は、これとは別に刻一刻と近づいている。

都内で救急搬送された高齢者受け入れがなされなかったとの報告が、柿沢未途衆議院議員のFacebookで紹介されていた。そこまで至らずとも、救急車の受け入れ先がなかなか見つからない事例も報道されている(テレ朝)。

それらの事例に加えて、現場の最前線である一般総合病院において、臨床に当たられている医師の方から寄せられた声を効くと、現場には相当の切迫感があるようだ。

 

欧米では1日あたり数千人、数万人単位で感染者数が増えて医療崩壊の危機に直面したが、日本ではまだ100人単位。それでも、最前線に立つ総合病院はいっぱいいっぱい。

日本の医療の偏りが露呈している状況だ。

 

日本は、病床の絶対数こそ多い(人口1000人あたり13.2、イタリア3.2、アメリカ2.8、ドイツ8.0)ものの肝心の医師数(同日本2.4、イタリア4.0、アメリカ2.8、ドイツ3.4)はアメリカ、イタリアよりも少ない(医療関連データの国際比較)。

ICU数に至っては、アメリカ(同34.7)、ドイツ(29.2)よりも日本ははるかに少ない(7.3)。イタリアよりも少ないのだ(12.5。「日本のコロナ医療の弱点、「集中治療ベッド数」は、イタリア、スペイン以下」)

これから欧米並みに感染者が1日に3000人〜3万人も増えるようになった場合には、とてもドイツのように医療システムを維持し続けることは出来ないだろう。

 

その弱点を肌で知る日本救急医学会は、「救急医療体制の崩壊」を既に実感していると声明を出している。

 

日本の医療システムが今回の危機に際して脆弱性をさらけ出しているその原因には複合的な要素があるだろう。

1980年代から2008年まで連綿と続く医学部定員削減と固定化による医師不足により(「医師数問題について」)、特に病院勤務医の過重労働と特定診療科の医師不足が続いている。

また、感染・発熱外来がほとんどないため、コロナウイルス感染者をゾーニングして受け入れるシステムがなく、今回も重症患者以外は受け入れ自体を事実上拒まざるを得ないような状況が続いている。なお、断っておくが、ここでは個々の病院や医師を責めているのではない。

システムの構築を怠ってきたことが今日の事態を呼んでいるのであり、いわば過去の政策の負のレガシーが今、この危機に表面化したのだ。

 

もう一つの問題は、この医療システムの危機を政府が予見し、これに備えていたとは思えないこと。

ただでさえ日本と比べればゆとりのある医療システムのドイツが、着々とICUの確保などを1月中旬から始めており(TBS)、既に1万床を現在使用しているものとは別に確保しているという(共同)。だからイタリアやフランスの患者まで受け入れているし、それでも自国民の治療に影響はないと当局者か医師かが自信をもってテレビのインタビューに答えていた。

基礎的条件に劣る日本が、短期的な予測に基づく備えを怠っているのでは話にならない

 

さて、そうは言ってもこの事態を手をこまねいて見ているわけにはいかない。

政府がクリアすべき短期的課題としては、軽症者用施設の確保に全力を当てること。

経営が厳しいホテルの買取でもオリンピック村の活用でもなんでもやるしかない。その財源を持つのは、赤字国債を発行し得る政府しかないのだ。

そして、重症者を放置するという最悪の事態を回避するために、県の垣根を越えて医療資源の活用を図って重症者を地方で受け入れたり、あるいは東京などに臨時の医療施設を設けて医師・看護師などを地方から募ったりするなどして医療資源の流動的運用を国の責任で進めるべきだ。

 

そして、この危機を乗り越えた暁には、次の危機に備えて、医師定員増大や急性期病院の拡充などを、すべての岩盤をぶち抜いて進めていくしかない。

舵取りの任にあたるものの鼎の軽重が問われている。