おとぎ話への怒り

ニューヨークでの国連機構行動サミットで,スウェーデンの高校生トゥンベリさんが,「「あなた方は希望を求めて私たち若者のところにやってくる。よくもそんなことができますね」と批判し、「私たちは大絶滅の始まりにいる。それなのに、あなた方が話すことと言えば、お金や永続的な経済成長というおとぎ話ばかりだ。よくもそんなことを!」と怒りをあらわにした。」と報じられた(AFP=時事)。

 

その通りだ。経済成長を追い求め,今の大人の世代は,将来世代へこれでもかと負荷をかけ続けている。問題は環境だけではない。今の日銀の異次元緩和による財政ファイナンスや,通貨発行による財政拡大での経済成長を唱えるMMTも,無理な経済成長を追い求め,将来世代へ負荷をかける可能性が大きいという意味ではまったく同じだ。MMTが間違っていたとき,残されるのは多大な負債と通貨安。どちらも将来世代の生活を今以上に困難にする。

 

その懸念の根拠について述べてみたい。

そもそも経済学は、現在もなお検証不能な学問である。あまりにも変数が多く、理論が真実であるか否か実験的に確認することができないからだ。したがって,たとえノーベル賞を取った経済学者が唱えたとしても,その考え方は単なる仮説に止まる。しかし,その仮説は,経済と深く関わる政治と結びついたとき,イデオロギー的性質を持つ。

 

例えば日銀の異次元緩和にしても、そのよって立つ仮説は実証されなかった。マネタリスト的な考え方では,デフレは貨幣的現象なので通貨供給量を増やせば解決する。そこで、日銀はそれまでの方針を転換し “異次元の”量的緩和で大量の国債を買い入れマネタリーベースを拡大させた。が、結局のところ副次的効果として通貨発行量水増しによる円安誘導に成功し,その分自国通貨建てGDPを増やしたくらいの結果に終わり、目標であったはずの「インフレターゲット」やそれに伴う経済成長は何年経っても達成できていない。

だが,アベノミクスによる経済再生・経済成長というイデオロギーは継続している。

 

このような試みは、アメリカのQEや、古くはレーガノミクスなどでもみられたが,こうした実験的経済政策は財政冒険主義ともいわれる。

まだ実験が実行されていないが(既に日本財政はその範疇かもしれないが)、その最新のものがMMT。兌換通貨でなくなった現在の通貨の解釈を「政府が支出して通貨を生み出し、納税者が国家への支払義務を果たす為にその通貨を使っている」とするものだ(ランダル・レイ「現代貨幣理論入門」)

ここで、解釈と言ったのは、あくまでこれはMMT論者による通貨の解釈の一つに過ぎないということだ。それが本質か否かはまた別のもの。一般的に言われる通貨の存在意義である「交換価値の保存」の観点はあえて捨象されている。

しかし,レイの著作でも、ハイマン・ミンスキーの言葉として「誰でも貨幣を創造できる。問題はそれを受け取らせることにある」という言葉が紹介されている。貨幣が交換価値を保存できるのも、貨幣が信用(信認)されているからこそ。貨幣の増発はその信認を失わせていく。

この点についてのレイの主張は,「なぜ誰もが政府の「法定不交換通貨」を受け取るのか?」というところにあるようだ。その答えは,「租税などの金銭債務の履行において,政府によって受け取られる主要なものだから」というものだ。だが,政府自身も,その通貨が価値を失った場合には,莫大な数量の通貨を要求するであろう。

「受け取られる」と「価値が保存されている」は決してイコールではない。

 

 また、貨幣価値の信認失墜と表裏のハイパーインフレについてレイがなんと言っているか。

1 ハイパーインフレは極めてまれ

2 MMTがハイパーインフレの原因を完全に理解しているとは言っていない

3 今のアメリカや日本に高インフレを予想させるものはない

これにはMMT支持者の皆さんも驚くのではないか?あれだけ緻密を装っているMMTの旗手が、ハイパーインフレの懸念については理屈にもならないことを並べ立てているだけなのだ。

そしてなんと、こうも言っている。

「経済学者にとって、年率40パーセント未満のインフレ率から経済への重大な悪影響を見出すことは困難である」(445頁)。

経済学者にとってはそうかもしれないが、インフレに対抗する手段を持たない一般庶民にとって変動のない10%の消費税と、毎年毎年40%上がるインフレとどちらが良いのだろうか?

 

さて、MMTが言うように、中央政府と中央銀行を一体としてとらえた場合、確かに通貨発行権を持つ国家が発行する国債などの負債は支払不能とはならない。

しかし、MMTに従い,無限の通貨発行権を政府債務の支払のために行使したとき、巨大な負債を抱える国家と、国民の間には重大な利害の対立が生じることになる。

国家は、その都合により自在に通貨を発行し、自在にその歳出に充てることができる。魔法の杖を手にしたも同然だ。しかし、そのように水増しされた通貨は、信用を徐々に失っていく。日本でも西南戦争時に戦費調達のために政府紙幣である太政官札を大量に発行したとき、インフレとなってコメ価格が3倍になり、飢餓者まで出ている(吉田繁治氏「現代通貨論の批判的な検討(1)」)。どこの国でも通貨の信用がなくなれば通貨安となり、自国建て通貨ではなくドルを国民が重宝するようになる。大きな通貨安に見舞われた最近のトルコなどでもみられているところだ。「自国通貨を受け取らせることができなくなる」ことが生じうるのだ。

 

実は、その傾向の一端はアメリカや日本においてもみられている。最近、金の価格が大きく上昇していることをご存じだろうか。それだけではなく、株価や不動産価格はアメリカを筆頭に上げ続けている。物価上昇率には反映されない、こういった株や実物の価格上昇は、世界中で続けられている「量的緩和」=「通貨量水増し」による通貨への信頼失墜の反面として生じたものであろう。ビットコインなどの暗号資産の誕生と価格上昇も同じ理由によるものと推測している。(この点でMMT的な貨幣増発は貧富の差を拡大している。富裕層は株などへの投資で益々栄え,貧困層にはその機会がないからだ。まだ指摘されていないが,MMTが実施されれば,富裕層は喜んでさらに投資に励み,貧富の差は更に膨らむだろう)。

 

他にも色々と述べたいことがあるが,長くなってきたので今回はMMT論者に次の3つの点を指摘しておきたい。

1点目。レイの著作においても,MMTによる積極的財政は,完全雇用実現のため,とされている(「最善の国内政策とは,完全雇用と物価安定を追求することである。」81頁より)。しかし,人口減少日本では,失業率は2.3%の低水準であり自然失業率(3.5%程度と一般に推定)以下と考えられ,ほぼ完全雇用状態にある。念のため述べれば,物価が「超」をつけて良いほど安定しているのも周知のとおり。MMT理論により,政府が財政拡大をしなければならない前提を欠いているのは明らかだ。

 

2点目。日本にMMTを導入すれば,公共投資が民間需要の呼び水になり,経済を成長させると日本のMMT論者は主張している。しかし,東名高速道路や東海道新幹線など民間需要を呼び起こすような公共投資・社会資本整備は東北新幹線あたりで終わりを告げ,今は北海道新幹線のような維持費の負担の方が大きく,乗数効果が見込めないものがほとんどとなっている。結局は建設中に工事関係者が得る利得のみが民間需要を満たしているのみで,一時しのぎにしかなっていないのが現状だ。すなわち,公共投資をしても持続的景気拡大には繋がらない。むしろ社会的にみて負のコストが増大し始めている。

 

3点目はれいわ新撰組のMMT論者に特に訴えたいこと。れいわは法人税を上げて消費税をなくせ、という主張に見えるが、レイは法人税についてなんと言っているのか。

「必ず「法人所得税を廃止すべきです」と答える」(299頁)。

皆さんとはだいぶ考えが違うようだ。

 

景気というのは結局民間が創造していくもの。無から有を産むように、価値のない、あるいは価値の限られた商品に付加価値をつけ、経済を発展させられるのは創造的な民間企業だけだ。大恐慌やリーマンショックのような非常事態時には,政府や中央銀行は主役級の対応が望まれるが,普段は,サポート役に徹するべきだ。ところが,近時MMTを根拠に,財政政策に対しあまりに過大な期待が寄せられていて,政府依存症とでも表現したくなるような有り様だ。この風潮がさらに蔓延していけば,かえって民間の活力,肝心要のアニマルスピリットが益々失われていくであろう。

政治家が票目当てに有権者の前に甘い話をぶら下げるのは程々にした方が良い。